コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


鳥葬者の誕生


 普段から、営業しているのか潰れているのかわからないような店である。
 今は『CLOSED』のプレートが下がっている。
 貸し切りである。
 客が1人、店主と一緒に、カウンターでグラスを傾けていた。
「相変わらず……商売をしようという気はないようだな」
 女性客である。身なりの良い中年女性。
 一見すると大企業の女性管理職といった感じで、このような貧民街に足を踏み入れる用事があるとは思えない。
 そんな女性客が、酒を積んである物置小屋のような店内を見回し、苦笑している。
「本業を真面目にこなすでもなし、副業に精を出すでもなし」
「本業だろうが副業だろうが、仕事ってもんが大ッ嫌いなんだよ。あたしは」
 言いつつ店主がグラスを揺らし、氷を鳴らした。
 十代半ばの少女、にしか見えない。
 ロングコートに包まれた身体は、いくらか幼げなほど細く、だが胸だけが豊かでいささか重そうである。
 髪は、豊かな茶色のポニーテール。瞳は金色で、どこか凶暴な輝きを孕んでいる。顔立ちは、まあ美しい部類に入るだろう。
 名はアリー。本名ではない。本名は、もう何年も名乗った事がない。
 この店の経営者で、少女にしか見えないが、酒を飲める年齢に達したのは、もう10年以上も前である。
 副業は、酒場の経営。本業は、IO2エージェント。一応そういう事になるのだろうか。
 この女性客は、IO2における上司である。
「しっかし、あんたがわざわざこんな所まで飲みに来るなんてね……忙しいんじゃないの? 偉い人は」
「まあ忙しいは忙しいかな。いらん仕事が増えた」
 女上司が酒を呷り、大きく息を吐いた。
「……本部の馬鹿どもが、余計な仕事を増やしてくれた」
「いつもの事じゃん」
「今回は極めつけだ。どうするのだ、あんなものを持ち込んで……」
「どんなもの?」
「明日、出勤しろ。その時に見せてやる」
「出勤してまで見たいもんでもないなあ」
「……そう言わず、そろそろ仕事に戻れ。お前の力が、恐らく必要になる」
 無断欠勤を続けてはいるが、別に不愉快な職場というわけではなかった。不愉快な人間は確かに多いが、そうではない者もいる。
「あのおっちゃん、子供生まれるんだって? 良かったねえ、死ななくて」
「言っておくが、あの男は30代だ。お前と大して年齢は違わんぞ」
 現在、IO2で教官職を務めている男である。
 今回いささか危険な任務に投入されていたのだが、部下たちと共に生還した。
 その部下の中に、アリーとしては少々気にならない事もない若者がいる。
「あいつ、どうしてんのかな……あんたに随分、こき使われてるみたいだけど」
「だから仕事に戻れと言っている。彼の負担を、少しは減らしてやれ」
「虚無の境界どもをブチ殺す仕事なら、喜んでやるよ」
 アリーは言った。
「仕事じゃなくても……あのクソったれどもは、生かしちゃおけねえ」


 ニューヨークのスラム街で、育ってきた。
 国家は頼りにならなかった。警察は、敵ですらあった。
 1人、やたらと親身になってくれる婦警が、いるにはいた。アリーが窃盗や軽い傷害事件などを引き起こす度、庇いながらもいろいろと説教をしてくれた、保護司気取りの鬱陶しい女。
 あんな女を頼るわけにはいかない。今、頼るべきは、自分の力だけだ。
 自分の身は自分で守らなければならない生活を続けているうちに、ナイフの扱い方は自然に身に付いた。
 腕力は要らない。こうして首筋に少し切り込みを入れてやれば、人間は出血多量で勝手に死んでくれる。
「この×××野郎ども! ×××の代わりに血ぃドピュドピュ噴き出して死にやがれ!」
 下劣極まるスラングを口にしながら、アリーは舞った。
 スラム街の、特に治安の悪い一角。小柄な細身が、まるで小型肉食獣のように躍動する。
 胸の膨らみが、キャミソールに閉じ込められたまま横殴りに揺れる。豊かな茶色のポニーテールが、荒々しく乱れ舞う。
 それに合わせて、左右2本のナイフが縦横無尽に閃き、男たちの首筋を撫でてゆく。
 銃を持った男たちが、引き金を引く暇もなく頸動脈を切断され、真紅の霧をしぶかせながら倒れてゆく。
 先日までアリーをこき使っていた組織の、男たちである。
 その全員が、屍に変わった。
 それを確認してからアリーは、建物の陰に隠れている少女に声をかけた。
「もう大丈夫……さ、行くよ」
「……あ、あたしは、もういいの……アリー、1人で逃げて……」
 少女の、声も身体も震えている。恐怖のため、だけではない。
「あ、あああたしは、もう……あいつらから、逃げられない……あれから、ににに逃げられない……」
「何で……」
 無駄な事、とわかっていながらアリーは、少女の肩を掴んで揺さぶった。
「何で……あんな事したのさ! あんたって奴は!」
「だ……だって、ひひひどいのよ……」
 少女は俯き、唇を噛んだ。
「あ、あああんな値段にされたら……あたしたち、て、てて手ぇ出せない……」
「馬鹿……!」
 売人を1人、この少女は撃ち殺してしまった。
「アリー、あたしはもうだだだ駄目……アレがないと、生きてけないののの……」
 少女の歯が、ガチガチとぶつかり合う。身体が、おかしな痙攣をしている。
 禁断症状が、出始めている。
「あああたしはもう、たっただの薬中……アリーのととと友達でいる、ししし資格なんてない……だから、ここここへ捨てててって1人で逃げて」
「ほら、行くよ!」
 アリーは耳を貸さず、親友の震える腕を掴んだ。
 熱いものが、背中から入って来て腹から出て来た。
「…………え…………?」
 呆然としながら、アリーは血を吐いた。
「だだ……だから言ったのに……ひっひひ1人で、にに逃げてって……」
 少女が、泣いている。同時に、笑っている。
 おかしな痙攣をしている身体から、何だかわけのわからないものが大量に生え、うねっていた。
 その1つが、アリーの身体を背後から刺し貫いている。
 それが、ずるりと引き抜かれた。
「アリー……ごめんね、アリー……」
 空が見えた。スラム街から見上げる、青い空。
 アリーは、倒れていた。
 足音が聞こえた。銃声も聞こえた。
 組織の追手、ではないようだ。
「……聞こえるか、おいアリー」
 聞き覚えのある、女の声。
 あの婦警が、そこにいた。倒れたアリーの傍らで、膝をついている。
 つまり、警察が来たと言う事か。
 警官、とおぼしき男たちが発砲している。何だかわけのわからない、巨大な生き物に向かってだ。
「アリー……ごめんね、アリー……」
 声を発しながら、その生き物は、大量に生やしたものを振り回している。殴打された警官たちが、潰れながら吹っ飛んで行く。
「お前の友達は、死なせるしかない……私を恨め、アリー」
 婦警が、拳銃を構えた。引き金を引いた。
 銃声が轟き、怪物が倒れた。
 怪物、としか言いようのない姿に成り果てた少女が、微かな声を発した。
「……ごめんね……アリー……」
 最後の言葉だった。
 変わり果て、動かなくなってしまった少女に、アリーは声をかけようとした。
 声が出なかった。喉の奥から、血が溢れ出した。
「人間を、人間ではないものに変えてしまう薬……信じられないだろうが、ありのままを説明すると、そういう事になってしまう」
 アリーの血反吐で汚れながら意に介さず、婦警が言う。
「それを、お前たちの組織を通して、売りさばいていた者たちがいる」
「誰……」
 アリーの声が、吐血でかすれた。
「そいつら……誰……?」
「知ってどうする」
「…………殺す……」
 残り少ない生命力が、声を出す事で消耗してゆく。
 構わず、アリーは呻いた。
「そいつら……全員……ぶち殺す……」
「この重傷で、そんな事が言えるのだな」
 婦警が、笑った。
 婦警ではないのかも知れない。アリーは、ふと思った。
 警察関係者を装った何者か、であるのかも知れない女性が言った。
「お前は有望だ。我々も、そやつらと戦うための戦力が欲しい……今、お前の命を救う手段は1つしかない。モルモットになる覚悟はあるか?」
「モルモットでも……ドブネズミでも、何でもいい……あたしに……力をよこせ……!」
 それがアリーの、人間としての、最後の言葉だった。


 アリーというのは、あの組織に使われていた頃からの呼び名である。
 面倒なので、それをそのままエージェントネームにしてしまった。
「うわわわわ、アリー先輩!」
「出た! 怪人トリ女!」
 後輩のエージェント2人が、抱き合って怯えている。
 アリーは、牙を剥いて微笑みかけた。
「鳥葬するぞ? てめえら」
「まあまあ……お前たち、調整は進んでいるのか?」
 女上司が、問いかける。
 2人が、怯えながらも嬉々として答えた。
「んもぉおおお、いつだって動かせますよ! でパイロットは誰? 当然、俺っすよねえ? サブパイロットとしては、ツンデレの強化人間系美少女を」
「ロボ造る前にやらなきゃいけない事あるでしょうIO2としては? 5色の強化スーツの開発と、その装着者の選定を速やかに……ああ、レッドの適任者として推薦したいエージェントが1人」
 世迷い言を無視しつつ、女上司もアリーも、格納庫内に屹立する巨大なものを見やった。
 IO2本部ビルの地下。そこに、人型に組み上げられた、巨大な機械が格納されている。
「これかい……あんたの言ってた、いらん仕事ってのは」
「ナグルファル」
 謎めいた単語を、女上司は口にした。
「虚無の境界による呼称を、我々もそのまま用いる事にした。ラグナロクへと向かう、戦船だ」