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<東京怪談ノベル(シングル)>


欲望のバビロン 断罪の聖者―1

怒りが自然と沸き起こり、行き場のない炎が胸にくすぶる。
スクリーンに映し出された映像―拘束服を着せられ、明らかに非合法な薬を打たれる人たち。
数秒後、のたうち回り苦しみ、無残な姿と化す者。異常な筋肉が発達した後、血にまみれる者。
想像に絶するこの世の地獄。それを平然と眺めながら、データを取っていく者たち。
悲鳴を上げ、逃げ惑う者を銃器で威嚇し、笑いながら押さえつける軍人崩れ。
毛筋ほども表情を動かさず、白衣を纏った研究員が喚き叫ぶ者の首筋に透明な液体を注射する姿は見るに堪えられなかった。
目をこれ以上ないほどむいて、拘束された腕で喉をかきむしった後、突如全身がケイレンし、そのまま動かなくなる。

「確認するまでもないが、この被験者は絶命。潜入していた者が処分を装って、こちらの研究機関に運び出し―荼毘に伏せた」

感情を極限まで押し殺した司令の声は静かな怒りに燃える琴美の耳を通り過ぎていた。
こんな惨い、非人道的なことが許されるはずがない、と全身で訴える琴美に気づきながら、淡々と司令は言葉を続けた。

「報告によると、被験者にされた彼らは何の罪もない一般人。少々危険だが高額な報酬に騙された被害者。何人かは内偵者たちが死んだと見せかけて脱出させ、保護したが……根本を叩かねば、被害者が増えるだけだ」

そう言うと、司令は椅子からおもむろに立ち上がり、スクリーンの映像を止め、ブラインドが閉じた窓の前に立つ。
閉じられたブラインドの向こうは光に満ちた、のどかで人々が平和に暮らす世界。閉ざされたこちら側―闇の世界ではないのだ。

「水嶋琴美、命令だ。この組織を殲滅せよ」
「了解しました」

薄い笑みを浮かべ、琴美は背を正して敬礼すると、くるりと踵を返した。

地下ロッカールームに入ると、琴美は手早く出撃準備を整える。
密着タイプの黒のインナーとスパッツで身を固めると、その上から豊満な胸を守るように両袖を半そで丈に短くした着物を帯で止め、ミニのプリーツスカートを着る。
開発主任の手で新たに開発された戦闘服は実験時よりも軽く、動きやすくなっているのに気づき、琴美は小さく肩を竦めつつも、備え付けの椅子に座り、新素材で作られた編上げのロングブーツを緩まぬようにきっちりと絞めて履く。
スカートから覗く鍛えられた太腿に革製のベルトをつけ、愛用の武器―鋭い輝きを放つくないを数本差し込む。
準備完了と口の中でつぶやき、琴美が立ち上がると、ふわりと降りたスカートの中に括り付けられたくないが隠れた。
それを見計らったようにパイロットスーツを身に纏った同僚がロッカールームのドアを開けた。

「水嶋、第1発着場にスタンバイ済みだ。いつでも行けるぞ」
「そうですか……では、参りましょう」

にやりと笑う同僚に琴美は艶やかな笑みで返すと、優雅な足取りで発着場へと続く長い廊下を歩き出した。

「今回の任務は?」
「表向きは普通の製薬会社。ですが裏では非人道的な薬物開発を行う非合法組織ですわ。ふざけたことに先のテロ組織、彼らが操っていたそうです」
「なら、その上層部―この場合は首脳陣を殲滅……か」
「放っておくべきはないですわ。これ以上の犠牲者が出る前に」

発着場へ向かうにつれ、頬を撫でる風が強くなっていくのが分かる。
隣を歩く同僚の問いかけに応じながら、琴美の眼差しが自然と鋭くなっていく。
長い暗闇の通路が途切れ、光が差し込み、その向こうに待っていたのは爆音を響かせて、回転する翼。
漆黒に染め上げられた機体の両側には重機関銃と追撃砲が装備され、操縦席は前部と後部に分かれた複座式のヘリが見える。
慌ただしく動き回っていた数人の整備員たちは二人に気づくと、敬礼して道を開ける。
その道の先に特務統合機動課専用―ステルスヘリが琴美たちを待ち構えていた。


「ターゲットポイントは設定済みだ。これより出撃し、連中が勢ぞろいする20:00に作戦開始」
「了解しましたわ。安全かつ最速でお願いしますわね」
「ハッ、言ってくれる。いいよ、了解した!」

後部座席に座った琴美はシートベルトでがっちりと身体を固定させると、パイロットシートに座った同僚は揺るがぬ自信を瞳に宿らせ、操縦桿を握る。
ゆっくりとホバリングして浮き上がる漆黒のステルスヘリ。
上空2千メートルまで浮上すると、大きく向きを変え、北北西の方向へと飛び立つ。
特務専用機だけあって、わずか数十秒で最高速に達しながらも、音は徐々に静まっていく。
随分と特殊な構造をしているのですわね、と頭の隅で考えつつも、琴美は窓の外をきつく睨みつけていた。
蒼い空間を朱に染め、美しいオレンジ色の光を投げかけて、西の稜線に消えていく太陽。
やがてゆっくりとグラデーションを作り上げながら深い藍色へとその色を変えていく空に細く淡い光が輝き出したところで、静かなる漆黒の機体は目的地へと到達した。

夕闇にそびえたつ巨大なビル。
栄耀栄華を誇る虚飾の摩天楼を琴美は冴えわたる刃のような冷たいまなざしで見下ろす。

「すぐに突入を」
「いや、やめとけ。連中も馬鹿じゃないらしい」

最上階に設置されたヘリポートを認め、はやる琴美をパイロットは若干焦りをにじませて制する。
なぜ、と反論しようと、ベルトをはずして身を乗り出す琴美にパイロットは予備スペースに収められたグラスを片手で器用に取り出し、押し付ける。
むっとしつつも、それをかけ、外を見た瞬間、琴美は言葉を失い、苦笑いを口元に描く。
長方形のビル周辺を覆い尽くす赤外線の網。
侵入者をあからさまに警戒しきったふざけたトラップを目の当たりにして、自分たちの悪行に覚えがあると言っているようなものね、と琴美は心の中でつぶやいた。

「半径20メートル圏内が赤外線トラップに覆われてる。下手に近づけば、迎撃ってとこだな」
「大げさなお出迎えですわね」
「そんなもん願い下げだ。こっちの装備じゃ、お返しできないしね」

そう言うが早いか、同僚は左手で操縦桿を操りながら、右手で搭載されたトレースシステムを起動させ、目の前のビルをスキャンする。
これも特務で開発した特製で、内部の状況が細かいにスキャンできるだけなく、そこにいる人間の数をも把握できる優れものなのだ。
後部座席に戻った琴美は備え付けられた液晶モニターに送られてきたデータを見入り―やがて、ため息が零れ落ちた。
隙のない細かな赤外線の網。ある意味、異物を受け付けないフィルターのような状況を見て、上空からは容易に侵入できないと悟った。

「どこか少し離れたエリアに着陸してくれます?地上から突入しますわ」
「地上から?いくらトップとはいえ、手間だと思うぞ?なんせ本命の首脳陣は屋上から10エリア下―情報によれば、ここからすべては研究施設になってる。そこにいるみたいだからね」

やんわりと頼む琴美を茶化し混じりに制すると、パイロットは操縦桿を両手で握り、思い切り手前に引き倒す。
音もなく機体が垂直になり、上空に向かって急上昇する。
全身にかかるGに思わず琴美は息を詰めたが、それは一瞬の事。
ものの数秒でビルの屋上に機体を旋回させていた。

「この赤外線、常にあるわけじゃない。屋上部分は数分間に30秒の割合で途切れる。タイミングを計って旋回するから、赤外線の網が消えた瞬間、飛び込め」

お前ならできるでしょ、と暗に告げるパイロットに琴美はふうと大きく息を吐き出し、座席から立ち上がるとドアを手動で開け放つ。
ごうと唸りを上げて頬と耳元をよぎる風の音を聞きながら、赤外線グラスを装着したまま琴美はドアに手を掛ける。
小さく笑みをこぼし、パイロットは赤外線の網が解かれるタイミングを計りながら、旋回を繰り返す。

「任務達成を待たせてもらうよ」
「分かりましたわ」

短いパイロットからの激励に応えると、同時に琴美は闇夜に身を躍らせる。
切り裂くような風音を聞きながら、体勢を立て直す。
ビルを包み込む無数の赤い光線が足に触れる寸前で煙のように掻き消え、滑るように広々としたヘリポートへと琴美が降り立つ。
同時に消えていた赤外線の網が再びビルを包み込み、旋回していたステルスヘリはゆっくりと上昇し、その場から離れていく。
それを見送りながら、琴美は優雅な足取りでビル内部へと向かうドアに手を掛けた。