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去らばまだ見ぬ恋よ
「責任取って僕と婚約してよ!」
バレンタイン。
好きな人に気持ちを伝えようの銘の元、チョコその他プレゼントのやりとりが交わされる日である。
本命チョコの他、友チョコ義理チョコと種類は様々で、相手によりその意味は変わる。
中には、勘違いする人間もたまにはいるのだ。綾鷹郁も、そういった被害に悩まされていた。
たまたま義理で同僚にチョコを贈ったところ、モテなかった同僚が勘違いしてこんなことになっている。
本命の男がなかなか居ないことに定評がある郁だが、いくらなんでも相手を選ぶ権利は当然あるものだ。
「嫌に決まってるでしょ!!」
怒る郁だが、これでもまだ大人しい方だ。そうして嫌だダメだじゃあどうするんだの問答をしているうちに、
「じゃあ私以外の女の子を釣ればいいじゃない!」
という言葉を発してしまったのが最後だ。
「それが出来ないんだ!助けてくれ!」
……というわけで、避けたい婚約を盾にされてしまいなんらかの策を練ることになってしまった。
ティークリッパーと聞いて一番に思い浮かぶ売りといえば事象艇、まあ一先ずは彼の事象艇がどんなものか見てみようと彼の格納庫に行くこととなった。
なった、のだが……
「う、うっわぁ……」
格納庫に入っている事象艇を見た郁が一番に発した言葉はただひたすらドン引きの末のコレである。
まず開けた際の異臭に郁は顔を顰める、そして第二に、現れた凹みだらけの事象艇のボロさと汚さに開いた口が塞がらない、第三にこれをしてなにも問題が無いという男に呆れる。
この三点を一言に、うっわぁ。
それを聞いていないのかいないのか、男は郁に対し、失敗したナンパの数々を愚痴り始めた。
声をかけてメアドを聞けばたいていの女性は逃げ出し、運が良いのか悪いのか……少なくとも相手の女性にとっては不運でしかないが……ついてきてコレに乗った女性は怒り心頭、事象艇を蹴り飛ばして走り去るのだそうだ。
「あの女マニキュア瓶を投げやがったんだ!」
で、これは爪痕で……と、彼は丁寧なことに機体の傷を指差ししてまで解説する。
たしかに、乗った女性が怒りで蹴り飛ばすのも頷けるほどその事象艇は……なんというか、ヒドい。
中身もただのゴミ屋敷だ、これでは失敗しかない。
「わ……私よりいい人釣れるといいね……」
出来るだけ関わりたくないと感じた郁は、適当なことを述べて退散しようとしていた。
が、男の一言で我に帰る。
「釣れなかったら責任とってくれよ」
「それだけは嫌!!!」
……こうなってしまったらもはや意地だ!なにがなんでもこの男に何か釣らせなければならない!
そう考えた郁は、とにかくこのひどい事象艇の改造から始めることとなった。
かつてないほどの大改造と怪奇現象にも似たこの奇妙な空間に興味をそそられてやってきた謎の女子中学生……たしか瀬名雫と名乗っていたような……も加わって。
三人が入った格納庫の中、郁はてきぱきと作業を進めていた。
郁のすっとした鼻が洗濯ばさみに挟まれている。こうでもしないとやってられないほどの異臭だ、乗せられた女性はさぞ嫌悪感を隠せなかったに違いない。
郁はゴミ屋敷を崩しながら、これまで犠牲になった女性たちに心の中で敬礼していた。
汚れた事象艇を清掃、洗浄して付けられた傷を補修し終えたところで、ここから大改造が始まった。
「こういうのは翼の意匠でセンスを問われるの。ここダメだと上手くいかないって考えたほうがいいわね」
女子受けする色で内外を塗り、汚れたシートを総取替え。革張りで座り心地の良さもなかなかか。
これでやっと下地が整ったようなものだ。
「まずは見た目で女子のハートを鷲掴みよ!」
そして、ムードも大事と内部のサービスに取り掛かった。
暖炉燃えるビデオとBGMを用意し、内部には今までに無かった新しい設備が加わった
「郁ちゃん、これなに?」
興味津々で聞いてきた雫に、郁は軽く実演して見せる。
ボタンを押し、一寸の間のあとコーラ瓶、グラス、LED蝋燭、薔薇が競りあがる。ちょっとしたミニバーだ。
「花と蝋燭でムード満点でしょ♪」
わぁーいいなー、と雫からの反応も良いもので、郁の見立ては間違っていないと確信する。
次いでチョコレートフォンデュと苺も登場する。
「フォンデュとか素敵よね〜。味見してみよっか!」
チョコレートが絡められた苺が早速郁と雫の舌に乗る。
味に関しては二人のほのぼのとした表情を見れば明らかである。
「これで女がのってこなかったらトドメよ」
そして、郁はまだまだ何かを用意していたらしい。手に持ったリモコンが操作されると操縦席前方のボンネットが開いたと思えば、そこが液晶大画面になった。
ただのモニターではない。郁はさらにリモコンに操作を加える。モニターには甘い男女の恋模様が広がった。最近流行の恋愛映画のようだ、ミニシアター機能までついてるとは至れり尽くせりである。
「これで女子をデートに誘えば入籍間違いなし!」
一日にわたる作業が終わり、自信たっぷりに郁は宣言する。
その自信に見合うほどの出来になっているのは間違いないだろう。
しつこくて無粋な男に業を煮やした女子が、女子目線でデザインした車なんだから!
……という郁の本音は口に出ることは無かったが。あとは男自身の問題になるのだ。
「絶対結婚!イケるイケる!!」
「わぁ!最高だ!ありがとう郁、じゃあ僕これでさっそくナンパに行ってみるよ」
素敵デザインの事象艇に心を奪われた男はしつこく迫ってたのが嘘のように郁のことを忘れていた。
捨てられるといったら聞こえは悪いが、これでようやく嫌な男からの婚約も避けられそうだ。
ほっと胸を撫で下ろした郁にまたしても魔女の一撃……並の衝撃が訪れる。
「ダメー!」
突如、制止の一声と共に雫が彼の事象艇を奪ってしまったのだ。
「これ私の!郁ちゃんとハネムーンに行くの」
「なんだって!?」
げえっっという短い悲鳴で仰け反った郁の頭に、ある一つの仮説が思い浮かんだ。
もしかして、昨日のあの実演であの子の心をがっしり鷲掴みしちゃった、みたいな。
ともかく、それでこの事象艇の効力は確実なものとなったことが証明された、が、しかし……。
「僕を差し置いて女の子を落とすなんて!!」
それによって生まれた男との争いがまた郁の胃痛の種になってしまったのだ。
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