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Art.2 ■ 盗難騒動
「――いやはや、困ったものです、ハイ。
まさか今回の目玉とも呼べる〈神の涙〉が何者かによって盗まれるなんて……」
ピエロの仮面を被った〈劇場の支配人〉の一人が、来賓室へとやって来てアリスへと釈明を開始した。
相変わらず仮面を取る事はないが、それでもわざわざこうして説明しに来ているのは当然の事だろう。
闇のルートで売り捌かれる物。
それを取り仕切る、彼らが持っていた〈信頼〉。
これらが全て、この一件で水泡に帰する可能性ですらあるのだ。
それはつまり、彼らにとっての商売が商売として成り立たなくなるという事を示唆する事になる。
アリスは淡々とそんな事にまで思考を巡らせると、支配人へと向かって声をかけた。
「起きてしまったのは仕方ないです。この程度の事でわたくしも作品を譲渡出来なくなってしまうのは御免被りたいのです」
「いやはや、時兎様のご厚意には感謝の言葉もありません」
アリスの言葉を素直に受け取ったのか、支配人はすっと頭を下げて感謝の意を告げた。その行動は、その姿を見ていたアリスが僅かばかりに口角をつり上げた瞬間を見逃すことになる。
「とにかく、今は何人たりともこの会場の外には出られないように会場を封鎖して欲しい所です。参加者、管理者、一般客。全てが容疑者である以上、今この場にいる何者かがまだ〈神の涙〉を持っている可能性が高いのですから」
「え、えぇ、分かりました」
「それと、わたくしもそちらに参ります。この様な形となってしまったのですから、調査に協力するのも吝かではないですから」
その言葉と共に支配人にアリスの魔眼が催眠状態へと陥らされた。
◆ ◆ ◆
警備状況についてなどの配置、そして保管状況に関する証言を得ながらアリスも会場へと姿を現した。
その子供らしい体躯の小ささなどに、わざわざ残しておく必要があるのかと訝しむ者もいれば、アリスを今までに見た事のある落札者などは肩を竦めて自分も巻き込まれてしまったと訴える者もいる。
そんな中、アリスはゆっくりと目的の少女へと視線を向けた。
10億もの大金を迷うことなく落札させてみせた金髪の少女。
かの『虚無の境界』の一人、エヴァ・ペルマネントとアリスの金色の瞳が交錯する。
(……下手にこの眼を使って警戒されるのも厄介な事になりそうです)
アリスはエヴァへの魔眼を控えてその身体をすっと一瞥する。
女性らしい特有の膨らみなどはあまり目立たないが、整った表情と外国人らしい手足の細さなどは、やはり日本人のそれとは異なる。
髪の毛の金色も相俟って、もしも彼女を自分のコレクションに加えることが出来たら、とは思ったものの、アリスはそれを一度断念する事にした。
(さすがに、わたくしを子供だと思って油断はしてくれなさそうです)
エヴァは間違いなく自分に向かって視線を向けている。そんな雰囲気を肌で感じたアリスはポーカーフェイスを張り付けてゆっくりとエヴァへと歩み寄った。
「先ほどは意図せずとは言えあんな場所からのご挨拶となってしまって申し訳ありませんです」
「……いえ、構わないわ。それより、気付いていたの?」
「えぇ、あんな風に視線を合わせられれば必然と」
二人の邂逅はまるで、互いの魂胆を探るようなやり取りでもあり、それでいてただの世間話とも見えてしまう会話であった。
アリスにとってみれば、エヴァという存在は魅力的であると同等に危険な存在であった。
一歩間違えればかの『虚無の境界』を敵にまわす事になりかねない。その上、マジックミラー越しに立っていた自分と、目が合ってから笑みを浮かべているのだ。
どういう原理かは未だ不明ではあるものの、そのエヴァの行動に驚かされたのは記憶に新しい。
対するエヴァもまた、目の前にいる少女然としたアリスの姿を見て感じ取るものがあったようだ。
(……面白そうな子ね)
一見すれば小さな身体の少女にしか見えないアリスを、エヴァはそう評価した。
佇まいや顔立ちはともかく、その放たれている雰囲気は紛れも無く異質なもの。どちらかと言えば、自分達――〈虚無の境界〉に近いものがあるのかもしれない。
見定める様に視線を送ったエヴァは、ある意味では〈神の涙〉が盗まれたこの騒ぎにも小さな楽しみを見つけた気分でアリスを見つめた。
「それで、わざわざ話しかけて来た理由を訊いても?」
「もちろんです。今回の騒動の犯人探しに協力しようかと思っているのですよ」
「……協力?」
「はいです。
すでに会場内は全て封鎖。それに、盗難騒動があってからは館内から従業員や業者ですら出入りは許していません」
「ずいぶんと手を回すのが早いのね」
「勘違いしないでもらえると幸いなのです。わたくしは別に、今回の騒動に対しては関与していないのです。ただ、常連の出品者として支配人達と面識があるので、すぐにそう指示をさせてもらっただけなのですよ」
アリスの言葉にエヴァは僅かに眉を動かした。
(……支配人“達”。それに、堂々とした物言い。ここは協力してもらった方が〈神の涙〉を確実に手に入れられそうな相手、かしら)
アリスをそう評価したエヴァは、心の中で警戒のレベルを一段階下げる。
そんなエヴァの心の機微を察したアリスは、エヴァには見えないように小さく安堵した。
(せっかくのコレクション候補に警戒されては元も子もないのですよ……。
それにしてもさすがと言えるですね。今もまだ何かあれば十分に対応出来る距離を保ちながら、それを表には出さないで対話する能力。さすがは〈虚無の境界〉の一員……いえ、幹部の一人、でしたね)
互いに腹の中を見せずとも、互いの評価は高い位置にあると言えた。
「ありがたい申し出ね。常連のユーなら分かっているとは思うけれど、私はこのオークションには参加したことがないの。上役と繋がっているユーが協力してくれるのなら重畳だわ。
ただし、一つ試させて欲しいのだけど」
「試す、ですか?」
「えぇ、簡単な質問に答えて欲しいのよ」
互いに視線を交錯させながら、エヴァとアリスは向かい合う。
「構わないですよ」
「そう、ありがとう。こういう場だから、あまり相手を最初から信用しない方が良いと思って。初心者なりの身の振り方、とでも言うべきかしらね」
その前置きにアリスは素直に感嘆した。
こんな場だからこそ、裏の者達は互いに自分を低く見られないように警戒し、時には敢えて高圧的な態度に出る者も決して少なくはない。
そんな中、出品者の常連であると告げたアリスに対して、初心者である事を利用するというのは、無駄な挟持に振り回されていない証拠といえるだろう。
くだらない挟持を捨てられるだけの実力と自信があるのだろう。
そう考えながら、アリスは続きを促した。
「ユーは本当に、この会場に〈神の涙〉が持ち込まれていたと思う?」
「……なるほど、確かにそういう考え方もあるですね」
そう答えて一拍置いたアリスは思考を巡らせた。
確かに、この状況であれば最初から〈神の涙〉はなかったという可能性もない訳ではない。客寄せパンダではないが、名前を出して注目度を浴びようとするというのも決して珍しくはないのだ。
しかしアリスは、僅かな逡巡の後で淀みなく答えた。
「それは有り得ません」
「……それはこの会場を信頼しているから、かしら?」
「いいえ、客観的に見ても有り得ないと判断したからです。
確かに客寄せの為だけに名前を出す事は可能です。ですが、それをやってしまえば今後の収益が消え去ってしまうですよ。それに加えて、わざわざ“盗難された”と発表するリスクが高すぎるです」
「どうして? 今後集客をするつもりがないなら、“盗難された”と告げても痛くも痒くもないでしょう?」
「それも間違いではありませんが、そんな言葉をわざわざ告げるぐらいなら落札者を通した後でも良かったはずです。会場内にまだ客が残っているタイミングでこんな騒動を起こすのはリスクが高まる一方です。
もしも騙し、あげくに逃げるつもりであるならば落札者を別室へと連れて行った後でそうするべきだと考えるですよ」
アリスの答えを咀嚼する素振りを見せながら、エヴァは小さく笑みを浮かべた。
「……ごめんなさいね、試すような真似をして。気付いていたのでしょう?」
「今の質問が試金石となっているのは気付いていたですよ」
「フフ、これは予想以上の当たりね。では申し出の通り、犯人探しに協力してもらえるかしら?」
「えぇ、もちろんです」
二人の交渉が成立した瞬間であった。
to be countinued...
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ご依頼ありがとう御座います、白神です。
お久しぶりです。
前回の続きという事で、今回はエヴァとの邂逅と
協力者へとなる為の交渉の描写をさせて頂きました。
犯人探しには乗り出せてはいませんが、
エヴァとアリスさん、二人の駆け引きを
お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、今後ともよろしくお願いします。
白神 怜司
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