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お猿と猫
どんな仕事も、とりあえず形から入ってみるのが、綾鷹郁のやり方である。
そんなわけで、今はナース服を着ていた。
連合艦隊旗艦、医務室。
ベテランの看護婦が1人、妊娠中で無理はさせられず、郁が駆り出されているところである。最も手のかかる患者の、担当としてだ。
「が、がおるざぁん……あだし、癌になっぢゃっだぁああ……」
三島玲奈が、涙と鼻水にまみれている。郁は苦笑した。
「んなわけないでしょ、ただの風邪だっての。はい、抗生剤打ちますよー」
「いっ嫌! 注射はいやあああああああ!」
「小学生じゃないんだから、ほら大人しくするっ」
じたばた暴れる玲奈を押さえ付けながら、郁は溜め息をついた。
手のかかる患者が、もう1人いるのだ。
参謀の、鬼鮫である。現在、心を病んで自室療養中だった。
「お注射で治る病気なら、いっくらでもブチ込んであげるんだけどねぇ……」
泣き喚く玲奈に、極太の注射器を叩き込みながら、郁はぼやいた。
鬼鮫はこのところ、不調であった。今までの彼なら有り得ないようなミスを連発し、精神的にかなり追い込まれている。これまで完璧に仕事をこなしてきた男が、こうなってしまうと、なかなか難しい。
あの看護婦ならば、心の病に関しても何かと相談に乗ってくれるであろうが、今は妊娠中である。出産に専念してもらわなければならない。面倒事を、持ち込むわけにはいかない。
妊娠中と言えば、郁の飼っている猫もそうである。
「ま……あたしが頑張らないとね」
もうすぐ仔猫が生まれる。
鬼鮫を構ってやれる暇は、なさそうであった。
だが、鬼鮫がしでかした事の後始末はしなければならない。
彼が主任となって開発された新型魚雷のテストが、この度行われた。その魚雷は、しかし不発だった。
不発弾が、試射によって久遠の都近辺の宙域にばらまかれてしまったのである。
回収しなければならない。
「じゃ、あたしの猫ちゃんをお願いね」
どうにか体調を取り戻した玲奈に、郁は愛猫の出産を託さなければならなかった。
「生まれるまで傍にいてあげたかったけど……任務だからね」
「いいの? 猫ちゃんもそうだけど」
玲奈が一瞬、言い淀んだ。
「その……鬼鮫参謀に、ついててあげなくて」
「あいつはねえ。女に助けられたり支えられたりっての、すごく嫌がるタイプだから」
郁は、にやりと笑ってみた。
「……いい気味だ、とか実は思ってない? 玲奈ちゃん」
「そ、そんな事ない……事も、ないけど」
この少女は日頃、鬼鮫参謀から厳しく扱われている。あの鬼上司が無様な失態を重ね、自室療養・自室謹慎を強いられている現状をどう思っているのか、しつこく聞き出してみたいところではある。
そんな暇があるはずもなく、郁は小型事象艇に乗り込み、不発魚雷の回収に向かった。
鬼鮫の事は、大嫌いである。
それでも、彼が仕事の出来る上司である事は認めなければならない。
ここ連日の失敗に何か外的な原因がある事を、だから玲奈は疑っていなかった。
原因を突き止め、あの鬼上司に貸しを作る。それも悪くない。
そう思って武器庫を調べてみたところ、機器類の腐蝕が何ヵ所も見つかった。
「これは……武器庫だけじゃ済まないかも」
旗艦全体を調査し、腐蝕箇所を確認する必要がある。
それを艦長に報告すべく、玲奈はずかずかと足早に廊下を歩いていた。
いきなり、水を浴びせられた。
「ちょっと……!」
このような嫌がらせには、毅然と対応しなければならない。
そう思って睨みつけた玲奈の視線の先では、
「暑いよ〜」
「何言ってんの! 寒い! 寒いってのよぉお!」
女子乗組員たちが叫びながら、水を撒いたりお湯を撒いたりしている。
「寒い! 寒いさむい寒いさむぅうううい!」
「うるせーぞクソども、暑いっつってんだろーがぁあああああああああ!」
水やお湯をぶちまけながら、彼女たちはメキメキと膨張し、異形化して牙を剥き、恐竜へと変化していった。
もはや言葉を発する事も出来ず咆哮しながら、アロサウルスやヴェロキラプトルが乱闘を始める。アパトサウルスが、艦内通路を凹ませながら暴走する。
「あっ、こら! やめなさぁあああい!」
玲奈は衣服を破いて翼を、鰭を、水掻きを広げ、人ならざるものとしての正体を現しながら、恐竜の群れに突っ込んで行った。
生体兵器の少女。その細腕が、アパトサウルスやステゴサウルスを投げ飛ばす。スリムな両脚が様々な形に躍動し、アロサウルスを回し蹴りで吹っ飛ばし、ヴェロキラプトルを喧嘩キックで壁に叩き付け、ティラノサウルスを踵落としで打ち倒す。
異変の原因を突き止めるよりも、異変そのものを抑え込む方が先決という状況であった。
回収した魚雷を調べてみたところ、信管部分に何ヵ所もの腐蝕が見つかった。開発主任たる鬼鮫参謀の、管理責任が問われるところではあるのかも知れない。だが腐蝕をもたらす何者かが連合艦隊旗艦に侵入しているとしたら、それは艦の警備そのものに欠陥があるという事だ。
ともかく不発弾の回収そのものは、つつがなく終わった。
異常事態が生じたのは、帰投後である。否、すでに生じていた。
「ちょっと、何これ!」
通信で帰還を告げても返事がなく、ガイドビーコンも出て来ないので、仕方なく勘と目測のみで何とか着艦を成功させた郁が、小型事象艇から飛び出しつつ叫んだ。
巨大な蜘蛛が、格納庫内をうろついていた。
カチカチと牙の蠢くその口から、液体がしたたり落ちている。
格納庫の床がシューッと溶け穿たれた。床下の配線が、腐蝕してゆく。
この分では、艦内至る所に腐蝕が広がっているかも知れない。試作兵器にまで、及んでいたのだ。
「きさん、蟲どもの同類かよ!」
跳躍しながら、郁は翼を広げた。セーラー服が破け散り、瑞々しいビキニ姿が露わになった。
大蜘蛛がブシューッ! と腐蝕液を吐き出したのである。
郁の半裸身が、ふわりと躍動して、それをかわす。
事象艇が液体を浴びて腐蝕し、溶けかかりの残骸と化した。
「このっ……安もんと思うちょるがか!」
翼をはためかせながら、郁は小銃を構え、引き金を引いた。
空中からのフルオート射撃が、蜘蛛の巨体にいくつもの銃痕を穿つ。
体液の飛沫が、噴出した。
致命傷ではない。が、怯ませる事は出来た。小型事象艇ほどもある巨大な蜘蛛が、いくらか苦しげに痙攣し、のけ反っている。
その間に郁は着地し、床を蹴り、踏み込んでいた。
小銃の先端から、ジャキッと銃剣が伸びる。
「見るからに金持っとらん虫ケラやき、命で弁償してもらうぞね!」
しなやかに引き締まった半裸身が高速で翻り、艶やかな茶色の髪がフワリと弧を描く。
それと共に、銃剣が一閃した。一閃しただけに見えて、斬撃の弧はいくつも生じ、大蜘蛛の体内を様々な角度から通り抜けていた。
ぴたり、と郁が動きを止める。
蜘蛛の巨体が、輪切り状に幾重にも食い違って滑らかな断面を晒しつつ、崩れ落ちた。
一息つく暇もなく、格納庫に何者かが駆け込んで来る。
「郁さん!」
翼と鰭を生やした怪人……三島玲奈である。水掻きのある両手で、小さな生き物たちを抱えている。
みいみいと鳴く、4匹の仔猫。
玲奈が、どうやら無事に、愛猫の出産を済ませてくれたようである。
「あ、玲奈ちゃん。ありがとねー……はい初めまして、御主人様のお帰りですよぉ」
仔猫たちの頭を撫でながら、郁は訊いた。
「で……この子らのママは?」
「あのね郁さん、信じられないだろうけど」
という玲奈の言葉が終わらぬうちに、巨大な生物が格納庫に突入して来た。
たった今、仕留めたばかりの大蜘蛛よりは一回りほど小さい、それでも巨大なトカゲである。玲奈も仔猫たちも一まとめに食い殺す勢いで荒れ狂い、牙を剥いている。
「これが、そう……」
「そう、って?」
「だから、この子たちのお母さん! 貴女の猫ちゃんなのよっ!」
玲奈が、悲鳴か怒声か判然としない声を張り上げた。
怪物と化した母親に食われるところであった仔猫たちを、玲奈が恐らくは間一髪で助けてくれたのだろう。
「……面倒、かけちゃったね」
ぽん、と玲奈の肩を叩きながら郁は、変わり果てた愛猫に向かってすたすたと歩いた。
凶暴に喰らい付いて来る大トカゲ。その顎の下、喉頸の辺りを、片手で撫でくすぐってやる。
それだけで、大トカゲの巨体はごろんと仰向けになった。
紛れもなく自分の猫である事を、郁は確信せざるを得なかった。
お腹の大きな牝の猿人が、医務室のベッドに鎖で縛り付けられている。
「お腹に赤ちゃんいるのに暴れようとするから……こうするしかなくて」
じゃれついて来る仔猫4匹を、抱いたり肩に乗せたりしながら、玲奈が言った。
この猿人が、妊娠中の看護婦であるという事実を、どうやら受け入れなければならないようであった。
他の乗組員たちも、恐竜やらアウストラロピテクスやらに変化し、艦内を徘徊している。
郁は、腕組みをした。
「一体……何だって、こんな事に」
「わけのわかんない病原菌が、まき散らされてるみたいなのよね」
玲奈が言った。
「そのせいで、みんな……おかしくなっちゃって。あたしは元からバケモノだから平気だけど」
先祖帰り、のような症状をもたらす病原菌。それをまき散らしたのは、あの大蜘蛛であろう。
「人間もダウナーレイスも、それに猫ちゃんまでバケモノに変わっちゃう病原菌……か」
顎をつまんで思案しながら、郁は4匹の仔猫をちらりと見た。
「……その子たちは、何で大丈夫なのかな?」
「多分……お母さんのお腹の中に、いたからだと思う」
控え目に、玲奈が自分の見解を述べた。
「母体に、何か防疫作用みたいなものが」
「羊水ね」
縛り付けられた猿人の妊婦に、郁は視線を投げた。
「そのお腹から、ちょっとだけ羊水をもらってワクチンを作る。それで決まり」
希望が見えた、その瞬間。
医務室の壁が、まるで発泡スチロールの如く砕け崩れた。
毛むくじゃらの巨体が、扉ではなく壁から乱入して来たのだ。
筋骨たくましい猿人。凶暴そのものの顔面に、郁は鬼鮫の面影をはっきりと見て取った。
「玲奈ちゃん、ワクチン作っといて!」
猿人と化した鬼鮫の眼前で、いくらか際どいビキニ姿を晒しながら、郁は言った。即座に、文句が返ってきた。
「ちょっと、それって何でも作れる郁さんの役目じゃない!?」
「ごめん。機械ならともかくバイオケミカル系は今イチなんだわ、あたしってば」
襲い来る猿人の剛腕をかわしつつ、郁は言った。
「ここは、お料理得意な玲奈ちゃんの出番! 餃子の皮で何でも作れる貴女なら、ワクチンの1つや2つ!」
玲奈がまだ何やら文句を言っているが聞かず、郁は鬼鮫を、医務室の外へと誘い出した。
牡の猿人が、扉を吹っ飛ばしつつ廊下に飛び出して来る。
白い羽を舞わせながら郁は、半裸の肢体を挑発的に躍らせた。
「ほらほら、鬼さんこちら。鮫ちゃん、こちら!」
雄叫びを轟かせ、鬼鮫が突っ込んで来る。
郁は、ひらりとかわした。
猿人の巨体が、配電盤に激突した。
滑稽な悲鳴を上げながら鬼鮫は白目を剥き、珍妙な感電のダンスを踊り続けた。
看護婦の子供は、来月の中頃には生まれるようである。
一足先に出産を終えた猫が、4匹の子供に乳を与えている。
一件落着、そのものの光景であった。
乗組員たちは全員、ワクチン投与によって元に戻った。鬼鮫もだ。
「あー、その……世話になったな、三島」
「ヘナ、でいいですよ? 鬼鮫参謀」
にっこりと、玲奈が笑う。ばつが悪そうに、鬼鮫が咳払いをする。
病原菌を発見したのも、ワクチンを作成したのも、三島玲奈である。その名は残すべきだろう。
「玲奈オサル症候群」
キーボードを叩きながら、郁はぽつりと言った。玲奈が、じろりと睨んだ。
「……何それ」
「今回の病気の名前。今もう登録しちゃったから」
「ちょっと、ふざけないで!」
「ふざけた病気に、ぴったりの名前だと思いまーす」
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