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<東京怪談ノベル(シングル)>


破滅の少年


 悲鳴を上げながら、ガラス窓に頭突きをしている少年がいる。真紅の飛沫が、ガラスの破片と一緒に飛び散った。
 同じく悲鳴を上げながら、金属バットでガスガスと殴り合っている少年たちがいる。
 あの時の父と同じ悲鳴だ、と勇太は思った。
 コードで自身の首を絞めながら、青ざめ舌を出している少年もいる。
 他にも何人かが、教室のあちこちに散らばり倒れ、血まみれの様を晒している。
 工藤勇太は、何もしていない。
 このクラスメイトたちが、勝手に殴り合いを始めたり、壁や窓にぶつかったり、椅子や机で自分の頭を殴ったり、しているだけである。
 派手な自傷行為を繰り広げる男子生徒たちを、勇太はただ見ているだけだ。その目を、淡く翡翠色に輝かせながら。
 禍々しく緑色に輝く両眼が、ちらりと動いた。
 今のところ自傷行為に参加せず、無傷のまま震えている1人の少年に、勇太は眼光を向けていた。
「……もっと嬉しそうな顔しても、いいんじゃないかな」
 微笑みかけ、語りかけてみる。
「お前さ、こいつらにお金取られてたんだろ? ズボン脱がされたり、虫食べさせられたり、してたんだろ?」
「…………」
 無傷の少年は、何も言わない。青ざめ、怯えるだけだ。
 某県の公立中学校、1年C組。
 工藤勇太の中学校生活はここから始まったわけだが、早くも終わってしまいそうであった。
 小学生の時から同じ騒動を繰り返し、転校を重ねてきた。
 保護者である叔父も、うんざりしている事だろう。
 捨てられたら捨てられたで構わない、と勇太は思っている。嫌嫌ながらでも今まで生活の面倒を見てくれた、その恩は、この力を使って返せばいい。
 例えば、どこかの銀行から大量に金を奪い、叔父の自室にでも詰め込んでおく。
 それで恩は返した事になる。しがらみは切れた事になる。
 その後は誰の世話にもならず、自由気ままにこの力を振るい、適当に生きてゆくだけだ。
 あの研究施設にいた男たちは、言っていた。君の力は、世界を救う事が出来る。世界を滅ぼす事も出来る、と。
 君は神にも悪魔にもなれる、と。
(別に……神様にも悪魔にも、なろうって気はないけどね)
 この力があれば、働かずとも適当に生きてゆける。
 勇太は、それで良かった。
 生きるために必要なものは、この力を使って奪う。盗む。積極的に他人を傷付けるような事は、まあ出来るだけしない。ただ不愉快な輩がいたら、このように懲らしめる。
「充分……幸せじゃん? それって」
 勇太の独り言に、何者かが応じた。
「まったくだな。化け物の世話になって、安穏と暮らす……これ以上ない、幸せな生き方だ」
 男が1人、いつの間にか、そこにいた。教室の壁にもたれて佇んでいる。
 年齢は30代半ば。平凡なサラリーマンのような風貌だが、眼光は鋭い。その目が、勇太に向けられている。
「実際あれだ、お前くらい幸せな奴はいないぞ? その力で、何でも出来るんだからな」
「…………!」
 勇太は睨み返した。
 少年たちの自傷行為が、止まった。
 全員、血まみれで痙攣している。死体の1歩手前という有り様である。辛うじて死んではいないが、別に殺しても良かった、と勇太は思う。
「どうした? 続けろよ。中途半端な事するな。ここまでやっちまんたんだ、全員綺麗に殺してやったらどうだい」
 壁にもたれたまま、男が言った。
「心配するな、殺人事件にはならんよ。お前の力を裁ける法律なんて、ないんだからな」
「法律の代わりに、あんたたちが裁いてくれるんじゃなかったのかよ……!」
 勇太の両眼が、緑色に燃え上がる。
 教室の壁全体に、ビキッ……と亀裂が走った。
「俺が何かやらかしたら、化け物として容赦なく始末する! それが、あんたの仕事じゃないのかよ!」
「こんなの、やらかした内には入らんよ。可愛い可愛い」
 死にかけている男子生徒たちを見回しながら、男は言った。
「我々IO2にとって、お前は大事な研究材料だ。むしろ何か、もっとやらかしてみろよ。用済みになるまでデータ採ってやるから、な?」
「…………」
 勇太は舌打ちをした。急に、何もかもが馬鹿馬鹿しくなった。
 男に背を向け、教室を出る。
 出る寸前、視線を感じた。
 無傷の少年が、相変わらず怯え震えながら、上目遣いに勇太を盗み見ている。
 恐ろしい怪物を見る、眼差しだった。
 自分もかつて実の父親に、こんな目を向けていたのだ、と勇太は思い出した。


 職もなく、酒以外にすがるもののなかった父親は、世間から見れば社会的弱者だったのだろう。
 だが幼い勇太にとっては、絶対的強者だった。暴君だった。悪魔だった。怪物だった。
 その怪物を倒すために勇太は、別の怪物の力を借りなければならなかった。
 生まれた時から自分の内に潜んでいた、怪物。
 それが目覚めた結果、父も母も、勇太の傍からいなくなった。
 目覚めてしまった怪物、以外の全てを失ってしまった幼い男の子を、とある研究施設が、物の如く買い取った。
 その金で、母を良い病院に入れてやる事が出来た。
 母への恩はそれで返した、と勇太は思っている。
 ともかく、その研究施設で勇太は、まさに物として扱われた。
 そして、この男に救出されたのだ。
「……あんたには本当、感謝してるよ」
 助手席に座ったまま男の方は見ず、勇太は言った。
「借りを返すために、俺は何をすればいい?」
「何だ、借りだと思ってるのか? 一丁前に」
 軽快にハンドルを操りながら、男が笑う。勇太は応えた。
「とっとと返して、おさらばしたいんだよ。あんたとは」
「そう言うな。俺は、お前の叔父さんとは古い付き合いでな」
 叔父自身も、言っていた事だ。
「それに、俺とおさらば出来ても別の奴が来るぞ。IO2は、お前を絶対に逃がさない。そういう組織さ」
「……どういう組織なんだよ。そのIO2ってのは、そもそも」
「くそ野郎の集まりさ。何なら入ってみるか?」
 男の口調は、あながち冗談とも思えぬものだった。
「何だかんだで、お前ももう中坊だ。そろそろ進路ってやつを考えないとな」
「……そのIO2に、就職でもしろって?」
「そんな事は言わんよ。言われて出来る仕事でもないしな」
 男は、にやりと笑った。
「ただ……お前向きの職場だとは思うぜ」
「くそ野郎の集まりだから?」
「はっははは」
 男は、笑ってごまかした。


 学校の前で、車は止まった。
 もう送り迎えしてくれなくていいよ、と勇太は何度も言っているのだが。
 この学校にも、あと何日通えるのかわからない。
 勇太が校門を通り抜けると、生徒たちがちらちらと視線を向けてきた。露骨に目を逸らす者もいる。
 毎度の事だ、と勇太は思った。結局、またしても転校する事になるのだろう。
 ちらり、と勇太は視線を動かした。
 教師が1人、慌てて目を逸らせ、すたすたと逃げて行く。
「遠慮するなよ。化け物に興味があるんだろ? ようく見ろって……よく見ろよ、どいつもこいつも!」
 勇太は叫んでいた。
「バケモノがここにいるぞ! ほらよく見ろよ! 石でも投げつけてみろおおおお!」


 自分の叫び声で、フェイトは目を覚ました。
 いくらか慌てて、見回してみる。
 インドからニューヨークへと向かう、旅客機の中である。
 客たちは、声を潜めて談笑したり、眠ったりしている。
 フェイトは安心した。おかしな寝言を叫んでしまった、わけではないようだ。
「……黒歴史、ってやつかな」
 溜め息混じりに、フェイトは苦笑した。
 あの頃の事を夢に見たのは、本当に久しぶりである。
「ああいうの、中二病って言うのか? ……ちょっと違うか。何にしても、ろくな奴じゃなかったよな。中学の時の俺って」
 高校生になってからは、いくらかマシにはなったのかも知れない。そこそこ社交的な高校生活を送っていたような気がする。普通に友達もいた。その中には、人間ではない者もいたが。
 あの男の思惑通り、なのであろうか。結局、IO2で働く事となってしまった。
 志願した理由は、実はフェイト自身にもよくわかっていない。少なくとも、明確な言葉で他人に説明出来るような理由はない。
 あの男を、何らかの形で見返してやりたい、という気持ちもあったのかどうか。
「あいつに上手く乗せられた、だけかも知れないなあ。俺って奴は」
 IO2に入ってからは、あの男とは会っていないし連絡もない。生きているのかどうかも、わからない。
「別に会いたいわけじゃないけど……な」
 フェイトは欠伸をした。
 ニューヨークに着くまで、もう一眠りくらいは出来るかも知れない。おかしな夢を見なければ、の話だが。