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<東京怪談ノベル(シングル)>


労いと感謝

「さってと。一通り掃除も終わって綺麗になったし、たまには美味しいもんでも食べに行こか」
 捲っていた袖を下ろしながら、セレシュはにこやかに振り返った。
 今日は仕事がお休みの日。いつもより少しだけ早起きして部屋の片付けや洗濯などを一通り済ませたところだった。
 最近はずっと忙しく、悪魔もセレシュも疲れが堪っている。本来ならば家でゆっくりするところだが、珍しくセレシュはやる気満々だ。
 手に持っていた雑巾を置き、頭に巻いていた三角巾を取りながら、悪魔はどこか怪訝そうにセレシュを見る。
「今日は随分やる気満々ね。何かあるの?」
「ん?」
 セレシュはきょとんとした顔を見せ、小首を傾げる。
「別にええやん。あんた、何か食べたいもんでもあらへんの?」
 何の悪びれもない様子のセレシュにそう問い返され、悪魔はしばし考えた。
 なぜだか少しはぐらかされたような気がするが、せっかくだからこの話に乗らない手はない。
 そしてふと、思いついたようにポンと手を打つ。
「リコッタチーズのパンケーキ! あれを一度食べてみたかったんだ。なかなか行く機会ないんだもの」
「パンケーキね。それはどう考えてもおやつやな。で、他にはあらへんの?」
 セレシュは手元にあった雑誌を引っ張り出してパラパラと捲りながら聞くと、悪魔は乗り気になったように身を乗り出す。
「他には……そう、多国籍料理!」
「お、ええな! ほんなら夕飯は多国籍料理の店にしよか!」
 悪魔の答えに、セレシュも乗り気だった。
 二人で頭をつき合わせて雑誌の覗き込み、多国籍料理店のどこに行ってみるか検討し始める。
「ここは料理が美味いらしいで。こないだ来とったお客さんがお勧めやって言っとった」
「へぇ〜。でも、こっちのお店も気になる。料理の品数も多いしウェルカムドリンクも付いてるし」
 こうして話をしているととても楽しい。
 あれが食べたい、これを試してみたいと、気の合う仲間同士で話をするのはいい気分転換になる。
 結局決めたのは、他にはないメニューを取り扱っている店と言う事で決まった。
「ワニの肉串焼きなんて、滅多な事じゃ食べられへんもんな」
 ワニと聞くだけで一瞬引いてしまいそうになるが、珍しい物食べたさと言うのもある。
 セレシュたちは早速店に予約を入れると、出かける準備をし始めた。
「ほんなら、次はリコッタチーズのパンケーキ食べに行こか!」
「うん!」
 パンケーキの店に関しては、悪魔が以前から行きたいと思っていた店に決まっていた。
 外に出るとまだ冷たい風が吹き抜けていく。
「ええ加減あったかくなってくれへんかなぁ」
 寒さが苦手なセレシュは眉根を寄せながらポツリとぼやきながら、悪魔と一緒に店を目指した。
 電車に乗り、沢山の人々が行き交う都会へと出てくると、二人は小腹が空いた事もあり脇目も振らずパンケーキで有名な店を目指す。
 辿り着くと有名店だけあって沢山の行列が出来ていた。
 二人も皆と同様に列に並び、他愛ない話に花を咲かせながら順番を待つこと一時間。ようやく悪魔念願のパンケーキにありつく事が出来た。
「美味しい!」
 一口ほお張った悪魔は頬をピンク色に染め、フォークを咥えたまま片方の手を頬に当てて目を輝かせる。
 セレシュもまた一口食べると感激したように目を輝かせた。
「ホンマやな! 甘いもんなんかと思っとったけど、あんまり甘みもなくてサッパリ食べやすいわ!」
 コテコテのはちみつやバター、生クリームがたっぷり乗ったパンケーキも非常に魅力的ではあるが、今日ぐらい少し違うものを食べるのもいい。
 あっと言う間にパンケーキを平らげた二人は、店を後にして近くのショッピングモールへと足を運ぶ。
 中には可愛いものからシックな洋服店がズラリと並び、雑貨や帽子屋などがある。
 セレシュはふと視界に入った店に足を向けると、悪魔も急いでその後を追いかけた。
「これなんか、あんたに似合うんちゃうんかなぁ?」
 セレシュはパステルカラーの春物コートを手に取り、悪魔に押し当てると悪魔はそれを覗き込んで首を横に振った。
「これはどう考えてもセレシュの方が似合ってるわ」
「そうかぁ? うちはこんなんあんまり着んし、似合うかどうかよう分からん」
「絶対似合うって。ほらほら、鏡見てよ」
 互いに似合う、似合わないと褒めあいながらのウインドウショッピングを楽しんでいると、やがて夕方になり予約た料理店へと足を向ける。
 店に着いて席に座ると、二人は気になるものからどんどん注文をしていった。
 次々と運ばれてくる料理をあれも美味い、これも美味いと平らげていく中で二人が注目していたワニの肉の串焼きが登場する。
「……これがワニやねんな」
「……ちょっと食べてみる」
 真っ白く、塩コショウのシンプルな串焼きをマジマジと見つめていると、悪魔が先に挑戦した。
「凄く淡白な感じ。鶏肉に似てるんだけど、鶏肉より淡白かも」
 悪魔の感想を聞いてから、セレシュが恐る恐る口に運んでみると思いの外美味しい事に目を瞬く。
「へぇ。ワニって美味いんやなぁ。これはハマリそうやわ」
 セレシュがほくほくと美味しそうに料理に舌鼓を打っていると、ふと悪魔が声をかけてきた。
「ね。聞いていい?」
「ん?」
 料理を口に頬張ったまま、顔を上げたセレシュに悪魔は問いかける。
「なんでまた急に、ご飯食べに行こうとか思ったの?」
 その問いかけに、セレシュは頬張った食事を飲み込むと傍に置いてあった荷物をゴソゴソと漁り始めた。そして透明な袋に丁寧に包まれた可愛らしい小物入れを悪魔の前に差し出した。
「え?」
 目を瞬いた悪魔に、セレシュは鼻の頭を掻きながら目をそらした。
「明日からまた仕事やし、頑張るんやで」
 気恥ずかしそうにしているセレシュを見ていた悪魔は、目の前に差し出された贈り物とセレシュを交互に見やり、やがてプッと噴出した。
「な!? なんやねん! 失礼なやっちゃな!」
「ご、ごめ……。だってセレシュ、珍しいことするからさぁ」
「う、うっさいわ! もうやらんでっ!」
 真っ赤になりながら小物入れを取り上げると、悪魔は大慌てでそれを取り返した。
「やだちょっと! 一度あげた物を取らないでよ!」
「ホンマに、余計なこというとったら返してもらうわ!」
「だからごめんってば。それから、ありがと」
 悪魔が心底嬉しそうに笑うと、セレシュも勢いを失くしてふっと笑った。
「明日からもっと頑張るね。よろしくっ!」
「うちの方こそ、よろしゅうな。いつも通りビシバシしごいたるわ」
「いや、それは遠慮します……」
 クスクスと笑いながら、二人は楽しい食事の続きを摂り始めた。