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<東京怪談ノベル(シングル)>


狩りの夜


 細身を包む衣服は、白いロングコートのようでもあり、医療用の白衣のようでもある。
 さらりと夜風に舞う金髪、青い瞳を知的に飾る眼鏡。
 一見すると、何か理系の職業に就いている、欧米人の若い娘だ。
 名はセレシュ・ウィーラー。所用の帰りである。
 大した用ではなかったが、帰りが少し遅くなってしまった。そろそろ深夜と呼べる時間帯である。
 ここまで遅くなってしまっては、別に急いで帰る必要もないだろう。
 そんな事を思ったから、というわけではないが彼女は立ち止まった。
 見過ごせぬ光景が一瞬、視界をかすめたのだ。
 高架下の、駐車場。隅の方に1台、黒いワゴン車が停められている。
 その周りで、ちょっとした騒ぎが起こっていた。
「離して下さい……あたし、やっぱり行きません……」
「おおいおいおい、ここまで来てそりゃねえだろうよ」
 柄の良くない、若い男が3人。いや、ワゴン車の運転席にもう1人いるようだ。
 その男たちが、怯えている女の子を1人、無理矢理、車内に連れ込もうとしている。高校生くらいの、割と可愛らしい少女である。
「ナンパされて、ここまで付いて来たって事ぁ、要するにオッケーって事だよなあ? ほらぁ恐がってんじゃねえよ」
「いや……嫌です! やめて離して!」
「騒ぐんなら、もうちっと静かなとこで……な? そこでなら、いくらでもイイ声出さしてやっからよぉ」
「そこまでにしとき」
 セレシュは声をかけた。
「後で自分らの行動、振り返って……惨めな気分になるだけや。だから、やめとき」
「おいおい……大漁じゃねえかよ今夜はよおお」
 男の1人が、へらへら笑いながら近付いて来る。
「メガネ似合ってんぜええ姉ちゃん。リケジョってやつかあ?」
 他2名が、少女をワゴン車の中に押し込もうとしている。ぐずぐずしては、いられない。
 掴み掛かって来る男の手を、セレシュはかわした。白衣まとう細身が、ユラリと躍動する。
 それと同時に、左の細腕が一瞬だけ跳ね上がる。
 細く優美な、そして鋭利な人差し指が、男の脇の下と脇腹の中間辺りに突き込まれる。
「鍼打ち込むのは、まあ勘弁したるわ」
 男が倒れ、血を吐くような悲鳴を上げながら、のたうち回った。
 一瞥もせず、セレシュは声だけをかけた。
「内蔵がねじくれとるような感覚やろ。2、3日はまともに物も食べられへん。ま、ひもじい思いしながら反省しいや」
「て……てめ……ッッ!」
「んッッッだこの女はああああああ!」
 他2人が逆上し、襲いかかって来た。
 まるで獣のような動きである。
 ブンッ! と唸りを発する拳を、蹴りを、セレシュは後ろへ跳んで回避した。
 空振りした蹴りが、駐車場に停まっていた国産車の1台をグシャリと直撃する。
 フロントガラスが砕け散り、ボンネットが、ひしゃげながら跳ね上がった。
 外れたタイヤが、セレシュの足元を転がって通り過ぎる。
「何や……自分ら、人間やめとったんか」
「おおよ……女は全員、俺らのエサなんだよおぉおぉ……」
 2人の男が、牙を剥いた。異常に長く鋭い犬歯。
 吸血鬼の牙だった。
「俺ら人間じゃねえからよ。人間より上の生きもんになっちまったからよぉ。人間のメスなんざぁ、食おうが殺そうがアレしようがコレしようが許されるんだよおおお」
「てめえら人間だってよぉ、いろんな生き物いろんな食い方殺し方してんだろーがああ!?」
「お……俺らぁよお……人間を、狩る種族なんだよォオオオオオ!」
 セレシュに突き倒されていた1人が、起き上がりながら痙攣し、鋭く犬歯を伸ばし、絶叫した。
「食物連鎖で、人間より上に立っちまったからよぉ! おめぇーもくくく喰ってやんぜェー姉ちゃんよお!」
 叫び、襲いかかって来る吸血鬼に向かって、セレシュは右手を振るった。美しく鋭利な五指が、一瞬の光を閃かせる。
 吸血鬼の動きが止まった。凶暴に牙を剥いたまま、その身体が硬直している。
 額に1本、鍼が突き刺さっていた。
「がっ……て、てめ……何しやがった……」
「第三の目の位置……人間やめた系の連中はな、そこ突かれると何も出来へんようになるんや」
 固まって動けずにいる男に、それだけ言葉をかけながら、セレシュは他2体の吸血鬼と対峙した。
「その第三の目も、ちゃんと機能しとらんみたいやな。うちが人間に見えとるようじゃ、まだまだやで自分ら」
「何ワケわかんねー事をぉおおおっ!」
 吸血鬼2体が激昂し、襲いかかって来る。
 怪力で掴み掛かって来る腕を、喰らい付いて来る牙を、まるで通行人でも避けるかのように、セレシュはかわした。
 軽やかに白衣が翻り、艶やかな金髪がフワリと舞って吸血鬼たちを撫でる。
 撫でられた吸血鬼2体が、倒れながら痙攣した。
 両名とも、首筋に小さな咬傷が穿たれている。毒牙の跡。そこを中心に、全身の皮膚がどす黒く変色してゆく。
「……魔除けの毒や。悪魔・悪霊の類には効果覿面やでえ」
 セレシュの言葉に合わせて金髪がうねり、シャーッと牙を剥く。
 それは何匹もの、金色の蛇だった。
「な……っ……」
 額に鍼が突き刺さったまま、吸血鬼が怯えている。
「何だ……何だよ、てめえ……人間じゃ……ねえのか……?」
「年季が違う、っちゅう事や」
 眼鏡の下で、セレシュは青い瞳をにっこりと細めた。
 足元では、どす黒く変色した吸血鬼の屍が2つ、干涸び、ひび割れ、崩れてゆく。
「人間やめる、っちゅうんは要するにこうゆう事やで。野良犬みたく殺処分されて葬式も出えへん。ま、あんた方が自分で選んだ道や」
「ままま待ってくれ、俺だって! 被害者なんだよおおおおお!」
 動けぬまま、吸血鬼が命乞いを始めた。
「へ、変な女にいきなり噛み付かれて……気が付いたら、こんな牙が生えて来てよォ……」
「……吸血鬼なら、そうやろな」
 変な女。つまり大元の吸血鬼がいるという事である。
 セレシュは、男の眼前に片手を掲げた。
「まあ人間に戻す努力はしたる。白魔法は割と得意な方やさかいな……吸血鬼の成分、取り除いたるわ」
 光の十字架が生じ、吸血鬼の動けぬ身体に吸い込まれて行く。
 悪しきものを浄化する、白魔法の光。それで吸血鬼の成分を除去すれば、人間の成分のみが残るはずであった。
 だが。男の身体は、硬直したまま、サラサラと粉末状に崩壊していた。
「あっちゃあ……人間の成分、ほとんど残ってへんかったみたいやね」
 遺灰のようでもある屍の粉末が、うず高く積もっている。
 その中から鍼を拾い上げつつ、セレシュは片掌を眼前で立てた。
「なまんだぶ、なまんだぶ……っと。吸血鬼やったら、十字切るより念仏の方がええやろ」
 回収した鍼を、片手でくるりと回転させる。
 その先端を、セレシュはワゴン車に向けた。
 吸血鬼の、最後の1体。運転席で、青ざめている。
「ひっ……!」
 怯えながら、その吸血鬼が、いきなりワゴンを発車させた。
 セレシュは横に跳んだ。
 躊躇いなく轢き殺す勢いで、ワゴン車が傍らを通過して行く。
 そして、そのまま走り去って行く。
 追いかけてまで討ち取るほどの殺意を、セレシュ自身は持っていない。
 だが逃げた吸血鬼が、逃げた先で人を殺傷したら。
「さすがに寝覚め悪いわ……狩らせてもらうで」
 セレシュの背中で、ふんわりと金色の光が広がった。
 黄金色の翼。本気で羽ばたけば、走る自動車くらいになら容易に追い付ける。
 だが羽ばたく前に、爆発が起こった。
 ワゴン車が、爆炎に包まれていた。
 座り込んでいる少女に、セレシュは覆い被さった。左右の細腕と黄金の翼で、少女の身体を包み込む。
 様々な破片が、爆風に乗って、セレシュとの背中と翼にビシビシッと当たって来る。
 燃え盛るワゴン車の残骸から、運転者が炎に包まれながら転がり出し、のたうち回り、悲鳴を上げる。人間の声ではない。おぞましい吸血鬼の絶叫。
 ばらばらと、複数の人影が現れた。
 防弾装備に身を包んだ男たち。炎に焼かれる吸血鬼を、訓練された動きで取り囲む。そして拳銃を構え、引き金を引く。
 銃声は聞こえなかった。サイレンサーを装備しているようである。
 吸血鬼は一瞬跳ね、動かなくなり、焦げ崩れて灰に変わった。
 怯え泣きじゃくる少女の頭を撫でながら、セレシュはとりあえず、男たちに声をかけた。
「聖水入りのナパームに、銀の弾丸……準備万端、狩る気満々っちゅうワケやね。IO2の恐い人たちは」
「弾薬には限りがある。湯水のように使うわけにはいかない」
 指揮官と思われる人物が、進み出て来て言った。
「セレシュ・ウィーラー女史……出来れば、貴女の力をお借りしたいが」
「ボランティアは、せえへんで」
 安くもない弾薬類を大量消費するよりは、セレシュ1人を雇った方が、安上がりではあるはずだった。


 騒動の大元である女吸血鬼が、石像と化してウィーラー鍼灸院に運び込まれたのは、その翌日の事である。