コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


美しき琴棋(4)
 穏やかな朝の日差しが、室内へと差し込む。水嶋・琴美の長い指が、愛用のカップの取っ手をくぐる。お洒落な模様の描かれたカップをそのまま口元まで運べば、ダージリン・ティーの香りが悪戯に彼女の鼻孔をくすぐった
 黒色のミニのプリーツスカートから覗く艶やかな足を組み直し、彼女は紅茶の香りと味をゆったりと楽しむ。今日の琴美が身にまとっているトップスは、スーツでもラバースーツでもない。落ち着いた色合いのニットだった。琴美にとって、今日は久々の休日なのだ。
 天気の良い窓の外を見つめる彼女の横顔は期待に満ち、年頃の少女相応の輝かさに溢れている。
 ――良い休暇になりそうですわ。
 そんな予感が、彼女の胸の中で躍った。

 琴美のお気に入りのロングブーツが、小気味の良い音を立てながら路を叩く。長く美しい黒髪を、風が優しくなぞる。黒いタイツに覆われた脚線美と、服に包まれながらも隠しきれぬ彼女の色っぽさが、すれ違う者達に一時の甘美な夢を見せた。美しい彼女の姿に、見惚れて足を止めてしまう者も少なくない。
 自信に満ち溢れた琴美の堂々とした表情が、彼女の魅力を更に引き立たせている。その扇情的な黒い瞳が先程から興味深げに見やるのは、チョコレートフェアという文字だ。そういえば、もうすぐバレンタインだったか。
 仕事に夢中な琴美にとってはさして関心のあるイベントではないが、普段のお礼を兼ねて世話になっている同僚や司令に何かを贈るのも良いかもしれない。そう思った琴美は、目に入ったお洒落な店舗へと足を向ける。
 店に入った瞬間、琴美の豊満な肢体を甘い香りが包み込んだ。様々な形のチョコレートが、彼女のその美しい手に触れられる事を待っているかのように、綺麗に並んで鎮座している。
 トリュフを眺めていると店員に試食をすすめられたので、相手に渡された愛らしい形の欠片を琴美は雅やかな仕草で口へと含んだ。
「あら、美味しいですわ」
 甘すぎない、上品な味だ。味の余韻を楽しむかのように、琴美の長い指が端麗な唇をなぞる。
 自分用にそのチョコレートを、そして同僚や司令に贈るためにそれぞれに相応しいものを選び、彼女は店を出た。
 次に向かうのは、行き付けのブティックだ。戦いでは、負けを知らない強さを誇る琴美。だが、彼女は特殊部隊の隊員である以前に女の子であり、女でもある。お洒落には、当然気を使う。
 店内では、入荷したばかりの春物が彼女を待っていた。好みのものを選び、早速試着をする。まずはワンピース。次に手にするのは、ジャケット。ミニのスカートに、ロングカーディガン。春色のストールも、琴美にはよく似合う。琴美が次々に服を試着していく様は、さながらファッションショーのようであった。
 最初は陽気に彼女に話しかけてきていた店員も、その姿を見ている内に彼女に何を勧めるべきなのかが分からなくなり困惑してしまっている。何しろ、琴美はどんな服であろうとも華麗に着こなしてしまうのだから。そして、その中から特に自分に似合うものを選ぶ彼女のセンスは、店員すら感心してしまう程に洗練されていた。
 幾つか気に入ったものを購入し、琴美は清々しい気持ちで店を出る。そろそろ、小腹が空いてくる時間だ。

 琴美の艶っぽい唇が開かれる。数種のキノコとホウレンソウの入ったフェットチーネを、彼女は優雅な仕草で口へと運ぶ。濃厚なクリームソースの味が、口内で広がり彼女を楽しませた。令嬢の如し清楚な笑みを浮かべた彼女の姿は、周囲の客の視線をさらう。けれど、琴美がそれを気に留める事はない。彼女の黒の瞳は、ただ未来だけを見つめている。
 この先、どんな敵が待っているかは分からない。けれど、琴美の自信が揺らぐ事はなかった。むしろ、まだ見ぬ任務に高揚感すら感じている。先日の任務はいつも通りの大成功であった。次もきっと成功する事だろう。否、必ず成功させてみせる。
 食事を終えた彼女は、買い物の続きをしようと馴染みの店へと向かおうとする。彼女の休暇を唐突に終わらせる連絡がきたのは、そんな時だ。
 けれど、相手との通話を終えた琴美は、休暇を邪魔された事に気分を害すどころか、優美な笑みを象ってみせた。
 急な連絡をしてきた相手は、司令だった。任務の呼び出しがかかったのだ。
「最高のバレンタインギフトですわ、司令」
 お返しは無論、三倍返しどころでは済まさない。必ずや、期待以上の完璧で完全なる成功を手にし帰ってくる事を、彼女は胸に誓う。
 穏やかな休暇の時間はもう終わり。これからは、仕事の時間だ。琴美は平穏に溢れた街を後にし、戦場へと向かう。今朝よりも更に、心を躍らせながら。