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なんと傍迷惑な人々よ
年度末で慌しい研究室の片隅、学者は実験を進めていた。
この時期で問題になるのが予算の話だが、それを回避するために無茶をする学者も中にはいる。
たとえば。これはある教授夫婦の家のことだが。
年度末までに成果を上げないと予算が減る、と……普通の価値観で考えるならば、夫に見える方がほとんど禿げ上がった髪を逆立てて血眼になっていた。
「今度こそ成功だ!奴らの支援もある」
まだ未完成の実験であっても構わないから、とにかく報告するだけの分を出しておこう、と。無茶苦茶に組み立てた機械を起動させて実験を開始した。
その凶行の結果は……まあ、おおよその予想通りだが、失敗に終わった。
失敗は波紋を広げ、機械から爆発を生む。
それに巻き込まれた教授は当然無事ではない。煙が立ち消えた研究室には、無残な姿となった教授の遺体が転がっていた。
……それだけならまだ悲壮な事故で終わったかもしれない。
なにを研究していたのかこの機械、爆発が原因で生じた衝撃で、とある異世界を生み出してしまったのだ。
連合艦隊旗艦USSウォースパイト号。
想定外の雷雲の中を進むこの船が、この異世界にふとした弾みで闖入することになったのは、内部の者も未だ察知していない。
化粧直し、お菓子を間食……と女子力の溢れた休憩室の片隅で、女子力とは90度ぐらいは飛んだ議論が交わされていた。
ここはこうよ、いいや違うとお互い譲らずにペンを握って言い争う二人……鍵屋智子とクレアクレイン・クレメンタインこと、クレアの二人である。
ちょうどいいところにあったチラシの裏に汚く数式を書きなぐっては、それについて女子力の欠片もない口論を仕掛けあう。
いや、クレアのほうはちょっとした事情もあって……女子力がなくても問題ないことはないが。
議論に熱中していた二人の気づかぬ間に、突如旗艦に切れ込みが走る。
異世界に住まう勇者たちの斬艦刀のせいだろう。
見事輪切りにされてしまい、間抜けな姿になった旗艦から艦長の藤田あやこ含む乗組員が次々と囚われていく。
……議論中の二人といえば、運が良いのか悪いのか……なぜか無事なままであった。
衝撃で王国内部に投げ出された二人は、そのまま立ち上がって歩を進める。
観察から見るにこの王国、王も管理しきれないほど勇者で溢れているらしい。
先ほど旗艦を襲ったのはこのうちの一人だろうか。
「ともかく、ひとまずは宿屋に行こう、ここにいたら危ないわよ」
「だろうな……」
クレアのちょうど後方では、空を飛ぶ龍から放たれた光線が道に当たりちょっとした焦土になっている。
アレに当たったら二人も無事ではすまないだろう。
二人は看板どおりに進み、無駄に頑丈に囲われた、無駄に頑丈そうな造りの建物を発見する。
看板には宿屋、と書いてあるのだからこれがそうなんだろう。二人は中に入り、手続きを済ませた。
「科学者なら何かチート作れよ!」
そしてしばらく、艦長救出と脱出に関しての議論に詰まったクレアの怒声が響いた。
天才狂科学者といわれている智子だとしても、何でも作れるわけではない。魔法使いではなく科学者だ、チートに至るまでの理論を組み立てる必要があった。
「……ここを拠点に、この世界を調べて……考えるわよ」
溜息交じりの智子の言葉を、クレアは飲み込むしかなかった。
こうして、二人の異世界での最初の一日が終わる。
「其方らは勇者共の良い玩具よ」
そして二人の寝入っている王国、魔王の城前のことだ。
声の主たる魔王の眼前には磔にされたあやこ他、乗組員の姿がある。
台詞から察するに、これから先ろくでもないことが待っているのは明白……しかし、抵抗しようにも磔られている現状ではどうしようもない。救助を待つしかない事実に、あやこは顔を顰めた。
その表情は見られなかったのか、上機嫌の声の主は突然笑い出した。
哄笑は徐々に大きくなっていき、その場を覆い尽くすほどにはなっただろう。
嗚呼どうか、できれば早く。あやこはそう願った。
……クレアが目覚めた頃。この世界は妙に地震が多いなという感想を持った。
「あら、お客さんもそう感じますか。たしか近くに矢鱈と裂けた壁がって話は聞いたことあるんですけど」
女将の話に出てくる壁というのは、大断層のことではないか。そう考えたクレアは、智子を誘いそれがあるという場所へ向かった。
途中、地震のたびに湧き出た物に襲われそうになったが、勇者が文字のままの意味で横槍を入れ、どうにか……二人だけは無事で済んだ。
向かったその場で、二人はある異変に遭遇する。
「夫の研究が……予算が……」
「どうしました?」
そうぶつぶつと言いながら彷徨う女を、クレアは発見した。
女の話を掻い摘めば、年度末の研究が上手くいかなかったのか、予算が削減されてやっていけないというところだろうか。そのほかはなにを聞いても上の空のままで打つ手はなかった。
智子が彼女の握っているものに気付き、クレアが手を開かせて正体を探る。
握っていたものは……なにかの紙片だろうか。文字と数式が書いてある。
「……球の自転を部分停止するとどうなるか……?車の急停止と同じ……」
紙片を見た智子が、彼女に負けないほどぶつぶつと何かを呟き始めた。
なにが書いてあったのかと興味をもったクレアが覗き込み、その意味を瞬時に理解した時、智子とクレアの声が重なってハーモニーを生み出した。
「表の物は惰性で吹き飛び大地は割ける。宙も飛べるな!」
「でも、この支援っていうのは……まさか……」
智子の声に二人は考え込み、ある仮説に達した後の一度のタイミング。
再び、声の二重奏が奏でられる
「アシッド族!?」
一度原理がわかってしまえば、その逆、その対策を考えるのも二人には容易だ。
紙片を元に、今回の異変を打ち消す装置を作り出していく。欠片から読み取った数式をクレアが補い、それでも抜けた部分は智子が補う。
事が起こるまで揉めていたのが嘘のように息のあったプレイ。その調子で作業は進められ、さほど時間をかけない完成を迎える。
……ちょうどその頃、魔王城ではあやこ達の処刑が行われようとしていた。
相変わらずの地震の中での強行、不安定な造りの城がぐらぐらと揺れていても魔王はそのまま、城内から逃げようともせずに処刑の様子を見守っていた。
あやこの首元に刃が光る時、異変が起こる。
城の一部が欠け、そうしたと思えば一瞬にして崩れ始めたのだ。地震の影響だろう。
魔王はこの突然のことに為すすべもなく、そのまま城と共に滅んでいった。
王を亡くして統率力のなくなった軍はおろおろとするのみだ。あやこたちはどさくさに紛れて処刑台から逃げ、軍から数人ほどを引き抜いていく。
そんな中この異変の真相に気付いたあやこは、根本の原因たる教授夫婦に感謝の念も抱いてやってもいいかも……とも思った。
……あの事故の前、アシッド族がかけた仕掛け。彼らの盗んだ事象艇に乗った教授は時空を捻じ曲げ自転を狂わせた。そうして異世界が崩れ、その象徴たる魔王も消えたのだろう。たぶん。
そして夫を偲んだ妻の内助の功……というべきだろうか。
まあとにかく、その二つを身に受けたあやこは元の理に戻っていく世界を見守った。
……そして、その横。間に合ったが苦労の割りに何も出来なかった例の……智子とクレアの二人だが。
「この、どちくしょうがあぁああああ!!!」
朝日が恙なく昇る中、行き場のない怒りを抱えたクレアが、総てを持っていったアシッド族に向けて腹の底からの罵声を響かせた。
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