|
Episode.34 ■ 猫セットの真骨頂―A
薄暗い自販機前の椅子に腰掛け、冥月が徐々に気持ちを吐露していく。
「……分かっていた……。自分が多くの相手に恨まれている人間である事も、その罪の重さも理解しているつもりでいた……。でも……」
弱々しく呟く冥月の横で、武彦が小さく返事を返した。
憂から聞かされた、冥月に向けられた恨みという名の殺意。復讐だ。
確かに裏の世界にいれば、仲間を殺された事に対しての恨みなどから命を狙われる事も多く、それは決して珍しくはない。
冥月とて、そういった輩に命を狙われれば返り討ちにしてきた事も多くある。
しかしそれは、そういう世界にいた者同士の暗黙の了解でもある。
IO2。
この機関にいる者達は殺意を持って臨んでいる者達とは限らないのだ。
家族や世界を守ろうとして戦う彼らの仲間を殺し、その恨みを直接向けられるのでは、同じ世界にいるそれらとは全く違う。
覚悟の上での死の世界とは、明らかに土俵が違うのだろう。
頭では解っているつもりでいたとしても、それを本当に理解していたのかと聞かれれば――気持ちは揺らぐ。
それを目の当たりにしたせいか、冥月の心は強く揺れていた。
「私は、武彦達と一緒にいて良いのかな……」
冥月の口を突いて出た言葉は、酷く痛々しい言葉であった。
裏の世界で生きてきた自分が、表の世界に生きている武彦達と一緒にいて本当に良いのだろうか。その疑問は、何も今までに一度も抱えて来なかった訳ではない。
ずっと自分を戒めていた冥月が、ここ最近になってようやく武彦との距離が縮みつつあったのだ。それに伴って、若干その戒めは緩んでいたのかもしれない。
――それがここにきて、改めて突き付けられた様なそんな気がしたのだ。
「――バカ言うな」
武彦が冥月の頭をさらに抱き寄せ、続けた。
「お前は俺と一緒にいろ。何処かに行こうとするな」
「でも、私は……――!」
「――お前がいる場所はここだろうが。俺の隣にいれば良い。俺がそうして欲しいんだ」
「……良いの……?」
「当たり前だ。というか、勝手にどこかに行っても捜し出すぞ」
――心地良い言葉。
心の中で張り詰めた思いが、徐々に緩和し、氷解していく様に温かな感情が胸に広がっていく。
許されるという事が、これ程までに心地良いものなのかと感じながら、冥月はゆっくりと武彦に身体を委ねた。
顎に伸びた手が、そっと冥月の顔を武彦に向けられる。
近づき合う唇と唇を、戸惑いながらに受け入れようと目を瞑り――。
「お姉様?」
――気配に気付いてさっと立ち上がった冥月の耳へ、百合の声が届けられた。
「百合、身体はどうだ!?」
「え、えぇ。今は別に……。それより、何をして――」
「――なに、ちょっと喉が乾いたからな。飲み物を武彦に奢ってもらおうかと思ってな。百合もどうだ?」
空振りに終わった口付けに武彦がバランスを崩しながら誤魔化す様に頭を掻きながら、唐突なフリに目を丸くした。
「いただきます」
「お、おう」
成り行きから飲み物を奢るはめになった武彦である。
武彦から飲み物を受け取り、冥月は早速憂から齎された取引について百合へと打診した。
「――口頭での尋問に協力、ですか?」
「あぁ。それさえすれば、百合の身体を蝕んでいるクスリの浄化などもやれる、という事だ。どうだ、百合」
冥月の言葉に百合はしばし沈黙して考え込む。
情報の提供とは言うが、それをすれば助ける必要がないと見込まれて裏切られる可能性もあるのだ。
それに、情報提供者である百合が狙われないとも限らない。
いずれにせよ、百合にとってはそう簡単に安請け合い出来る問題でもない。
「……百合。これは私からもお願いしたい」
「え……?」
「お前の身体を治せるのは、恐らく憂だけだ。情報を提供して取引を反故にするとは思えない。それに関しては私からも釘を刺しておくつもりだ」
「……でも……」
「私にとって、お前は大事な家族だ。これは私からのお願いだ。頼む、百合。協力して治療を受けてくれ」
まっすぐ黒い双眸を向けて、冥月は百合へと懇願する。
「……分かりました」
「やってくれるか?」
「はい。もとより虚無の境界に対して義理立てするつもりはありません。それに、お姉様の頼みとあれば、それを聞かない理由もないですから」
百合の答えを聞いた冥月は、百合の身体を抱き寄せて「ありがとう」と小さな声で呟いた。その言葉を耳にしながら、百合も少し嬉しそうに頬を緩ませて頷いた。
「じゃ、俺は憂にその事を伝えてくるぞ」
「あぁ、頼んだ」
気を遣わせる形となってしまった冥月だったが、武彦がその場を離れていく。
そんな武彦が去って間もなく、何故かIO2の女性職員達が一斉にその場に雪崩れ込み、冥月と百合が思わず身構える。
まさかさっきの復讐の続きかと身構えた二人だが、一切気にせずに女性職員数名は冥月に向かって駆け寄った。
「冥月さん! ちょっと良いですか!?」
「……何だ?」
身構える冥月であったが、何やら様子がおかしい。
逡巡した冥月へ、女性職員達が一斉に口を開いた。
「どうやってディテクターを落としたんですか!?」
「……は?」
「というか、恋人なんですよね!?」
「な、何を言って……」
「実は、あれで見ちゃったんですよ! だから隠し立てしても無駄ですよ!」
一人の女性職員が監視カメラを指差して声をあげる。
それに気付いた冥月が顔を真っ赤にして狼狽えていると、女性職員達は構わず質問を続けた。
「な、な……ッ!」
「あの唐変木なディテクターの好みって、やっぱり黒髪の美人かー」
「てっきり可愛い妹系かと思ったけどなー」
「それでそれで、いつから? もう何処までいったの!?」
「だ、だからそれは……その……!」
女子のそういった会話に耐性のない冥月は、その怒涛の勢いにすっかり呑まれるかの様に狼狽え、百合へと助けを求める様に視線を向けた。
「……お姉様。私もそれは少し気になりますね」
「百合、お前もかっ!?」
その一言と同時に、冥月への質問攻めは始まった。
終始顔を真っ赤にした冥月に、女性陣からは「可愛い」だの「純粋」だのと褒め称えられているが、百合だけがその光景を不機嫌そうに見つめていた。
「……ディテクター…………殺す」
「待て百合っ! 何か物騒な言葉が聞こえたぞ!」
密かな百合の一言が、冥月だけに届けられていた。
◆
――そんな騒動が起きているとは露知らず、憂の研究室ではあの『猫セット』の記録を確認している二人が、鼻息あらく3Dの動画の前で興奮していた。
「お、おぉ……ッ!」
「ちょ、ちょっと憂さん……! これは刺激が……!」
「武ちゃんヘタレ過ぎ! ほら、そこはぐぐっと! 男らしく!」
二人の前で流れている動画は、既に武彦と冥月の絡みが濃厚になりつつある所である。
先程から、冥月に対する印象はうなぎ登りで「可愛い」と評判を上げているが、対する武彦のヘタレっぷりとその暴走っぷりには武彦株が急な下落の一途を辿っているのだが、本人達はそれを知らない。
そこへ、何者かが中へと入って来る音が聞こえてきた。
天才科学者である憂とその助手である二人は、入り口から聞こえてきた物音に瞬時に映像を切り替え、先程までのピンクな空気を一瞬にして霧散させる。
中へ入って来たのは、強面代表の鬼鮫だ。
「何を見てるんだ?」
「やぁ、鬼鮫ちゃん。見ての通りだよ。これがあの、黒冥月の戦闘データだね……」
「ぶふ……ッ」
いきなり真剣味を帯びた表情でそんな言葉を告げる憂の切り替えの早さに助手の女性が思わず噴き出し、誤魔化すように咳払いをすると、「飲み物を用意します」とだけ告げてそそくさとその場から立ち去っていく。
(あぶな〜〜ッ! 鬼鮫ちゃん、せっかく良い所で入って来ないでよ、もうっ! 何でこんな面白くもない……じゃない、真剣な仕事に戻らなきゃいけないなんて……!)
真剣な表情とは全く違った内面で憂が心の中で叫び声をあげている事など、鬼鮫が知る由もない。
「この前の戦闘の映像もあったな。見せろ」
「ほいほいー」
憂がデータを操り、つい先日の虚無の境界との戦いを録画していたデータを呼び起こす。
冥月が戦闘に関わった場所への映像に絞り込み、再生を始めると、鬼鮫が小さく息を呑んだ。
「……これ程とはな……」
「もともとのデータで見せた通り、やっぱり鬼鮫ちゃんの想像以上?」
「戦闘のセンスや暗殺技術なんかは予想していた通りだ。だが何より、能力者に対して初見で対応策を練り、あっさりと崩してみせるそれは次元が違う……。
恐らく、俺も真正面から対峙するとなれば一手か二手で全てを読んで来るだろう」
「……鬼鮫ちゃんにそこまで言わせるなんて、ねぇ」
素直に賞賛するというタイプの男ではない鬼鮫が、絶賛とも呼べる口振りで告げたその言葉に、憂も思わずといった様子で驚く。
鬼鮫が認めざるを得ない実力者。ただそれだけでIO2内ではトップクラスをもってしても難しいのだと憂は知っている。
それ故に、やはり冥月の実力は普通のそれとは大きく異るのだと理解させられた。
そこへ、ちょうどお茶を用意していた部下が何食わぬ顔で戻って来ると、映像が戦闘の映像になっている事に僅かにがっかりとした様子で肩を落としていた事に、憂も気付いていた。
それはこっちのセリフだ、とでも言いたげにジト目でお茶を受け取った憂である。
「……これの詳細のデータ、数値化は終わってるのか? 見せろ」
「頼む態度じゃないよね、鬼鮫ちゃん……。まぁ良いけどさー」
「――ッ、憂さん、それは……!」
「あ……」
つい映像の切り替えボタンを間違え、眼前の映像が切り替わる。
そこには、冥月と武彦の3D映像――しかも、ちょっと二人の限界を迎えようとしながら密着している映像が映し出された。
「…………」
沈黙する3人の前で、憂がゆっくりと画面を切り替えようと手を伸ばすと、憂の前に鬼鮫の手が出された。
「お、怒らないで――ッ!」
「――ちょっと変えるな」
「へ……?」
「ディテクターの痴態だ。これをネタにこき使ってやる……」
まさかの鬼鮫のノリの良さに唖然としながらも、憂は心の中で武彦の冥福を祈る事になるのであった。
to be countinued...
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
いつもご依頼ありがとう御座います、白神です。
まさかの鬼鮫によるGOサインで幕を下ろしました(
やはり彼もこういった部分でまで堅物ではなかった、と……(
ともあれ、これを冥月にまで知られれば、IO2は崩壊しかねませんが……。
どうする武彦……!
そんな感じで書かせて頂きました。笑
お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、今後ともよろしくお願いいたします。
白神 怜司
|
|
|