コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


解けない呪いと夢語り

 室内に、野犬のような唸り声が響いていた。
 響カスミが、床に獣のように四肢をつき、歯を剥き出して威嚇の声を上げている。
 対峙しているのは、同居人のイアル・ミラールだ。
 一ヶ月前、とある洋館へ出向いたまま姿を消したカスミは、イアルが見つけた時にはまるで野生の犬のようだった。彼女を捕らえていた魔女をイアルが倒すことで、正気に戻った――最初はそう思ったものの、呪いは解けてはいなかったのだ。
 あれから数日。
 昼間はこれまでと変わらない様子のカスミだが、夜になると今のように野生化して暴れる。それをなだめるのは、イアルしかいない。
 この日もやはりそうだった。
 イアルは、なんとか彼女を捕らえ、あてみを食らわせて失神させた。そのままベッドに運び入れ、小さく溜息をつく。
「……なんとかして呪いを解く方法を見つけないと。このままでは、カスミの心身のためにもよくないわ」
 低く呟き、イアルはカスミの前髪をそっと掻き上げてやった。

+ + +

 カスミは、夢を見ていた。
 夢の中の彼女は、女傭兵だった。
 長い金の髪に赤い瞳、白い肌。豊満な体型は現実とかわらないものの、明らかに日本人ではない外見で年も若く、その身には軽い鎧を帯び、剣を携えている。
 時代は、中世だろうか。周囲の人々は馬や徒歩で移動し、建物はどれも無骨な石造りのものばかりだ。酒場ではエールがふるまわれ、宿屋ではお茶やコーヒーのように、温めて砂糖を入れたアルコール度の低いワインが出される。
 彼女も馬を駆ってはさまざまな土地を渡り歩き、夜は宿屋の食堂で同じ傭兵の男たちと共に焼いた肉をナイフで切り分け、温めたワインやエールを酌み交わした。
 そんな中、彼女は現代では名前すら残っていない小さな国へとやって来た。
 頻繁に大国からの攻撃に晒されており、常に傭兵を募集しているという噂を聞いてのことだった。
 門をくぐった途端から、誰かにつけられているとは感じていた。
 だが、酒場で声をかけて来た男は見るからに人が良さそうで、油断してしまった。
 おそらく、ワインに何か混ぜられていたのだろう。さほど杯を重ねた記憶はなかったのに、意識が飛んだ。
 次に目覚めた時には、薄暗い部屋の中央に据えられたベッドの上にいて、黒いフード付きマントに身を包んだ男たちに取り囲まれていた。もちろん、彼女の手足はベッドに固定されていて、身動き一つままならない。
「おまえたち、何者だ。いったい、何をするつもりだ?」
 なんとか縛めを解こうと身をよじりながら、彼女は叫ぶ。
 それへ、マントの男たちの一人が歩み寄って来て言った。
「何も案ずることはない。……おまえはこれから、我が国の第一王女にして鏡幻龍(ミラール・ドラゴン)の巫女たるイアル様となるのだ」
「なんだと? それはいったい、どういうことだ」
 驚いて返す彼女に、男は続ける。
「イアル様となれば、おまえはもう傭兵として厳しい旅を続けることも、戦に出ることもない。ただ、巫女としてこの国を大国の脅威から守ってくれればよいだけのこと。……心配せずともよい。全てよくなる」
「何が全てよくなるだ……! 私はそんな王女になど、なりたくない。離せ!」
 必死に身をよじってみるが、縛めは驚くほど頑丈で、体は自由になりそうになかった。
 男はそれを見下ろし、周囲の男たちにうなずきかける。男たちもうなずき、彼らは静かに詠唱を始めた。それは、彼女の知らない言葉で、まるで波音のような響きを持っていた。
 それを聞くうち、彼女は次第に意識が混濁し、やがて気を失った。

 意識を取り戻した時、女傭兵は自分がそうだったことをすっかり忘れ去っていた。
 それまで名乗っていた名前も、生まれた場所やこれまで生きて来た日々のことも全て。
 かわって彼女の中にあるのは、この小国の第一王女イアルとしての記憶だった。
 夢を見ているカスミには、本物の王女イアルがすでに死亡してしまっていることや、女傭兵と王女イアルが瓜二つと言っていいほどそっくりで、だから替え玉にされたのだということもわかったが、夢の中の女傭兵自身にはそれらのことはまったく理解されていないようだった。
 こうして、女傭兵の王女イアルとしての日々が始まった。
 イアルは民からも周囲の人々からも慕われ、国は平和で、全てが穏やかに流れて行く。
 唯一の憂いは、隣に位置する大国からの侵略で、女傭兵がイアルとなってからも、何度か軍隊が攻め寄せて来たことがあった。
 だが、それもまた彼女が鏡幻龍を使役することで撃退し、なんとか大国の支配をまぬがれていた。
(……それにしても、巫女としての力まで与えることができるなんて、すごい技術ね)
 カスミは、夢を見ながらそんなことを考える。

 だが、平和はけして悠久のものではなかった。
 女傭兵がイアルとなって、何年かが過ぎたある年のこと。
 またもや、隣国の軍隊が攻め寄せて来た。
 イアルはこれまでと同じように、鏡幻龍の力を借りてその軍隊を追い払おうとした。だが、この軍隊は驚くほど強く、しかも数も多かった。年月の経過と共に、大国の軍事力は更に上がっていたのだろう。
 小国の兵士たちは必死に戦い、イアルもまた鏡幻龍と共に奮闘した。
 けれども。本物の鏡幻龍の巫女ではない女傭兵のイアルには、この戦は荷が勝ちすぎた。
 とうとう敵は、王城にまで攻め入って来たのだ。
「イアル様、どうぞお逃げ下さい!」
「今ならまだ、我々がなんとか食い止められます。どうぞ、抜け穴から外へ!」
「姫様さえ無事ならば、きっと我が国は再び立ち上がることができます」
 大臣や将軍たちの言葉に、イアルは後ろ髪を引かれる思いで自分の部屋の壁に造られた抜け穴をくぐった。
 護衛の兵士と侍女の二人に伴われ、イアルはただ抜け穴から続く暗い抜け道を必死に走り続けた。
 ようやく出口が見えた時、彼女はホッと安堵の息をついたものだ。
 けれど。先に立って外に出た護衛の兵士は、鋭い悲鳴と共に切り倒され、イアルを抜け道へ押し戻そうとした侍女もまた、絶命した。
 たった一人となったイアルは、敵の兵士に取り囲まれ、投降する以外にすべがないと知って、ただ唇を噛み、悔し涙にくれたのだった。

 捕らわれたイアルは、捕虜として軍隊と共に隣国へと連行され、王の前に引き出された。
「まったく、なんということだ。こんな小娘が、これまで我が国の侵攻を阻んでいたとは」
 王は憎々しげにイアルを見据え、言った。
「わたしを、どうするつもりなの?」
 相手を睨み返して問うイアルに、王は口元をゆがめた。
「そなたには、見せしめになってもらおう。我が国に逆らえばどうなるのか。我が国が他国を支配するというのは、どういうことか。誰の目にもはっきりとわかるようにな。そうすればもう、我が国に逆らうような愚かな国は、出ては来ないであろうさ」
 言って王は、傍に控えていた男に顎をしゃくる。男がうなずき、静かにイアルに歩み寄った。
「な、何を……」
 恐怖を感じて、イアルは逃げようとするが、左右にいた兵士らが彼女の腕をそれぞれつかんで逃がさないようにする。
 そのイアルの前に立ち止まった男は、彼女の目の前に小さな水晶玉を差し出した。
「え?」
 彼女が思わず目を見張った途端、水晶玉がちかちかとまたたく。その光を見詰めるうち、イアルの目は半ば眠っているかのようにとろんとなり、抵抗も止んだ。
 男は彼女に、催眠術をかけたのだ。
 男に合図されて、兵士らは彼女の腕を離すと共に、衣類を全て剥ぎ取った。
 だがイアルは、羞恥や怒りの声を上げることもなく、ただおとなしくそこに立っているばかりだ。その彼女に、男が低い声でポーズを取るように命じる。
 やがて、男の命じるままにいくつかのポーズを取ったイアルは、その中の花束を手に微笑みながら立った姿でじっとしているよう言われた。
 従順にそれに従う彼女の上に、石化の魔法がかけられる。
 ほんのまたたき一つの間に、イアルは石のレリーフと化していた。
 男はそれを眺めやり、背後の王をふり返る。
 玉座の上で、王は満足げにうなずいた。
「ふむ。悪くないな。……ではこれを『裸足の王女』と名づけよう。城内の最も目につく場所に飾り、あの小国を我が国が支配したことをおおいに喧伝してやるがいい」
「は」
 王の命令に、男は深くうなずき、頭を垂れた。

+ + +

「あ……」
 カスミが目覚めた時、あたりはまだ暗く、真夜中だろうと知れた。
 室内を見回し、荒れた様子にまた暴れてしまったのかと、小さく吐息をつく。そしてふと、傍らから聞こえる寝息に気づいて、そちらをふり返った。
「イアルさん……」
 寝息の主は、イアルだった。自分を抱きしめるようにして眠る彼女に、カスミは小さく唇を噛む。
「私、迷惑かけちゃってるのね……」
 呟いてふと、さっきまで見ていた夢の内容を思い出す。
(あの夢……)
 目覚める寸前に彼女が見たのは、すっかり苔むして汚れ、悪臭さえ放つようになった「裸足の王女」の姿だった。
(あれは、イアルさんだったわ。……ということは、あの夢はイアルさんの過去? でも……)
 軽く眉間にしわを寄せ、カスミは考え込む。
 もしもあの夢が、イアルの過去で、実際にあったことだとしたら、イアル・ミラールを名乗るこの女性は、本当は王女イアルの記憶を上書きされた女傭兵だということになる。
(そのこと、イアルさん本人は覚えていないのよね。でも……そうか、彼女に優れた戦闘能力があって、愛用の剣や盾を持っているのは、こういう訳だったのね)
 以前から、不思議に思っていたことが、ようやく理解できた気がした。
(この夢の話は、彼女には……しない方がいいわね)
 胸に呟き、カスミは小さく首をかしげる。
「にしても、どうしてイアルさんの過去を夢に見たりしたのかしら。……呪いの副作用、なのかしら」
 思わず声に出して呟き、そういう可能性もあるかもしれない、とふと思う。
 その声に反応したのかどうか。
「う……ん」
 イアルが小さく声を上げ、もぞもぞと体を動かす。ただ、腕はカスミの体に回ったままだ。それに気づいて、カスミは顔をくもらせた。
「ごめんなさい。大変な思いをさせて」
 低く詫びて、彼女は起こしていた半身をベッドに横たえる。
(今夜はもう、暴れ出しませんように)
 胸の奥で祈りの言葉を唱えると、そっと目を閉じた――。