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<東京怪談ノベル(シングル)>


彼女の中のマモノ

 目の前に、等身大の少女の姿をした石像が転がっている。
 まだ幼さの残るすらりとした肢体を、大きなセーラー襟のワンピースに包んだ像だ。年の頃は、十四、五歳だろうか。スカートの裾をひるがえした姿は、今、まさに駆け込んできたかのような躍動感をたたえている。肩につかない長さの髪は、毛先がくるんと内側に巻かれ、前方からの風をはらんで、ふわりと柔らかく広がっている。眉を八の字に下げたその表情は、真剣そのものだ。怯えと、焦りと、少しの安堵。そんな色の絵の具を、ぐちゃっとでたらめに混ぜ合わせたような顔色。左手はぎゅっと固く胸元で握り、右手は必死に前へと伸ばす。目の前の誰かに、何かを懇願するかのように。
 今にも動き出しそうな、あまりに見事な造形だ。
 まるで、生きているかのよう。
「……そらそうや」
 セルシュ・ウィラーは、しゃがみこんだ姿勢のまま、頭を抱えて、唸った。
 だって、この石像は、ほんの数分前まで、生きた人間の少女だったのだから。

 事の次第は、こうだ。
 十九時。午後の診療を終え、夕食の買い出しから戻った頃には、もう日はとっぷりと暮れていた。両手にレジ袋を抱えて、ひいひい言いながらの帰宅だった。なんとか勝手口の扉を開け、室内になだれこむ。
「あー重たかったぁ〜! さすがにトイレットペーパーの安売りはあかんわー、買ってまうやん〜!」
 放り出した荷物と一緒に、床にべちゃっとへばりついて叫ぶ。
 一仕事終えた開放感から、思わず大きな独り言が出た。とにかく早く、荷物を手放したくて、家にたどり着いた時点で満足してしまっていた。扉の鍵をかけることを失念していたのだ。要するに、これが最大のミスだったと、後にセレシュは猛省することになる。
 室内へ上がり、よこらせっとレジ袋を持ち上げる。食材を冷蔵庫へと運ぼうとしたその瞬間、背後で、ガチャッと音がした。ドアノブを回した金属音だ。耳慣れた音だった。しかし、その瞬間のセレシュの耳には、調和を破壊する侵入者の足音として認識される。
 振り返ると、大きなセーラー襟の紺色のワンピースに身を包んだ少女が、半端に開いた扉の隙間から、こちらをのぞき込んでいた。柔らかそうな内巻きの髪を振り乱し、息を切らせて、扉にすがりついている。セレシュの姿を認めるなり、小さな声で、しかし鋭く、叫んだ。
「助けて、匿って! お願い!」
 そして、少女がその身を、扉の隙間に滑り込ませた瞬間――。
 ガシャン、とも、バンッ、ともつかない音が響いて、セレシュは我に返った。
 砕けて跳ねた欠片が、セレシュの白いサブリナパンツから伸びた素足をかすめ、皮膚を浅く裂く。はっと足下を見下ろすと、先ほどの少女が、真っ白に石化した姿で倒れている。その隣には、自身が取り落としてしまったらしい、レジ袋。そして。
 セレシュの手には、かけていたはずのメガネが、ごく当たり前のように収まっていた。
「〜〜〜あああっ、またやってもうたー!」
 慌てて勝手口の扉を閉め、鍵をかける。くるっと身を反転させて、背中を扉にばんっと押しつけると、セレシュはそのまま、ずるずると力なくしゃがみこんでしまった。

 ゴルゴーン。聖なる領域を守護する者。
 それが、セレシュの正体だった。気のいい大阪弁のあんま屋のおねーちゃん、は仮の姿にすぎない。
 だからこうして、ふとした瞬間に、侵入者を排除するための行動を、無意識のうちにとってしまう。ゴルゴーンと視線を交じわせた者は、石へと変わる。その能力を抑制するためにかけているメガネを、外してしまうのだ。つい、うっかり、意図せず、本能的に……。
「だから、ちゃうねん、わざとやないねん。手が、勝手に!」
 うわあああーっ、と、セレシュは頭を抱えて、ひとり弁解を繰り返すが、やってしまったものはどうにもならない。激しい自己嫌悪に陥りながらも、なんとかせねばと、必死に頭を巡らせようとしていた。
「えっと……助けてって、言うたよな、この子」
 少女の様子を思い返す。走って逃げてきた様子だった。切迫した表情は、尋常ではなかった。早く石化を解いて、事情を聞いてやらないと……。
「侵入者など、石像として朽ちれば良い」
 冷たく切り捨てるような声が聞こえた。はっとして、セレシュは顔を上げる。
 しかし、周囲には、しんと張りつめた静寂が漂うばかりだった。室内には、誰もいない。ここには、セレシュと、かつて少女だった石像しかいない。
 声の主は、外ではなく、内側に――。
 ぶんぶんぶんッ、と、セレシュは勢いよくかぶりを振る。なに考えとんねん自分、しっかりせんかい!
 がばっと、勢いをつけて立ち上がる。ひとまずは、倒れた拍子に割れて散らばった欠片たちを、掃き集めて直すことにした。ほうきとちりとりを手に、石像の周囲を掃きはじめる。割れたのは、少女の服の襟や裾など、エッジの部分ばかりのようだった。紺色のラインが一本入ったセーラー襟が印象的な、膝下丈の上品なワンピースは、このあたりでも有名な、中高一貫のお嬢様女子校の制服だ。
「お嬢様が、あんな息切らして、いったい何から逃げてきたんや……」
 思わず、まじまじと、石像の顔を見つめてしまう。
 改めて見ると、可憐な少女だった。華奢な体躯と、線の細い輪郭からは、気の弱そうな性格がにじみ出ている。
 セレシュの胸の奥が、ちくりと痛む。
「……ごめんな。石になんてしてもうて」
 抱き抱えるようにして、石像を起きあがらせる。壁に立てかけようと試みるが、
「……って、うわーっと、ととっ!?」
 不安定で、つるりと滑って倒れた。間一髪、床に激突する前に、セレシュが滑り込んで全身でキャッチしたが、ヒビの入っていたワンピースの袖部分が、衝撃でぱきりと割れて落ちた。慌てて、落ちた欠片を拾おうとするが、石像を抱えたままなのがいけなかった。またしてもぐらりと揺れて、石像は今度こそ、ばたーんと音をたてて派手に倒れた。セレシュは思わず、金色の髪を逆立てて、ギャーッと悲鳴を上げる。
「うわあああ! ごめん! ちゃうねん! 壊すつもりやないねん! ちゃうねんて!」
 もはや、誰に向かって謝っているのかわからない。真っ青な顔で「ごめん」と「ちゃうねん」と繰り返し、石像に駆け寄る。
 幸いなことに、制服のスカート部分が、大きめに割れた程度だった。セレシュはほーっと安堵して、石像の傍らにへたり込む。先ほどから何度も、ばったんばったんと乱暴に扱ってしまったのに、石の少女は、文句ひとついわない。いわないのではなく、いえない、のだが。
 そっと指を伸ばして、少女の頬に触れる。しんと冷えた、硬い感触だけが伝わってくる。セレシュが、意のままに、時を止めてしまった少女。意志も、自由も、尊厳もない、ただの石塊と化した少女。
「思い知るがいい、愚かな侵入者よ」
 鼓膜の奥底から声が響いた気がして、セレシュの心臓が、どくりと大きく脈打った。足下から背骨に沿って、鳥肌に似た感触が、ぞくぞくっと一気に這い上がる。
「お前の尊厳を奪うことなど、たやすいこと。我が力に屈服し、ひれ伏すが良い!」
 その瞬間、セレシュの瞳には、ここではないどこかの光景が広がっていた。
 ひんやりと薄暗い、石の神殿。壁じゅうに吊された無数の灯籠に、揺れるろうそくの炎。それに照らされて、濃い影を引きずった何者かが、ずるり、ずるりと歩を進める。壁に落とされた影の中で、何十匹もの蛇の髪がうごめく。背に突き刺さるように生えた、大きな翼がゆらめく。
 たどり着いた先は、茫漠と広い、巨大な部屋だった。高い天井に届かんばかりの石の雛壇に、何十体もの石像が、ずらりと並べられている様は圧巻だった。蛇の髪を持つその者は、優雅な足取りで歩きながら、指先で石像たちの頬を撫でて回る。すべて、彼女が自ら、石像に変えた者たちだ。身の程を知らぬ、哀れな侵入者たち。ここで、永遠の時を経て、石像として朽ちるがいい。石像を撫でる彼女の顔には、誇らしげな笑みが浮かんでいる……。

 気がつくと、セレシュは座り込んだまま、自らの身体を抱きしめるようにして、ぜいぜいと肩で荒く息をしていた。
 ――なんや、えらい、大昔のことを思い出してもうたわ。センチメンタルなんて柄でもないっちゅーに……。
 脂汗を浮かべたセレシュの口元に、ふっと、自嘲の笑みが浮かんだ。かいま見た白昼夢は、かつてのセレシュの姿だ。セレシュが己の奥底へと押さえ込んだ本能の姿。けれど。
 あの場所を、あの姿を捨てて、セレシュは今、ここにいる。
「なぁ……うちが、あんたにしてやれることって、なんや?」
 整わぬ息のまま、物言わぬ石の少女に、ぽつりと問いかける。
 ふと、石に変わる直前、彼女がいった言葉を思い出した。――助けて、匿って!
 そうだ、とセレシュは思う。
 少女は、庇護を求めてやってきた。だから、守護の対象だ。そうなる、はずだ。
 ぎゅっと、胸の前で拳を握る。この子は、守護の対象。胸の中で、幾度も繰り返す。そうだ、守れる。自分には、この少女を守る力がある。うちは、と、強い想いで唱える。あの頃のうちとは、違う。
 セレシュは顔を上げた。立ち上がり、キッチンへ向かう。やかんを火にかけてから、再び少女の元へと戻る。
 まずは、と考える。割れてしまった部分の修復。そのあと、石化を解いて、それから……。彼女には、部屋に入った途端に気を失って、今、目覚めたという記憶の改変で、なんとか納得してもらおう。
 石の少女をソファに寝かせながら、かける魔法をシミュレートする。じきにお湯が沸く。そしたら、二人分のアップルティーを煎れよう。部屋中に香りが広がったら、少女の石化を解いて、記憶改変の魔法をかけよう。そして、目をぱちくりさせて起きあがる少女に、お茶の入ったマグカップを差し出して、こう言うんだ。
「おう、気ぃついた? 急に倒れるからびっくりしたで〜。……何や、あったみたいやけど、うちで良かったら、話、聞かせて?」
 横たわる石の少女を見つめながら、セレシュは再び、胸の奥で強く唱える。
 大丈夫、守れる。今のうちは、あの頃とは違う。
 うちが、あんたを、守ったる。

[了]


【ライター通信】
 このたびは、ご発注ありがとうございます。梟マホコです。
 長い時を生きているゴルゴーンのセレシュさんが、己の本能を封じ込めてまでこの世界にいるのには、何か深い理由や、どうしようもない過去があるのでは? 何があったの!? 気になる!
 ……という想いが止まらなくなったので、それを少しだけ匂わせるエピソードとして、書かせていただきました。楽しんでいただければ幸いです!