コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


悪戯な魔女とサーベラス


 アタシハ綺麗モノガ好キ。
 綺麗ナ魔物タチ。綺麗ナ人間。
 
 ソウ、人間――。

 コノ間見タアノ女、綺麗ダッタ。
 ホシイ、欲シイ。
 アタシノモノニシタイ。アタシノモノニシテ此処デ服従サセルノ。
 気ノ強ソウナ、デモ、トテモ怖ガリデアタシノ声ニビクビクシテイタ。
 興奮スル。
 アノ女ガ欲シイ。

 ダカラアタシハ、アノ女ニ魔法ヲカケタ。
 人間ハ魔法ガスキ。
 ダカラアッサリ騙サレル。
 アッサリ術ニ掛ケラレル。

 ネェ、マタ、オイデ――。



 怪しげな洋館から戻って、数週間。
 平和を取り戻したかのように思えた響カスミとイアルであったが、カスミのほうに問題が残っていた。
 あの頃の記憶が全く無いにもかかわらず、脳内にこびり付いた恐怖の感情が彼女を責め立て、夢魔となって毎夜現れる。綺麗に洗い流したはずの水路の悪臭もなかなか体から消えることがなく、カスミを悩ませていた。
「……カスミ?」
 深夜二時。
 物音に気づいたイアルが起き上がり、隣で寝ているはずのカスミを探した。
 そこには気配も影も無い。しまった、と焦りの表情とともに彼女は部屋を飛び出した。
 悪夢にうなされるカスミは、夢遊病者のように最近は外にふらりと出てしまう。その為、夜はなるべく彼女の傍にいて見張っていたのだが、今日は先に眠ってしまったがために隙が出来てしまったのだ。
「カスミ……!」
 イアルはマンションの外に出てあたりを見回す。
 だがそこにはすでにカスミの気配は感じられない。
 長く美しい金髪をふわりと宙に乗せて、彼女はその場を駆け出した。

 ペタペタペタ、とアスファルトを裸足で歩く音がする。
 パジャマ姿でふらふらと歩くのは、カスミだった。
 目はうつろで光が無く、何かをぶつぶつと呟きながら何かに導かれるようにして前へと進む。

 ――オイデ、オイデ。此処ニ戻ッテオイデ……。

 彼女の耳元で囁かれる蠱惑的な声音。
 それに従うようにしてカスミは歩みを進めていた。
 随分と歩いて、ピタリと足が止まる。
 そこでパチン、と何かが弾ける音がしてカスミは瞬きをした。
「……え、ここ、どこ……? また私、外出ちゃったの……?」
 きょろりと辺りを見回した。
 人気の無い、薄気味悪い空気。その先に見えるのは朽ち掛けたあの洋館だ。
 ギイイ、と音を立てて壊れかけのドアが開いた。
 カスミはその音にびくりと震えながら、後ずさる。
「いや……そっちには、行きたくない……!」
 そう言って彼女は首を振るが、体は正反対の動きをはじめた。
 震えた足が前へと進み、開いたドアへと向かっているのだ。
「いや、いやよ……なんで、どうしちゃったの私の体……!」
 ぐ、と踏ん張ってみせるが、見えない何かに引かれるようにしてカスミの体は前のめりに洋館へと近づいていく。
 そして転がり込むようにして体が真っ暗な室内へと入った後、バタンと扉が閉められた。
「ひっ……」
 カスミの心がざわついた。
 こみ上げてくるものはひたすらの恐怖と、焦燥感。
 全身がガタガタと震え、その場で彼女は自分を抱きしめつつ、何も見えない空間の先へと視線を投げた。
 すると青白い炎のようなものがぽつ、と灯る。
 それを見たカスミはまた体を震わせて、へたり込んだ状態で後ろに下がった。
 背中に感じるものは冷え切ってぬくもりすら失ったドアだ。
 直後、その冷たさに湿り気があるように思えて、彼女は慌てて振り向いた。
 べしゃ、と嫌な音がする。
「……っ……」
 声も出ないほどの恐怖感だった。
 カスミは這った状態でそのドアから離れる。あられもない姿勢だったが、それどころではない。
 目が暗闇に慣れてきて、彼女は改めて周囲を見やった。
 かつてはエントランスホールであったらしい空間には、床に落ちたシャンデリアと痛みきった絨毯と、腐った階段の手摺りがかろうじて見える程度だった。
 そして、再びの青い炎。
 そこから浮かび上がる影をその目で確認したカスミは我が目を疑いふるふると首を振る。
「オカエリ」
 影から発せられた声。
 その声にビクリと反応する体。
 ――私はこの声を知っている。
 震える体を抱きしめたままでカスミは脳内に浮かんだ自分の言葉に瞠目した。
「待ッテタヨ。コレカラハズット、アタシト一緒ダネ……」
 ゆらり、と影が自分へと伸びてきた。
 それを避けたいのに体が全く動かない。
「オマエハアタシノモノ。……ソウ、綺麗ナ犬ダヨ」
 声は鈴のような音色だった。
 ヒヤリと耳元に落とされたそれを聴いたカスミは、そこで精神の自由を失う。
「……!?」
 自分の意思とは裏腹に、彼女の体が四つ這いになった。
 声の言うとおりに肢体が犬のようにしなる。
「な、なんで……っ? いや……ッ」
「モウ逃ゲラレナイヨ。誰モ助ケニ来ナイ。何故ナラ、オマエハアタシノモノナンダカラ……」
 楽しそうな声は脳内でグルグルと回る。
 まるで薬のようだと、カスミは余裕のない思考でそう思う。
 呼応するようにして、体が目の前の声の主に反応して脈打った。
「逃ゲタラ、シンジャウヨ?」
「!!」

 ――シンジャウヨ。

 カスミは以前、この声を聴いていた。
 この洋館にも訪れていた。
 そして一つの部屋の扉を開けようとして、この声を聴いた。
 眼前にある声の主の姿は『魔女』と呼ぶに相応しい冷酷な美を持ち合わせる存在であった。
 知っている。私はこの魔女を知っている……。
「アァ……ッ」
 カスミは必死に何かを言おうと喉から声を絞り出したが、それは人の響きにはならず唸り声となって洋館の中に響き渡るのみだった。

 それから、何日が過ぎたのかは解らない。
 二足歩行を許されず、四つ這いの姿勢のまま歩かされ、カスミは地下へと落とされた。
 地下は放置された水路があり、彼女はそこで意思とはそぐわぬ行動を取らされた。
 魔女の召還した見た目も恐ろしいモンスターや不思議な形をした生物と対峙した後、それらと戦わされてその後は手元に転がった息のない異形のモノの肉を食む。
 そして腹を満たしてはまた探索を続け、また戦う。
 勝つと魔女がとても喜び、褒めてくれた。
 最初はそれが、その行動そのものが嫌で仕方なかったカスミであったが、繰り返しているうちにどんどん自我が無くなっていく。
 そして今では、自分は『響カスミ』であるということすら忘れて、魔女の言うとおりに従う猟犬となっていた。
 魔女にはカスミの他にも複数の美少女と美女が番犬となって傍にいた。
 彼女たちもカスミと同様、興味本位で洋館に訪れては魔女に囚われて精神を奪われ『犬』に成り果てた存在であった。
「ウウゥ……ッ」
 魔女は一人の少女の頭を撫でると、もう一人の美女が唸る。
 彼女たちは魔女の一番になりたくていつも唸り合っているのだ。
「ウフフ、皆イイコ……アタシガズット愛シテアゲル……」
 魔女が放つ言葉は彼女たちにとっては至福の響きであった。そしてカスミにとってもそれは幸せの声音であった。
「ガアアッ!!」
 美女の一人がカスミに向かって飛び掛ってくる。
 カスミはそれを上手く避け、前足――右手で殴りつけて石畳に転がした。
 すると魔女が楽しそうにパチパチと両手を叩きまた鈴のように笑う。
 そこにいる女性たちはみな、主人である魔女の賞賛を得るために従順であった。
 ピチョン、と水音が跳ねる音。
 広大な水路の中、カスミは洋館と地下水路を護る番犬としての時間を積み重ねて行った。



 数ヵ月後。
 失踪してしまったカスミを捜し歩き、再び洋館へと足を向けたイアルの姿があった。
 最初に思い当たった場所ではあったが、何故か足が向かずに無駄に月日だけが過ぎていたのだ。
 どうやらこれも、洋館の魔女の魔術によるものだったらしい。
「待っていて、カスミ。今度こそ、貴女を悪夢から解放してあげるから……!」
 イアルはその手に剣を握り締めて、そう言った。向かう先はあの地下水路だ。
 彼女は先日見つけた地下へと続く入り口から潜入して、同じようにその先を進んだ。そこには相変わらずの異臭と汚水が広がっている。
 顔をしかめつつ、それでもイアルは水路を巡った。
 おびただしい数のモンスターの残骸。戦い崩れたと見えるものや、何かに噛み千切られたかのような後もある。
「グルルル……」
「!」
 背後からそんな唸り声を聴いたイアルは、慌てて振り向いた。
 その先にいたのはカスミを先頭とした数人の女性の姿。
 皆それぞれに犬のような姿勢で、イアルを威嚇している。
「カスミ!」
「ガゥゥ……ッ!!」
 イアルが名を呼ぶと、カスミは飛び掛ってきた。すると後ろの女性たちも次々とイアルに向かって同じように飛び掛ってくる。
 今や『番犬』の中でカスミは一番上の格にいるらしく、彼女が動かない限りは後ろの数人も動かない。
 そんな彼女たちにイアルは手を出すことが出来ずに、防御が精一杯であった。
「くっ……!」
 咄嗟に出した盾に重い痺れが圧し掛かる。
「カスミ、私よ! イアルよ! 目を覚まして!」
「ウゥゥ……ガアァ!!」
 イアルの声はカスミには届かなかった。本当の犬のような動きで彼女はステップを利かして再びイアルに襲い掛かってくる。
「――オマエモ、アタシノ犬ニナリニキタノ……?」
 ひやり、と背後から手が伸びてイアルの頬を撫でる指の感触と冷たい声がした。
 クスクスと笑い声が続く。
 元凶である魔女がイアルの存在に気づき、姿を見せたのだ。
「あなたがイアルたちをこんな風にしたのね……!」
 ビョオ、と風を切る音がした。
 イアルが振り向きざまに剣を振るったのだ。
 切っ先が魔女の髪に触れて、チッと僅かに切れる音がする。
 それだけで、空気が一変したような気がした。
「……オマエ! アタシノ大事ナ髪ヲ!! 許サナイ!!」
 魔女がそう言いながら、腕を振り上げる。どうやら逆鱗に触れてしまったらしい。
 カスミたち番犬は、主の怒りに答えるべく地を蹴った。
 イアルはそんな彼女たちの猛襲を何とか交わしつつ、魔女との距離を測る。
 死角になる部分を見つけて攻撃するしかないと思った。
「……ッ!」
 カスミと魔女の影が重なった次の瞬間、イアルは懐に飛び込んでいく。
 そして瞬時に持ち手の位置を回転させ柄の先をカスミの鳩尾に打ち込んだ。それが見事にヒットしたカスミは、表情を固まらせてその場に崩れ落ちる。気を失ったようだ。
 それを横目で確認しつつ、イアルの動きは止まらなかった。
 再び剣の位置を元に戻して、目の前にいる魔女へと剣を突き立てる。
 ――貫く感触は、確かにあった。
「ギャアアア……!!」
 魔女が叫び声をあげた。
 ビリビリと空気が震える。
 それは断末魔の叫びとなって地下から洋館を巡り、青白い光を一度放って消失した。
 直後、イアルを囲んでいた女性たちも次々とその場に倒れ、静寂が訪れる。
 後に残されるは水路を流れる水の音だけとなった。
「……ふぅっ……」
 イアルは己の剣を一度振るったあと、鞘に仕舞い込んだ。そして盾とともに別空間に送還して、くるりと踵を返す。
「本当に、今度こそ……終わったわ、カスミ……」
 イアルはそう言いながら倒れたままのカスミを抱き上げた。
「あれ……私たちは、いったい……? ここ、どこ……?」
「なにこれ、めっちゃ臭いんだけど!?」
 周囲の少女や女性たちが意識を取り戻し、正気も戻ったらしく自分の乱れた衣服や異臭に驚き騒ぎ出す。
 イアルはそんな彼女たちに経緯を話し、早く此処から立ち去るように告げた。
 少女も女性も記憶は無いが、こんな薄気味悪い場所から早く逃れたいという気持ちが先に勝り、早々に去っていく。
「興味本位でくるべき場所では無いわ……」
 そうぼそりと呟いた言葉は、誰の耳にも届かずに消えた。
 女性たちの背中を見送り、その姿が完全に見えなくなってからイアルはカスミを抱いて帰路についたのだった。

 マンションに戻ってからカスミは意識を取り戻すも、心まで完全に野生化してしまっていたために元に戻るまでに相当な時間を要した。
 人語も忘れてしまい、犬のように鳴く彼女を宥めて、ゆっくりゆっくりとカスミに尽くす。
 どんな姿になってもカスミはイアルの恩人であり友人である。
 だからこそ、イアルは彼女のために自分の出来ることは何でもやった。
「……また、たくさん色んな話をしたいわ。カスミ」
 そう言いながら、傍で眠るカスミの頭を撫でる。
 静かな夜の帳の中、優しい月の光を浴びるイアルは、いつか戻るかつての日常を思い描いてそっと瞳を閉じるのだった。