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<東京怪談ノベル(シングル)>


闇に住まう華

無造作に広がる数枚の書類。
「目に余る犯罪行為の数々ですわね」
口元に薄い笑みを乗せ、琴美はオーク材のデスクを挟んで、ソファーに身を沈める司令を見る。
組んだ両の手に額を押し付け、司令は視線だけ琴美に向けた。
「厄介な案件だ……が、やってくれるか?水嶋」
「答えはYes、sir、ですわ。司令」
珍しく重ねて問う司令に琴美は嫣然と微笑み―姿勢を正して敬礼した。
「本任務、水嶋琴美が拝命致しました。速やかに任務を開始いたします」
毅然と背を向けて、退出する琴美に司令はほぅ、と長いため息を吐き出し、デスクに散らばった書類を手に取った。
自衛隊上層部を通して命じられた警察からの任務。
ある市内で勃発した組織同士の抗争。当初は最下層構成員らの小競り合いだったが、それぞれの構成員を預かるリーダー同士のいがみ合いに発展。
和平を主張した穏健派のリーダーが襲われ、それに激怒した中堅派たちが相手を襲い、襲い返されるという負の連鎖にまで至り―結果、一般市民をも巻き込む大規模な抗争と化していた。
警察も自衛隊の協力を得て、機動隊で制圧にかかったのだが、あまりにも規模が大きすぎた。
そして、幼い子を含んだ母子がこれに巻き込まれ、大けがを負う最悪の事態になり―上層部は決断を下した。
すなわち、特殊部隊・特務統合機動課に両組織の殲滅命令である。
「鎮圧すっ飛ばして、殲滅……か。上層部が怒るのも無理はないってことだろうな」
「当然でしょうね。ですが、その任務を水嶋に下す時点で司令もお怒りなんでしょうに」
琴美と入れ違いで入ってきた隊員が大げさに肩を竦め、書類をデスクに放って微動だにしない司令に苦笑した。
幼い子が巻き込まれた―というのが、ある意味で昼行燈な司令の逆鱗に触れたのは火を見るよりも明らか。
その怒りが特務統合機動課最強の水嶋琴美になったのは、必然というところだろうな、と隊員は書類をまとめながら思うのだった。

身体のラインを際立たせる黒いつなぎのラバースーツを着込むと、琴美はジッパーをのど元まで引き上げる。
ロッカールームで淡々と、手際よく着替えを進める琴美の表情は若干冷やかで、いつもの笑みはない。
当然である。
下された命令は愚かな抗争を続ける二つの組織。潰し合うのは勝手だ。
けれど、無関係な―何の罪もない幼い子と母が傷つけられるなど、あってはならなかった。
テーブルに並べたミニのプリーツスカートを履き、しっかりと止めると、革製の編上げロングブーツに足を通し、ひもを締め上げていく。
淡々とした作業。だが、脳裏に浮かぶのは、怒りを押し殺した司令の言葉。
―今回は徹底的に息の根を止めてこい。全力でやらなければ戻ってくるな
―本当の意味での、殲滅、ですか?珍しいですね
そうでなければ帰還するな、などと言う司令は初めてで、琴美はかなり面食らった―が、事件の詳細を知り、承諾した。
自然と締め上げるひもの力が強くなる。
事件の始まりは本当に些細なことだった。元々、街を二つの組織が半分ずつ仕切り、小さな小競り合いを起こしながらも、それなりに平穏が保たれていた。
しかし、たかだか肩がぶつかった程度で、それぞれの組織に所属する下位構成員たちがケンカを起こし、周囲を巻き込んでいった。
バカバカしいことこの上ない。
穏健派のリーダーたちが闇討ちでいなくなったことで、より大きな争いに発展していったなど、バカバカしいことこの上ない。
だが、平穏でなければならない公園で、遊んでいた幼い―わずか5つの子を挟んで殴り合いを始め、それに怯えて泣き出した子を殴り飛ばすなど愚の骨頂。
まして、なりふり構わず我が子を守ろうとした母親にまで暴力を振るうなど万死に値する。
ギュっとひもが革にこすれる音が響き、きつく締めすぎたことに気づき、琴美は冷静さを取り戻す。
「おいおい、水嶋琴美ともあろう者が司令と同じでブチ切れ?珍しい」
物珍しげに覗き込みながら、揶揄ってきたのは、潜入専門の女性隊員。
あまり交友はないが、詮索はせずに人当たりもよく、おおらかな性格をしているが、かなりの腕利きで知られていた。
「あら?私も人間ですわよ。怒ることもありますわ」
「そうですか。あ、これ調整が終わったからって、開発から預かってきた」
からかったつもりが、軽くかわされてしまったので苦笑しつつ、隊員は琴美の前に頑丈なカバーに収められた愛用のナイフを置いた。
「ありがとうございます。こちらから伺おうと思っていたところですの」
「そうだった?」
太腿にナイフをくくりつけ、薄く微笑み返すと、隊員はロッカールームのドアに背を預けて立つ。
行く手を阻む行動に琴美が怪訝な表情を浮かべ、彼女の顔を見上げると、息を飲んだ。
見たことがないほど鋭く、殺気だった瞳。ほの暗い炎を抱いた冷たさに背筋が寒くなる。
「悪いんだけど、水嶋。アンタを組織のアジトに送らせてもらうわ。二つのうち一つは私が2年前に潜入してたとこだから内情をよく知ってるのよ」
「まぁ、そうでしたの……それで、どんなところかしら?」
「一言でいえば、単純、猪突猛進、ある意味な熱血体育会系ってところ。下っ端がつぶされたことで、頭に血が上って、見境なくしてるのよ。中堅たちはね」
柔らかく微笑んで問いかければ、隊員は皮肉めいた表情を浮かべ、身を翻してドアを開け、廊下を歩き出して話し出す。
本来、任務内容を個人的に話すことは禁じられている。いくら関連があろうと、許可なく話してしまえば、双方が処罰対象になる。
だからこそ、人に聞き咎められないように隊員は早足で歩きながら、自分が知りえた情報を琴美に伝える手段を選んだのだ。
「では上層部はそうではない……そういうことかしら?」
「と、思うでしょう?上層部―特に幹部クラスが一様に熱血。そういう熱血のノリっていうのよね……組長と参謀以外は、ね」
呆れ口調が一気に不穏なものを帯び、琴美は表情を引き締める。
確かに、単なる猪突猛進組織ならば、当の昔につぶされ、吸収されているのがオチだ。にも関わらず、存続しているということは、よほど切れ者なのだ、組織トップの組長と参謀が。
多少厄介なことになりそうかしら、と悩む琴美に隊員はその考えをぶち壊す爆弾をサラッと落とした。
「潜入調査して気づいたのは、組長と参謀は意図的にもう一つの組織と争っていたように見えるのよ。まるで両方の組織を操って、均衡を保たせてる、っていうのかしらね」

何気なく伝えた言葉に琴美は思考が一瞬停止し―驚愕すると、彼女の顔を思わず見たが、その表情に変化はなく、淡々と歩き続けている。
その冷静沈着さは驚嘆すべきもので、脱帽するも、琴美も歩みを止めず、その背を追いかけた。
「確証はないわ。けど、不思議だと思わない?下があれほどいがみ合っているのに、大規模な抗争に発展したのは今回が初めて。もう数年も対立しつづけた2つの組織がここにきて、唐突に」
「何らかの意図がある、ということですわね。気を付けますわ」
突き当たりにあるエレベータに飛び乗ると、二人はそこで無言になる。
密室空間なら、普通は気が緩み、内密な話になるものだ。が、特務統合機動課では、あらゆる場所に監視カメラが展開し、会話内容を記録している。
歩きながらなら、聞きとられることは少ないが、こういった密室空間では会話内容が筒抜けになる危険性が最も高い。
優れた才能を持つ隊員である琴美はそのリスクを知っているがゆえに、自然と沈黙し、それを察したからこそ、隊員も口を閉ざした。
全身に感じる軽い落下感。やがて小さな浮遊感とともにエレベータが停止し、ドアが開く。
目の前に広がるのは、総合体育館2つ分ほどの広さはある地下格納庫。
ここへ来るのは久方ぶりの琴美は相変わらずの広さにやや圧倒されていると、音もなく、目の前のパネル5枚ほどの床が回転し、漆黒のポルシェが姿を見せた。
「水嶋専用のポルシェよ。今回の任務に使える……というか、水嶋、今まで一回も使ったことないだろう?開発研究所がたまには使ってほしいって愚痴ってたわよ」
だから、使いなさい。免許あるでしょ、と目で言われ、琴美は苦笑する。
いつも自分の身一つで移動してしまうので、そういう愚痴があるのは知っていたがこう来るとは思っていなかった。
「今回はここから100km離れた都市ですから使わせてもらいますわ」
根負けした、とばかりに肩を竦め、琴美はドアを開けると、運転席のシートに身を沈めた。