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<東京怪談ノベル(シングル)>


石の戦乙女


 世界中に災いを振りまいて、悦に入る。
 愚かな魔女たちであった、としか言いようがない。
 あまつさえ豪華な帆船で入港し、派手な船上パーティーまで行っていたという。
 救いようのない愚か者たちだ、と彼女は思った。
 魔女は、目立つ事をしてはならないのだ。
 こうして山中に潜み、魔物の類を召喚または製造し、戦力として育て上げる。あるいは闇の流通ルートで売りさばき、資金を貯える。
 今はまだ、そういう段階なのだ。そういう時に目立つ行いをすれば、即座に潰される。イアル・ミラール1人によって滅ぼされた、あの愚かな魔女たちのように。
 彼女たちに、同情すべき点は1つもない。
 いや、あの愚かさだけは哀れんでやっても良いか。
 そう思いながら、彼女は水晶球に見入った。
 イアル・ミラールと響カスミが突然、雨に降られて可愛らしく慌てふためいている。その様が映し出された水晶球。
 2人まとめて愛おしむように撫で回しながら、彼女は微笑んだ。
 2人とも、自分のものになる。それを思うだけで、唇がニコリと歪んでしまう。
 あの愚かな魔女たちと自分には、残念ながら1つだけ共通点がある、と彼女は思った。
「それは、美しいものが大好きという事……」
 自分も魔女である以上、それは逃れられない宿命なのかも知れなかった。


 東京郊外の山である。
 だからと言って少し甘く見ていた事を、響カスミは認めざるを得なかった。
「山の天気は変わりやすい、とは言うけれど……悪意すら感じるわね、これは」
 イアル・ミラールが、いくらか呑気な口調で言った。
 大雨である。生い茂る木の葉が、ばしゃばしゃと水飛沫を飛ばしている。
 イアルもカスミも、ずぶ濡れだった。とんだピクニックになってしまった。
「カスミ、大丈夫?」
「だ、大丈夫……じゃないかも」
「そうね、風邪でも引いたら大変。カスミの喉は、守らないと」
 雨宿りが出来る場所を、探しているのだろう。雨の山中を見回しながら、イアルは立ち止まった。その背中に、カスミはぶつかりそうになった。
 雨のせい、であろうか。これほど近付くまで、2人とも気付かなかった。
 建物だった。
 山小屋の類ではない。巨大な、洋館である。豪奢でありながら、どこか寂れている。
「誰かの私有地にでも、入っちゃったのかしら……」
「それなら雨宿りをさせてもらいましょう」
 遠慮のない事を言いながらイアルが、ドアノッカーに手を伸ばした。
 その時には、扉はすでに開いていた。
 女性が1人、そこに立っていた。白い和服が、ぞっとするほど似合っている。
「……お困りのようね?」
 和服の女性が、にっこりと微笑んだ。


 山そのものが、この女性の私有地であるようだ。
「ご、ごめんなさい……勝手に入っちゃって」
「あらあら、いいのよ。ピクニックに来てくれたのなら嬉しいわ……あいにくの、お天気だけど」
 和服姿が、何故だか洋館に馴染んでいる。そんな女性である。
 燃え上がる暖炉の近くで、カスミとイアルは紅茶を振る舞われていた。
「山へ来てくれた人たちに、もっと楽しんでいただける努力をしないといけないわね。ハイキングコースを整備して、山小屋も増やさないと」
「貴女が一番、楽しんでいる……という気が、しなくもないのだけど」
 一口、紅茶を啜り、ティーカップを置いてから、イアルは言った。
「ずぶ濡れの私たちに、着替えをさせてくれて……服を貸してくれた事は、感謝しているわ。でも、これは……」
「あら、いいじゃないの。似合うと思うわ、イアル」
 カスミもイアルも、ドレスのようなエプロンのような……いわゆる『メイド服』を着せられていた。
「ごめんなさいね。お客さんに貸し出せる服が、それしかなくて……でも似合うと思うわ、私も」
 和服の女性が、嬉しそうに微笑んでいる。
 27歳。自分は、メイド服など着るにはそろそろ微妙な年齢ではないかとカスミは思っている。
 が、イアルは20歳である。
 艶やかな金髪と純白のカチューシャ、その色合いが眩しかった。
 豊麗な胸の膨らみが、清楚なエプロンに閉じ込められて、深く柔らかな谷間を作っている。
 力強いほどに凹凸のくっきりとしたボディラインが、全身にフィットしたメイド服によって強調されている。カスミは、思わず見入ってしまった。
「貴女も……似合っているわよ? 響カスミさん」
 和服の女性が、カスミに笑顔を向けた。
「貴女は、とても美しいわ……徹底的に汚してあげたいくらいに、ね」
「え……」
「カスミ、その女から離れて!」
 イアルの手に、長剣が生じていた。
「うかつだったわ……魔女ども、こんな所にまで罠を張っていたなんて!」
 何故だか和服の女性に斬り掛かろうとするイアルの足元で、いきなり床が開いた。落とし穴が、開いていた。
「イアル……!」
 落下して行くイアルに駆け寄ろうとして、カスミは転倒した。
 足元が覚束ない。意識が、朦朧としてゆく。
 紅茶の中に何か入っていたのは、間違いなさそうだ。
「ただの眠り薬よ。心配しないで……」
 和服を着た魔女が、嘲笑っている。
「お前は眠り続けたまま、獣として生きてゆくのよ。美しくも汚らしい、ケダモノとしてね」


 水飛沫が、飛び散った。
 地下水の流れ。その中で、イアルは油断なく身を起こし、長剣を構えた。
 洋館の、地下である。まるで迷宮のような、地下水道。
 おぞましい咆哮が、その全域に響き渡った。
 何体もの魔物が、イアルを取り囲んでいる。地下水の飛沫を蹴立てて、襲いかかって来る。
 トロール、マンティコア、ミノタウルス……様々な種類の怪物たち。
 その真っただ中へ、イアルの方からも踏み込んで行った。
「ミラール・ドラゴン! 私を守りなさい!」
 楯が出現し、マンティコアの毒針を、トロールの棍棒を、弾き返した。
 その間イアルは、別方向に長剣を一閃させていた。ミノタウルスの生首が、宙を舞った。
 ずぶ濡れのメイド服をぐっしょりと貼り付けた肢体が、その見事なボディラインをあられもなく躍動させる。
 楯が、トロールを撲殺した。長剣が、マンティコアを叩き斬った。
「カスミ……!」
 魔女の近くに、カスミを1人、残してしまった。
 梯子や階段の類が、都合良く見つかるはずもない。それでもイアルは、戦いながら見回していた。
 見えるのは、襲い来る魔物たちの姿だけだ。キマイラ、ヘルハウンド、オーガー、それにバジリスク。
 光が、イアルの全身を捕えた。
 バジリスクの、眼光だった。


 魔女の言葉通り、カスミは眠ったまま獣と化した。
 人間の理性を眠らされたまま、獣の本能を覚醒させられ、地下水道へと放逐されたのだ。
「うぐぅ……がぁううぅぅ……」
 そんな声しか出せないようになってから、そろそろ一ヶ月である。
 汚れ、破け、ボロ布になりかけたメイド服を全身にこびり付かせたまま、カスミは地下水道を彷徨っていた。
 覚醒を強いられた野生の本能と、極限の飢餓状態は、か弱い女教師の肉体に、獣の力を目覚めさせた。
 トロールやキマイラを叩き殺し、引き裂いて臓物や肉を食らい、カスミはこの一ヶ月を生き抜いてきたのだ。
「ぐっふ……がふぅるるる……」
 空腹の唸りを漏らしながら、カスミは半ば泳ぐようにして地下水道を這い進んでいる。
 前方に、人影が佇んでいた。
 メイド姿の若い娘が、服を着たまま水浴びをしている、ように見える。
 石像だった。
 しなやかな細腕で楯をかざし剣を振るうメイド。濡れたエプロンドレスが肌に貼り付き、魅惑的で力強いボディラインをぐっしょりと際立たせた、そんな状態で石像と化している若い女戦士。
 食べられるわけでもない石像に、カスミはしばし見入っていた。
 戦いの躍動感を宿したまま石化した女戦士。その姿がカスミの、無理矢理に目覚めさせられた獣の本能よりも深い所にあるものに、何かを訴えかけて来る、静かに、熱烈に。
 激しい水音と、おぞましい咆哮が聞こえた。
 この女戦士を石像に変えた怪物が、そこにいた。
 8本足の巨大なトカゲ……バジリスクである。
 あらゆるものを石に変える眼光、を向けられる前に、カスミは跳躍していた。
 牝獣の肢体が、まるで飛び魚の如く水飛沫を散らせ、8本足の魔獣に躍りかかる。
 可憐な唇が獰猛にめくれ上がり、綺麗に並んだ白い歯が、剥き出しの牙となる。
 バジリスクの首筋に、カスミは喰らい付いていた。
 魔獣のドス黒い血飛沫が大量に噴出し、女戦士の石像をビチャビチャと汚す。


 バジリスクの血にまみれながら、イアルは石化の呪縛から解放されていた。
「…………カスミ?」
 綺麗な歯で魔獣の首を食いちぎりながら、カスミが襲いかかって来る。
 か弱い女教師とは思えぬ高速の襲撃をかわしながら、イアルは剣を振るった。刃ではなく柄尻を、カスミの首筋に軽く叩き込んだ。
 痛々しく血走った眼球を裏返しつつ、カスミは気を失った。
 倒れ込んで来たその身体を、イアルは左腕で抱き止めた。
 そして周囲を見回す。
 トロールが棍棒を振りかざし、ミノタウルスが戦斧を構えている。マンティコアが毒針をきらめかせ、ヘルハウンドが炎の吐息を小刻みに漏らしている。
 魔物の群れが、イアルとカスミを取り囲んでいた。
 切り抜ける。選択肢は、それしかない。
「カスミ、貴女だけは守る……私の命に代えても」
 言うまでもない事を、イアルはあえて口に出していた。