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<東京怪談ノベル(シングル)>


その視線の先の死地
 黒のラバースーツに身を包まれた女が舞う姿は、目に毒だ。それが極上の美女であるのなら、殊更。
 水嶋・琴美は、扇情的に戦場を駆け抜ける。黒い瞳は、一度捉えた獲物を決して逃さない。琴美と対峙していた男は彼女と目が合った瞬間に、悟った。彼女から逃れる事は出来ない、と。
 琴美の手がナイフを構える事で男に死を宣告し、形の良い唇は別れの言葉を紡ぐ。黒の髪が風を切り、少女は男との距離をいっきに詰める。黒い衣服の中に秘められた隠しきれぬ琴美の色香が、男の思考を奪った。彼は自分が死に瀕している事すら忘れ、彼女に見惚れたのだ。
「ぼーっとしているだなんて、随分と余裕ですわね」
 首元に突きつけられたナイフが男を急速で現実へと引き戻し、這いよる死の香りが彼の背にひやりとした汗を流させる。男の眼前で、少女はまるで天使の如き眩い微笑みを浮かべていた。あまりにも場違いで、それ故に美しい、笑み。
 ――死ぬ。
 男は、反射的にそう思った。瞬きをする間すら許されず、己の鼓動の音さえどこか遠くのものに聞こえる。しかし、次に男が感じたのは、首元を抉る刃の感触ではなく……自らの傍から人が離れていく気配だった。
「……まだまだ修行が足りませんわ。これが訓練じゃなかったら、あなた、死んでましたわよ?」
 男から少し距離を取り、琴美は悪戯っぽく笑いそう告げる。ふ、と肩の力が抜けるのを男は感じた。
 そう、全ては訓練。琴美は彼の敵ではない、頼もしい同僚なのだ。男は降参とでも言うかのように両手を軽く挙げ、苦笑する。上官が、実戦訓練を終了する旨を告げた。

 自衛隊、特務統合機動課。
 非公式に設立されたその特殊部隊に所属している琴美は、拠点の地下訓練所にて訓練に励んでいた。
 筋力トレーニングや走り込みを終え、尚且つ模擬戦も今しがたこなしたばかりだというのに、彼女の顔に疲労の色は見えない。
 琴美は、再びその手にナイフを構える。彼女を中心に周囲に立っているのは、何体もの物言わぬ人形。彼女の次の訓練の相手は、この人形達なのだ。
 琴美のナイフが、一体の人形を目にもとまらぬ速さで切り刻む。たとえ人形に声帯が存在していたとしても、悲鳴をあげる事は叶わなかっただろう。喉元という急所を狙った彼女の一撃は恐ろしいまでに正確であり、一ミリのずれも許さない。
 次の一体に襲い掛かるは、女のしなやかに伸びた足による足技。編上げのロングブーツに包まれた長く艶やかな足が、人形の体を蹴り上げた。更に、それに続くように握りしめられた拳が叩き込まれる。
 まるで最初から全てを見据えていたかのように、琴美の動きに迷いはない。流れるようなその動きは、戦いというよりも演武に近い。別の訓練を行っていた隊員達も、いつの間にか手を休め彼女のほうを見やる事に集中していた。自然と、感嘆の溜息をもらしている者もいる。
 形の良い尻に、豊満な胸。魅力的なボディラインをなぞるように黒のラバースーツを身にまとった琴美の表情は、常に自信に満ち溢れている。嫉妬する気すら起こらない程、美しく完璧な存在がそこにはあった。
 プリーツスカートから覗く足が、再び人形の体に叩き込まれる。重力すら操る琴美のフィールドに取り込まれた人形達に、逃れる術はない。放たれた重力弾により、一体、また一体と塵と化していく。
 素早い身のこなしで、彼女は次々に人形を倒していった。最早、鍛え上げられた同僚達であろうとその動きを目で追う事は出来ない。そうして、瞬く間の間に、琴美はその訓練を終えたのだ。
 琴美は艶のある胸の上に手を置き、一つだけ息を吐いた。彼女の妖艶な瞳が、人形達の残骸を見下ろす。
 ここのところ大きな任務はなかったが、彼女の力は全く衰えていなかった。むしろ、ますます力がついていっているのを感じ、琴美は満足げに頷く。
 不意に、何者かが近寄ってくる気配を彼女は感じた。振り返らずともその正体が分かり、琴美は麗しい唇で弧を描く。
「司令、如何なさいまして?」
「訓練は退屈かな?」
 訓練の様子を見に来たであろう司令の問いかけに、彼女は首を横に振る事で返した。日々の訓練は、決して無駄な事ではない。ただでさえ優れた実力を持つ彼女の事を、更なる高みへと誘う足がかりとなる。故に琴美は、訓練が嫌いではない。
 けれど――
「――けれど、やっぱり、そろそろ任務が恋しいですわね」
 しかし、他の追随を許さぬ程の実力を持っているが故に、彼女は訓練中はなかなか本気を出す機会に恵まれていなかった。物足りなくないと言えば、嘘になる。
 琴美は、まだ見ぬ次の任務に思いを馳せる。期待に、心が躍るのを感じた。
 その黒の瞳が見つめる先にあるのは、彼女が力を発揮するに相応しい戦場という名の舞台。そして、いつものように司令の元へと任務成功の報告をしに赴く、自分の姿だ。