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<東京怪談ノベル(シングル)>


ラグナロクへの船出


 機内で一眠りしている間に、教官からメールが届いていた。
「お……生まれるのか、いよいよ」
 スマートフォンの画面の中で、教官の妻である女性が、大きなお腹を撫でながら微笑んでいる。
 生まれる赤ん坊の性別くらいは医者に訊けばわかるのだろうが、訊いてみようという気が教官にはないようだった。
 生まれてからのお楽しみ、男だったらこういう名前、女ならこんな名前……そんな事が落ち着きなく書き綴られたメールに、なだめるような返信を送りながら、フェイトはタラップを降りた。
 懐かしの、と言うべきかニューヨークである。
「さてと……今日1日くらいは休める、かな?」
 フェイトは呟いたが、その希望は即座に打ち砕かれた。
 IO2本部からの、着信であった。
『インドでの任務、御苦労だった。さっそくで悪いが、そのままフロリダへ向かって欲しい』
 女性上司の口調から、フェイトはただならぬものを感じた。
『本腰を入れて反対するべきだった、と君は言っていたな……それは我々にも言える事だ』
「まさか……」
 フェイトは息を呑んだ。
 忘れかけていた、だが決して忘れてはならぬものが、記憶の底から甦って来た。
「……錬金生命体?」
『フロリダ州で、その存在が確認された。今のところ破壊・殺傷の類を行っている様子はないのだが』
「何か、やらかしてからじゃ遅いですからね」
『君の教官が、同じ事を言って一部隊を率い、現地へ向かった……そして、連絡が取れなくなってしまった』
「何で……!」
 教官を行かせたんですか、とフェイトは叫んでしまいそうになった。
 もうすぐ子供が生まれるという者を、危険な任務から外す。そんな事が出来るほど、IO2は余裕のある職場ではないのだ。
 速やかにフロリダへと向かう旨を告げ、フェイトは電話を切った。
 そうしてから、教官からのメールを再び呼び出してみる。
 お腹の大きな妻に寄り添って微笑んでいる教官に、フェイトは語りかけた。
「このメールが死亡フラグ……なんてのは勘弁ですよ、教官」


 ここフロリダは、アメリカ全土で最もシンクホールの発生が多発している州であるらしい。
 現地のIO2関係者いわく、教官の部隊は錬金生命体捜索任務の最中に突然、地面に生じたシンクホールに落下し、そのまま行方がわからなくなっているらしい。
 穴に落ちる。はたから見ている分には、いくらか間抜けではある。
「だからって笑えませんよ、そんなんで死んじゃったら」
 この場にいない教官に言葉をかけながら、フェイトは引き金を引いていた。
 攻撃の気配が、様々な方向から伝わって来たのだ。前後左右、だけではなく真上からも、斜め上方あらゆる角度からも。
 2丁の拳銃が、フェイトの左右それぞれの手で火を噴いた。
 フロリダの地底に広がる洞窟。その暗黒を切り裂くように、無数のマズルフラッシュが閃く。
 閃光の中に浮かび上がったものを、フェイトは見据えた。翡翠色に輝く双眸で、はっきりと捉えた。
 猿のような身体を包む迷彩装備。昆虫に似た仮面。その手には、大型のナイフが握られている。
 見間違えようもない、錬金生命体の群れ。洞窟の岩壁や天井を蹴りつけ、縦横無尽に跳躍し、フェイトを襲う。
 そして、フルオートの銃撃に薙ぎ払われてゆく。
 頭部や心臓を正確に撃ち貫かれた錬金生命体たちが、洞窟内あちこちに落下し、動かなくなった。
 その屍を見回し、フェイトは呻く。
「何だよ……何にも終わってないじゃないか」
 ヴィクターチップのマスターシステムを破壊する事で、騒動に終止符を打った。そんなつもりでいたのだが。
 教官たちが落下したシンクホールにフェイトは入り込み、地下へ地下へと下りてゆき、この洞窟にたどり着いた。洞窟自体は、天然の産物である。
 そこに住み着いて、良からぬ企てを進めている者たちがいる。
 今の錬金生命体による襲撃が、それを物語っていた。
 それを調べるために教官たちは、奥へ奥へと進んで行ったに違いない。
「ったく……子供が生まれるからって、張り切り過ぎなんだよ」
 呟きながら歩いているうちに、フェイト気付いた。
 暗黒に満ちていた洞窟内が、少しずつ明るくなってきている。
 光源なき地底である。電気を持ち込んでいる者たちがいる、という事だ。
 フェイトは足を止めた。
 地中とは思えないほど広大な空間が、そこに広がっていた。
 巨大な、天然の空洞。そのあちこちに、わけのわからぬ機械類が据え付けられている。
 白衣を着た技術系の男たちが、それらを操作しながら動き回っていた。
 彼らが何をしているのか、フェイトは何となく理解した。
 空洞の中央に、巨人が佇んでいるからだ。
 身長50メートル近い、機械の巨人。
「ナグルファル……我らは、そう名付けた」
 白衣の男の1人が、馴れ馴れしく歩み寄って来て言った。
「神々に挑む、戦船よ……そう、我らは大いなるラグナロクを引き起こす。世は滅び、人々は霊的進化の時を迎えるのだ」
「虚無の境界……お前ら本当に、どこにでもいるよな」
 会話に応じながら、フェイトは男に拳銃を向けた。
 銃口を恐れた様子もなく、男が不敵に笑う。
「インドで、ずいぶんと派手な事をしてくれたようだな……同志の仇、討たせてもらうぞ」
 ナグルファルと呼ばれた巨人を護衛するかの如く、何かの群れが飛び回っている。
 それらがヴゥーンと羽音を発し、こちらへ向かって来ていた。
 錬金生命体。その背中で昆虫の翅を震動させ、飛翔し、空中で小銃を構えている。
「この北米大陸ではな、キリスト教によって駆逐された先住の神々が、今では邪悪なる精霊に落ちぶれて大量に漂っている……それらを召喚し、錬金生命体どもに憑依させたのだ」
 白衣の男が、得意気に語る。
 錬金生命体。その存在をこの洞窟において確認した時から、フェイトはある嫌な予感に苛まれていた。
「……1つ、訊いていいかな。冥土の土産ってやつだ」
 ちらり、とナグルファルに視線を投げる。
「こんなデカブツ、どうやって動かすつもりなのかな?」
「見当はついているのだろう、IO2のフェイトよ」
 白衣の男の口調が、不快な笑顔が、全てを物語っていた。
「ヴィクターチップ……!」
 嫌な予感が的中した、とフェイトは思った。
「バックアップ取った奴がいる、とは聞いてたよ。どうせ虚無の連中だとは思ってたけど!」
 飛翔する錬金生命体の群れが、空中から小銃を乱射してくる。
 フェイトは跳び退り、転がり込んだ。
 それを追う形に銃撃が地面を穿ち、無数の火花を発生させる。
 火花に追われながらフェイトは転がり、拳銃2丁を空中に向けて引き金を引いた。
 返礼の銃撃。
 嵐のような銃声が轟き、そして爆発が起こった。
 花火の如く咲いた爆炎が、錬金生命体たちを灼き砕いてゆく。
「爆薬弾頭は、たんまりもらって来たんでね……!」
 空中から銃撃を浴びせて来る敵。危険である。最優先で全滅させなければならない。
 そう思うあまりフェイトは、地上への警戒を怠っていた。
 気付いた時には、すでに遅い。
 先程、洞窟内で出会った者たちと同じ、大型のナイフを構えた錬金生命体。20匹近くが群れを成し、フェイトを取り囲んでいた。
 空は飛べないにしても、高速である事に違いはない、獣のような襲撃。何本ものナイフが、フェイトを切り刻む……寸前。
 暴風にも似た銃撃が、横合いから叩き付けられて来た。
 銃弾の嵐がフェイトを避け、錬金生命体だけを正確に穿ち吹っ飛ばす。
 防弾装備で身を固めた男たちが、小銃をぶっ放しながら乱入して来たところだった。
「教官……!」
「ようフェイト、帰ってたのか」
 教官の率いる、IO2の精鋭部隊。
 錬金生命体の群れを手際良く射殺し、白衣の男たちを取り押さえてゆく。
「洞窟ん中で、ちょいと道に迷っちまってなあ。お前が来てるとは思わなかったぜ」
「まったく……心配したのが、無駄でしたよ」
「死亡フラグなんてもの、そう簡単には立たねえもんさ」
 親日派の教官が、またおかしな単語を覚えてしまった、とフェイトは思った。


 ナグルファルはIO2技術班によって解体され、洞窟から運び出された。
 入力途中であったヴィクターチップのデータは無論、全て消去された。バックアップされたものが、これで全てこの世から消えた、とは限らないのだが。
 とにかく、任務完了である。
 教官はそのまま、妻の入院する病院へと向かった。
 それを見送りながら、フェイトは自分の車へと戻った。
「さて……と」
 運転席に座りながら、扉を閉める。
 声がした。
「一仕事終わったからって、気ぃ抜き過ぎだ」
 声をかけられて、ようやくフェイトは気付いた。
 助手席に、何者かが座っている。
「俺が虚無の境界の殺し屋か何かだったら、お前もう生きてないぞ?」
「あんた……!」
 フェイトは、息を呑むしかなかった。
 気配を、全く感じなかった。だが驚いた理由は、それだけではない。
「……生きて、たんだな」
「そいつはこっちの台詞だよ」
 男が、ニヤリと笑った。
 あれから5年。老けたのかどうかは、わからない。
「お前の叔父さんが心配してる。たまには日本に帰ってみちゃあどうだ」
「……そんな事を言うために、わざわざアメリカまで来たわけじゃないんだろう?」
 フェイトは車を出した。
「話、聞こうじゃないか。あんまり愉快な話じゃなさそうだけどな」