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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


この腕に抱くぬくもりを共に

 空は青く、吹く風は肌身にはとても冷たい。
 これから寒さが一層厳しくなってくるこの日。弥生・ハスロは自宅のリビングで編み物をしていた。
 テーブルの上にはこれから産まれてくる子供のための帽子やミトン、靴下など可愛らしい写真が載った編み物本が広げられている。
 弥生は非常に穏やかな気持ちで、優しい子守唄を鼻歌で歌っていた。
 編み進めていく手元を見つめていた視線が、ふとお腹に移る。
「あなたに早く逢いたいわ……」
 編み物の手を止め、柔和に微笑みながらそっと大きくなったお腹を撫でる。と、弥生の言葉に応えるようにポコン、と内側から蹴られた。
「ふふふ。そうよね。あなたも私たちに逢いたいわよね」
 お腹の子供の反応に、自然と心が優しく満たされ愛しさが増す。
 もうすぐ、あなたに逢える。愛しいあの人と結ばれた愛の結晶。ようやく、この手に抱ける日が近づいてくる。
 ゆっくりとお腹をさすりながら、待ち遠しい気持ちと同時に多少の不安もないわけではなかった。
「ママ、頑張るからね。あなたも頑張って産まれてきてね」
 陣痛の痛みに耐えられるのか。無事に産まれてきてくれるのか。
 そんなことを考え出すとどうしても不安に駆られてしまう。これが、ただの杞憂に過ぎない事は分かっているのだが。
「弥生」
 不意に背後から声をかけられ、そちらを振り返ると同時に肩にショールがかけられた。
「今日は一段と冷えるよ。暖かくしておきなさい」
「ヴィル……。ありがとう」
 俄かに頬を染め、やんわりと微笑む弥生の隣にヴィルは腰を下ろした。そしてお腹の上に乗せられていた弥生の手をそっと握り、彼女の顔を覗き込む。
「……不安かい?」
 こちらの気持ちをすんなりと汲み取るヴィルの優しさに、弥生は素直にこくりと頷いた。
「早く逢いたい気持ちは本当よ。この子をこの腕に抱き寄せて、産まれてきてくれたことにお礼を言いたいの。私たちのところへ来てくれたことも」
「あぁ、そうだね」
 弥生は伏目がちにお腹を見下ろしたまま、自分の手に重ねられたヴィルの手の温もりを改めて実感する。
 彼のためにも、自分はこれから立ち向かう試練に立ち向かわなくては……。
 だが、今この瞬間だけは、自分の胸の奥に広がる不安を素直に吐露したかった。
「……でも、初めてのことだから」
「うん」
 いつもなら明るく大丈夫だと言う事も出来ただろう。
「私、ちゃんとお母さんになれるかしら……」
「なれるよ。心配しなくても、君は優しくて素敵な母親になれる。私が保証するよ」
 ヴィルは弥生の手に重ねた自分の手に俄かに力を込めながら、小さくため息をこめながらポツリと呟いた。
「私も、ちゃんと父親になれるかな……」
 ふと溢したヴィルの言葉に、弥生はクスリと笑った。
「もちろんよ、ヴィル。あなたはこれ以上ないほど、頼りがいのある素敵な父親になれるわ。私が保証する」
 同じように不安を抱く彼の心情を思いがけず知った弥生は、先ほど自分に言われた言葉をそのまま伝え返すと、二人はどちらからともなく額をつけてクスクスと笑った。
「私は、君が痛みに耐えている間何も出来ないんだと思う」
「いいのよ。あなたが傍にいてくれるだけで、私は頑張れるもの」
 額をつけたまま視線を上げると、そっと優しいキスが唇に降ってきた。

                              ******

 チクリとした痛みが下腹部を刺激する。
 妊娠してからは感じた事のないその痛みで、眠っていた弥生は目を覚ました。
 ふと隣を見ると穏やかな寝息を立てて眠るヴィルの顔がある。外はまだ暗く、時計に目をやれば丁度4時をさしていた。
 弥生は腹部に手を当ててゆっくりと身体を起こし、下腹部に感じる痛みに眉根を寄せる。
 この痛みは何だろうか。何か問題でも起きたのだろうか?
 さすがにこの月齢になって、緊急を要するようなことはないと思うが……。
 そう思っている間にも、シクシクと下腹部は痛む。だが、しばらくすると痛みが嘘のように消えた。
「もしかして……」
 弥生は陣痛を予期し、ヴィルの肩に手を置いて軽く揺すった。
「ヴィル。起きて」
「……ん……」
 揺り起こされたヴィルが重たい瞼を持ち上げると、目の前にはどこか動揺しているような弥生の顔が飛び込んでくる。
「どうしたんだい?」
 その表情にすぐ身体を起こしたヴィルは、弥生の身体に手をかける。
 弥生は腹部を押さえたまま泣き出しそうに潤んだ眼差しで彼を見つめ返す。
「陣痛……始まったかも……」
「え?」
「……っ」
 ヴィルが聞き返す内に、再び弥生の下腹部に痛みが押し寄せてくる。
 女性特有のあの痛みに良く似た痛みだが、波がある辺り間違いなく陣痛が始まったのだと感じさせた。
「病院へ電話を……」
「……待って。まだ、早いわ」
 腹部を押さえ、眉根を寄せたまま弥生はヴィルの腕を掴んだ。
 しばらく痛みに耐えていると再びすぅっと痛みが引き、弥生の身体から力が抜ける。
「時間、計っててね」
「あ、あぁ……」
 それからしばらく、痛みと緩和の波を自室のベッドの上でじっと耐える弥生を、ヴィルはただ見守る事しかできずにいた。
 やがて弥生の額に玉のような汗が噴出し、きつく瞳を閉じて懸命に痛みを逃がしに必死になる姿になってくる。
「弥生。目を閉じたら駄目だ。落ち着いて……」
「……」
 弥生はただ頷いてヴィルの言葉に応える事しかできなくなっていた。
 目には涙が滲み、痛みが遠退いた瞬間に身体の力を出来るだけ抜いて浅い呼吸を繰り返す。
 その内に、時間が迫り弥生はヴィルに抱えられるようにして病院へと急いだ。そしてそのまま陣痛室に運び込まれる。
「ヴィル……」
 汗を拭い、時折水分補給をさせていたヴィルを弥生は呼び止めた。
「私、頑張るからね……」
「弥生……」
「……っ」
 ヴィルは苦しむ妻を前に、何も出来ない自分の無力さを痛感していた。だが、これは女性が戦うべきことであり、女性でなければ立ち向かえないことだ。
「何も出来なくて、ごめん」
 何とかしてやりたくてヴィルは弥生の腰をさすると、弥生は痛みに耐えながらも小さく微笑みかける。
「言ったでしょ。傍にいてくれたら、それでいい……って……」
 言葉を話す余裕も、痛みと緩和の時間の境も分からなくなるほど差し迫った頃、ようやく分娩台に上がる弥生をヴィルはすぐそばで彼女の手を握り締めて励ましていた。
 何度も荒い呼吸を吐きながら、自分の全てをかけて弥生は出産に立ち向かう。
「お母さん。もういきまなくていいですよ。出てきますからね〜」
 痛みに耐えながら、何度目かのいきみの後で看護師が穏やかに声をかけてくる。
 肩で呼吸を繰り返しながら視線を足元に向けると、取り上げられた赤ん坊の頭が見えた。そしてすぐに元気な産声が上がる。
「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」
 子供を取り上げた看護師が、満面の笑みで生まれ出たばかりの赤ん坊をその腕に抱き上げている。
 部屋の中に響き渡る元気な産声が、それまで苦痛に顔を歪めていた弥生の表情から疲れを払拭し、傍で励まし続けたヴィルの表情にも安堵の色が浮かんだ。
 弥生は腕を伸ばすと、看護師は赤ん坊を彼女の胸の上に抱かせてくれる。
 思いの外ずっしりと胸にかかる重さと暖かさとが、確かに彼が元気で無事に生まれて来てくれたと実感できた。
「やっと……あなたに逢えた」
 胸にこみ上げる喜びに、赤ん坊を見つめる弥生の目からポロポロと涙が零れ落ちた。
「産まれてきてくれて、ありがとう……。私たちの赤ちゃん……」
 愛しさに胸が詰まり、頼りない赤ん坊をそっと抱きすくめて涙する弥生に、ヴィルもそっと声をかける。
「弥生……」
 涙に濡れた眼差しを向けると、ヴィルもまたその目に涙を滲ませながらやんわりと微笑んだ。
「ご苦労様……。本当に、ありがとう……」
 そっと汗で張り付いた髪を払う彼の優しさに、胸がいっぱいになった弥生は涙を溢れさせながらニコリと微笑み、頷いた。


             *****

「ヴィル。見て、あそこにいるわ」
 翌日、お見舞いに来たヴィルを連れて弥生は新生児室にやってきた。
 ガラスの向こうで何人もの赤ちゃんがいる中、二人の子供は泣きもせず、時折手足をピクリと動かしている姿が見えた。
「あなたと同じ、緑色の目をしているの」
「……」
 薄っすらと目を開く我が子の姿に、ヴィルの胸は改めて熱くなった。そして弥生の肩をそっと抱き寄せる。
「私はこの上なく幸せだよ」
「……私もよ。ヴィル」
 これから始まる暮らしに、二人の胸は喜びと希望でいっぱいだった。