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<東京怪談ノベル(シングル)>


悪戯な魔女と蛇の王

 ピチョン、と水の滴る音がした。
 それは繰り返し続いて、水路へと流れていく。
 仄暗い石造りの地下水路。
 ここか都内郊外にある古びた洋館のちょうど地下にあたる。
 洋館が作られると同時にこの水路も作られたようで、そこかしこに水苔が自生している。
 人気はないが、怪しげな気配は静かに潜んでいるような雰囲気だった。
 およそ一ヶ月前、響カスミがこの洋館に足を運んだあと、消息を絶っている。
 自分の教え子が行方不明になったことを受け、彼女は単身でこの場に探しに来たのだ。
 朽ちかけた古い洋館というのは、若者にはオカルトスポットとして話題にもなる。
 カスミの教え子の女生徒たちは、やはりその噂と好奇心で足を踏み入れた。
 その先に在たモノは幽霊でも幻でもなく、それ以上に厄介な『魔女』とも知らずに。

 いつの頃からかこの洋館に棲みつくようになった魔女は、モンスターの召喚と魔法生物の生成を得意としていた。自分の心が求めるままに多くの魔物を生成し、地下水路などにそれらを放つ。
 そして、噂を聞きつけてこの場に足を運ぶ人間たちを捕らえては地下へと送り込み、モンスターたちの餌とすることに興じていた。
「ひっ……っ」
 恐ろしさのあまりに震え上がる身体を無理矢理に動かす。
 目に捉えることが出来ない恐怖というものは、進めば進むほどその畏怖の心を煽っていく。
 カスミは怪奇現象と言う類にはとことん弱い。怖くて怖くて仕方がない。
 それでも自分の大切な教え子を探さなくてはならない。
 彼女は教師としての使命と、同じくらいの恐怖心を抱きながら冷えきったドアノブへと手を伸ばした。
『ソッチニ 行ッチャ イケナイヨ』
「!!」
 背後から、か細い声がした。
 カスミはそれだけでも全身が震え上がる。
『ソッチハ アブナイヨ。死ンジャウヨ……』
「だ、誰……っ?」
 恐る恐る振り向くも、その先には何もない。
 真っ暗な廊下があるのみだ。
 ごくり、と喉を鳴らしつつカスミは身体を元に戻して手元を見た。
 指先が触れるか触れないかの位置にあったドアノブに、無数の蛇のようなモノが蠢いていた。
「ヒィッ!!」
 おかしな悲鳴を上げつつ、彼女は大きく後ずさる。
 その勢いで尻もちをついたが、慌てて立ち上がりフラフラと別の道を進んだ。
 耳に纏わりつくものは、先ほどの声の主の楽しそうな笑い声。
『アブナイヨ……。死ンジャウヨ……』
 楽しそうな声と笑い声は、続いた。
 まるで追い立てられるようにして、カスミは走り続けた。
 心はすでに逃げ出したい一方であったが、どこから入ったのかすら憶えていない。きた道を戻ると言っても、こうも暗くてはわからない。だから彼女は、前に進むしかなかった。
 そして、行き止まりの壁が見えたかと思ったその矢先。
「キャアアアッ!」
 ガコン、と足元の床板が外れて、カスミは奈落の底へと落とされていった。
 その場では落ちていくカスミの姿を楽しそうに覗きこむ『魔女』の姿があった。

 再び、水の音。
 ほぼ全身びしょぬれになったカスミが意識を取り戻した所は、洋館の廊下よりも暗く湿った場所だった。
「さっきのは……落とし穴……?」
 落ちた時にぶつけたのか、全身が痛い。そして頭痛もする。
 それを振り払うかのようにしてカスミはふるふると首を振った。
 足元には水が流れていた。それが何かの匂いを含んでいて、カスミは思わず鼻をつまむ。決して良いものではなかったからだ。
 冷たく湿った石壁を伝いながら、彼女は一歩を進み出た。
 パシャン、パシャン、と自分の歩みが進むたびに水音が響く。
 しばらく進むと、人影のようなものが見え始めた。
 そのシルエットに見覚えがあったカスミは、思わず頬がほころぶ。
「あなた達、こんなところに居――」
 視界に映るだけで二人分。
 どちらも自分の教え子のそれであったが、よく考えればここに居座っている事自体が異質だ。
 それにカスミが気づいた直後、影の向こうで揺らめく異形の影があった。
「こ、今度は何……!?」
 低い位置で光る二つの灯り。
 それがゆらり、と動いた後一気に距離を詰めてくる。
「……っ!」
 その勢いにカスミは後ろ手に転んだ。そして眼前に迫る異形のモノの姿に目を見開いた直後、彼女の記憶はふつりと途切れるのだった。



「此処ね、例の洋館は……」
 カスミが消息を絶ってから一月の後。
 再びこの洋館に姿を見せたのは、彼女のアパートに居候しているイアルだった。
 戦いの気配を感じるのか、彼女が身につけているものは肌の露出が多いビキニアーマーであった。蜜のような肌に赤の鎧が美しく映える。
 宿主と連絡が取れなくなり、姿も探せなくなった為に周囲から様々な情報を集めて、イアルは此処に辿り着いたのだ。
 曇天の下、広く大きな洋館がそこにはあった。
 所々が崩れて、屋根も落ちている。とても人が住めるような環境ではなく、嫌な予感しかしない。
 形を成していない門をくぐりぬけ、背を低くして周囲を探る。
 すると横手の壁に大きな穴が開いており、そこから水の音を微かに捉えたイアルは、躊躇いもなくその先へと歩みを進めた。
 地下へと繋がる石畳の階段が在ったためだ。
 歩みを進めるたびに肌に感じるのは『魔』の気配。そしてその先にカスミがいるはずだ、と彼女の勘が呼びかける。
 眉根を寄せつつ石段を降りて、壊れかけた木製の扉を押し開け、イアルは更に先を進んだ。
 長く放置された水路は当然水質が落ちて、悪臭を放つ場になっていた。
 その臭いに頬を引き攣らせながら、迷路のような水路を歩く。
 臭いの強い方向へと道を選び、進んでいくと足元を汚物のようなものが流れていった。
「嫌な場所ね……」
 思わず、イアルの唇からそんな言葉が漏れる。
 こんな場所に自分の大切な友人が居るのかの思うと、それだけで悪寒が走った。
 早く見つけて連れださなくては。
 そう思いながら進んでいると、十字になった道に出た。
 イアルは腰に佩いた剣の柄に手を起きながら、周囲に気を配る。
 彼女の横手に、鈍い光が一瞬チラついた。
 フシュアアア……と明らかに魔物だと思える息遣いも聞こえる。
 イアルの美しい金髪がふわりと宙を舞った後、その先に姿を見せたのは大きなのトカゲのようなモンスター。蛇の王と言われる欧州の想像上の生物と酷似している。
「バジリスク……? なぜ、こんなところに……!」
 イアルはそう言いながら剣を抜く。そして大きく一歩を踏み出して、彼女に襲いかかろうとしているバジリスクへと剣を振り上げた。
 相手と視線を合わせてはいけない。
 バジリスクはその目に石化の能力があると言われているからだ。
 イアルもそれを熟知してるがゆえに、素早く片付けてしまおうと思ったのだろう。
 重い衝撃が両手にビリビリと届く。
 硬い鱗が刃に当たり、ガキンッと音を立てて地下水路に響いた。
 フシュウウウウ……とバジリスクが唸る。
「さすがに、硬いわね……っ」
 反動で身体が反り返ったイアルは、バランスを崩しつつも水面に着地し体勢を整え直す。
 そして間髪入れずに再び泥濘んだ地面を蹴った。
「はぁっ!!」
 気合の声と共に、振り上げられた剣が振り下ろされる。
 今度こそその鱗を割り、肉を切る感触を得た彼女はそのまま思い切り腕に力を込めた。
 グアアアアッと叫ぶのはバジリスク。
 イアルが剣を完全に振り切るその頃には、己の身を切り裂かれた痛みの声がそのまま断末魔の叫びへと変わり、地に沈んだ。
 おそらくは、異世界から何者かに召喚されたのだろう。
 そんなことを思いながら、イアルは周囲を見やった。
 今のところ、他に脅威になるような気配は感じられない。
 そして数歩進んだところで、数人の見知らぬ女の子たちと、驚きの表情のままで石化されてしまったカスミの姿があった。
 バジリスクの視線の力を知らずに浴びてしまったのだろう。そこは巣のような場になっており、食べ滓や汚物まみれになっていた。
「カスミ……!」
 呼びかけ、駆け寄っても反応はない。
 カスミは眼前に迫る魔物に恐怖したままの姿で石化していた。
 冷たく薄汚れた水と、汚物が付着している彼女の姿は見るに耐えないものがある。このまま石化を解けばカスミは病気になってしまうかもしれないと判断したイアルは、カスミと側にいる女生徒の石像を時間をかけて地上へと運び上げた。
 その間、イアルを邪魔するものはなく、頭上で僅かに嫌な気配をちらつかせる程度であったので、彼女自身も気に留めずにやり過ごす。
 洋館から数メートル離れた場所に清流が流れる川があった。ひと目にはつかない場所であったので、そこまでカスミたちを運んで、イアルは綺麗にカスミの身体を洗い流してやった。そうこうしているうちに、曇天のままであった空も暖かな日差しが覗き始める。
 その陽射を浴びながら、イアルはカスミの石化を静かに解いてやった。片足が上がった状態であった彼女のその足がカクリ、と落ちて、カスミがパチパチと数回瞬きをする。
「あ、ら……? イアル? どうしたのその格好……って、なんで私こんなに濡れてるの?」
「……ちょっと、ね。貴女は悪戯した女生徒を連れ戻しに言って川に落ちちゃったのよ」
 カスミには不思議な能力――特技があり、怪異と遭遇した時は直後に気を失い、再び気がついた時にはその時の記憶が綺麗さっぱり無くなってしまうのだ。
 今回も例に漏れず、地下水路のことは覚えてはいないようだ。
「なんか洋館っぽいところに行ったところまでは覚えてるんだけど……肝試しに言っちゃった子を連れ戻したかったのよね」
「その子たちなら、ほら。あそこで気を失っているわ」
「もう、困った子たちね! 早く親御さんにも連絡してあげないと……やだ、なんか臭い!」
「あなた達がいなくなってから、一ヶ月経ってるのよ。だから……」
 腰に手を当てて怒るポーズをしてから、カスミは自分の体臭が宜しいものではないことに気がついて顔色を変えた。
 経緯をイアルから聞いて、彼女はますます青ざめる。
「い、一ヶ月もお風呂に入ってないなんて……っ! 無理、無理無理! イアルっこれからお風呂行くわよ! 付き合って!」
「ええ、そうね。私もキレイになりたいわ」
 教え子たちを抱きかかえながら、カスミは先導を切って歩き出す。自分の体臭がよっぽど許せないのか足取りは早い。
 困ったようにして笑みを浮かべ、彼女の後ろに続くのはイアルだ。彼女の腕にも気を失ったままの女生徒の一人が収まっている。
「……………」
 肩越しに振り向いたイアルの視線の先には、古びた洋館がある。
 あの場を取り巻く空気は未だに良いものだとは思えない。
 このまま放置しておけばまた第二第三の被害者が出るのだろう、と心で思いながら彼女はカスミの後を追って歩む速度を早めるのだった。

『マタ オイデ――』

 そんなか細い声は、二人には届かずに空気に解けて消えた。