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<東京怪談ノベル(シングル)>


魔女の館と凍えるウサギ


「洋館の魔女がやられた」
「……なんですって? 彼女の力は相当なものだったはずよ」
 キイ、と古い木製の椅子が揺れる音がした。
 怪しげな香の匂いが立ち込める空間の中、数人の女達がそんな会話を交わす。
 皆それぞれに、ヒトとは違う容姿を持っている。
 だが、それぞれに美しい。
「あのコを殺したヤツの姿よ」
「あら、うふふ……好みだわ……」
 一つのテーブルの上で輝くのは水晶球だった。
 紫色に輝くそれの向こうに浮かぶ影の正体は、イアルのものだった。
「これは人間か? 妙な力を感じる」
「我らに近いような……それでいて、まるで違うような……もっと近くで確かめないとな」
 水晶球を囲んで、女達が蜜やかに笑う。鈴のように。
 終わりを告げたかと思われた『魔女』の話は、まだ密かに紡がれようとしていた。

 依頼の仕事を終えて帰路を歩くイアルがいた。
「もし、お嬢さん」
 大通りを抜けた先の路地で、そんな声がかけられる。
 目深く真っ黒なフードを被った辻占いの女性がそこにはいた。
「私、かしら……?」
「そう、あなた。お金はいらないから、私のこの水晶球を覗いては見ないかね」
 占い師の女性はそう言いながら、イアルに向かって水晶球を差し出してきた。
 だがイアルは当然、困ったような表情でいるのみだ。
「近く、お嬢さんに悪いことが起こるとこの水晶球は告げているんだよ。お嬢さんは占いは嫌いかね?」
「い、いいえ……そんなことは無いけれど……」
「なら、少しだけ話しを聞いておくれ。老いぼれの与太話だと思ってくれていいから」
 女性の言葉に若干押されながらも、イアルは彼女の差し出す水晶球を覗きこんだ。
「ほぅら、お嬢さんの姿が見えてきた……」
 女性は水晶球を撫でるようにして開いている手をくるり、と回した。
 その直後、イアルはその水晶球に魅入られたようにして目の光を失う。
「あ、あぁ……あああぁッ!」
 どさり、と足元に落ちたのはイアルが持っていたショルダーバッグ。
 イアルが叫び声を上げた後、彼女の体はその場から消え、残されたのは落ちたバッグのみとなっていた。

 都内の繁華街の一画に、とある高級クラブがあった。名前は『BunnySociety』。バニーガールばかりをホステスとした大人の娯楽場である。
「う……ん……」
 チカチカとした光に、イアルはゆっくりと意識を浮上させた。
 柔らかなベッドの上で瞳を開けると、見知らぬ女性が数人彼女を囲み、こちらを見ている。
「これが彼女を殺した本人だね? 綺麗な体の持ち主だが、どこにそんなすごい能力が?」
「異世界の力を感じるわネ。あのコはこのコの剣で刺されたことは確かなんだから、お仕置きしまショ」
「我ら同胞を殺した罪は重いぞ」
 次々に投げかけられる言葉。
 イアルには何のことか分からずに、未だにぼんやりとした意識の中でそれを聞いていた。
 視界に映る女性たちは皆どこか、妖艶な姿だった。そして全員に魔力のオーラを感じる。
「……あの時の、魔女と同じ……」
「あらぁ、思い出したぁ?」
 イアルがぼそりと言葉を零せば、一人の女性が熱っぽい声音でそう言う。
 そして彼女は横たわったままのイアルの体を触り、うふふ、と笑い声を漏らした。
「!?」
 その直接的な感触に、イアルは瞠目する。
 そして慌てて上半身を起こしてみれば、自分が何も身につけていないことに気がついて、体をくねらせる。
「あらあら、恥ずかしがること無いのよぉ? もっとワタシたちに見せてちょうだい?」
「や、やめて……っ」
 くすくすと笑う女性は、目の形がヒトのものではなかった。洋館で見たあの魔女のような――。
「あ、あなた達も、魔女なの……?」
「知ったところでどうする? お前は同胞殺しとして認識されているんだぞ。ヘタをすればここで死ぬ運命だ」
「やだぁ、それじゃつまらないじゃない。ワタシたちでいっぱい可愛がってあげて、それからお店で働いてもらいましょ」
 熱っぽい声音の魔女は、よほどイアルの容姿を気に入ったのかそんな提案をしてくる。
 他の魔女もほとんどが似たような感情を持ち合わせているのか、ふふ、と笑って手を伸ばしてきた。
「こいつがどのように変わっていくのかを見るのも悪くないな……」
 一人の魔女がそう言いながら、イアルの豊満な胸の膨らみを、つつ、と指でなでた。
 他の魔女たちもイアルの体を楽しそうに触りながら、彼女を狂わせていく。
「あ、あぁ……っ」
 撫で回されるその感触に、イアルの唇からもそんな声が漏れる。
 魔女によってイアルの体の愛で方がそれぞれに違って、彼女は為す術を失っていく。
「全てを任せてしまいなさい。……魔女に愛されるものは永遠の快楽を得られるのよ……」
「……はぁ……っ」
 切なげな吐息が漏れた。
 そしてイアルは意識が再び遠くなっていくのを感じて、それに逆らうことなく堕ちていった。

 数週間後。
 イアルは『BunnySociety』のホステスとして働く身となっていた。
 身も心もバニーガール。そしてその隠れ蓑に潜む『暗殺者』としての記憶を魔女に植え付けられ、彼女は従順にそれに従い日々を過ごしていった。
 この高級クラブは、裏の顔が存在するのだ。多くの政治家や業界人が利用するこの組織は、魔女が操る暗殺集団であった。
 イアルは美貌と美しい肉体で数人の固定客を得ていた。その固定客の一人から、ついに暗殺の依頼がイアルの元にも飛び込んでくる。
「かわいい僕の仔ウサギちゃん。やってくれるね?」
「仰せのままに、マスター」
 VIP用の個室ベッドの中、客の体にしなやかに乗るイアルは怪しげな笑みを浮かべながらそう言った。

 その日の夜更け。
 バニーガールの姿のまま、イアルは己の剣を片手に小高いビルの屋上に立っていた。
 瞳に映るものは街のネオンと、人々の喧騒。
 そして、標的の要人が乗る黒い車だ。それを見つけた彼女は薄く笑って足元を蹴る。風のような動きで地上を移動する車を追い、それが止まるまでイアルは身を潜めていた。
 車は港の倉庫まで進み、そこで静かに止まってヘッドライトが消える。
 真っ暗になった空間の中、車のドアが開いたのを耳にしたイアルが、要人に向かって宙から斬りかかった。

 ――キィン、と金属がぶつかり合う音がする。

 直後、右手にしびれを感じたイアルはくるりと円を描いて後ろへと飛び、距離を測る。
「……萌くん、大丈夫かね」
「問題ありません、車にお戻りください」
 車の側から聞こえるのは男の声と、若い女の声だった。
 イアルが視界をこらしてその声の主を見やれば、まだ少女であった。
「護衛か……っ」
 イアルがそう言うと、少女が見上げて視線を投げかけてくる。体のラインがくっきりと浮かぶパワードプロテクターを身にまとう彼女はIO2のエージェントの一人である萌だった。身が軽く素早く動ける分、イアルには分が悪い。
 どうするか、と迷いを見せた瞬間。
 勝負を仕掛けてきたのは萌だった。小さな背に這うブレードに手をかけ、イアルにそれを振りかざす。
「……ッ」
 彼女の美しい金糸が、一部だけ切り取られた。
 益々自分の身が危ういと感じたイアルが、その場から離脱し要人を屠ることを諦める。
 ――彼女はなにか違う。直感でそれを感じ取った萌は、イアルを見上げて眉根を寄せた。
 イアルはそれに気づかずに背を向けて走り去っていく。
「――すみません、彼女を追います」
 夜空に消えたイアルの姿を記憶に留めた萌は、護衛についていた人物にそれだけを告げた後、地を蹴り宙を舞った。



 『BunnySociety』へと逃げ帰ったイアルは、魔女たちの怒りを買い、当たり前のように制裁を受けた。
 他のバニーたちの見せしめともなるとして、クラブの地下の一室で監禁されたイアルは、そのまま魔女たちの魔法や秘薬の実験台として保管されてしまう。
「依頼は完璧にこなせるはずだったの! あんな娘さえいなければ……!」
「それはお前の慢心が招いた結果だ」
「お願い、もう一度チャンスを……!」
「一度きりと最初に言ったはずだ。仔ウサギちゃん」
 監禁されている部屋からそんな声が聞こえた。
 助命を請うイアルらしい声と、凛々しい一人の魔女の声。互いはすれ違い、噛みあうことはない。
「……汚いことをした罰じゃないの。でも……」
 ぽつり、と小さな声音を漏らしたのは萌であった。
 彼女はイアルを追ってクラブ内に潜入し、その一部始終を屋根裏から見た。
「あの人……どこかで見たような……誰だっけ……?」
 涙で頬を濡らすイアル。
 必死な表情が萌の心の奥を静かに突いたが、今はそれどころではない。
「……ここ数日の無差別な殺人と奇怪な噂の出処は、ここだったのね……」
 通気口から覗き見る光景。
 妖しい魔女たちの狡猾な企みや表で有名な政治家や業界人などの出入りと暗殺計画などを確認して、一旦は表に出る。
 そして彼女の所属しているIO2に戻り、自分の上司に報告して、正式な潜入捜査の依頼を更新してもらった。
「特殊能力を持っている魔女はこれまでも何度か我々の捜査を潜り抜けている。一筋縄ではいかないぞ。――万が一の場合は、抹殺も視野に入れても構わない」
「了解しました」
 上司の言葉に背筋を正す萌は、自分の表情も厳しい物に切り替えた。
 そして、再びあのクラブへと向かう。
 単身の行動であったが、萌の潜入は密やかなものではなく大胆なものだった。
 ジリリリリと鳴り響くのは警告音。
 それに驚き顔色を変えるのはクラブ内でバニーたちと戯れていた政治家達だ。
 そして、奥にいる魔女たちが姿を見せる。
「何者だ! 我らの邪魔をするものは容赦しないぞ!」
「闇に潜む時間はもう終わりだよ、魔女さん。あなた達の企みは全部IO2が把握してます。大人しく投降して――」
 萌がそう言い切る前に、一人の魔女が魔炎を放ってきた。
 円を描いて飛んでくる紫色の炎に、萌は少しも動ずることなくブレードでそれを一刀両断する。
「な、なにあのコ……? 私達の魔力が通じない!!」
「怯むな、幻惑で取り込んでしまえ!」
「――無駄だよ」
 動揺する魔女に対して、萌がぽんと地を蹴った。
 直後、彼女の姿は見えなくなり、魔女たちが慌てる。
 ヒュ、と鋭い風が頬を掠ったような気がした。
「あなた達の残されているのは、投降か死か。そのどちらかだけ」
 ブレードを突きつけてそういう萌の表情は、無の色だった。
 絶対的な力の違いと、高い防御術。
 ヴィルトカッツェの二つ名を持つ彼女に適うものなど、その場にはいなかった。
 高級クラブ『BunnySociety』は一夜にして壊滅し、政治家の多くは逮捕された。魔女たちは萌の力の前に屈し、その結束力を失ったという。
 萌は全てを終わらせて、地下へと繋がる道を見やった。
 崩れてはいないようだが、監禁されていたイアルが無事かどうかはわからない。
 一度はそちらに足が向いた、しかし。
「茂枝、帰還しろ」
 処理班にそう促されて、萌は仕方なくその場を離れることとなる。
 救えたかもしれない。
 そんな罪悪感が彼女の心を蝕む。
 どうしようもない感情を抱きつつ、萌は本部へと報告に戻るために姿を消した。

 静まり返った地下の一部。
 ボロリと壁の一部が崩れ、その先から漏れ出るのは冷気だ。
 じわりじわりと広がる冷気の向こうには、魔女によって氷漬けにされたイアルの姿が残されているのだった。