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白のお友達
《――例年には類を見ない程の雪が首都圏を襲い、現在関東地方には大雪警報が発令されております。外出の際は――》
食卓に置かれたテレビから聞こえるニュース番組。アナウンサーの女性が真剣な面持ちで警戒を呼びかけているようだが、そんなことはお構いなしといった表情を浮かべた母娘がいた。
アイス屋を経営している、アリアとその母の二人であった。
「良い天気ね、アリア」
「……んっ」
普段から表情の変化が乏しい青い髪の少女、アリアにしては珍しく、窓の外を見て目を輝かせている。その様子はさながら、歳相応――あるいはもっと幼く見える気もするが、そんな横顔を見て彼女の母は笑みを浮かべた。
外は現在、白い大粒の雪が空を横殴りに飛び交い、地面は雪に覆われている。果たしてこれを『良い天気』だと心から朗らかに言える母が人間にいるだろうか。
そんな常識とは離れた場所にいるのが、アリア達――氷の女王を先祖に持った血族だ。
東京での例年類を見ない大雪に見舞われ、交通はストップしている。外に出れば視界は白く染められ、数メートル前方の視界ですらぼんやりと濁って見える。
そんな天気は、どうやら彼女達にとっては『良い天気』だそうだ。
「……今日、お外で遊んできて、良い?」
眠たげないつもの表情よりも少しばかり開かれた瞳。爛々と輝いたアリアの瞳につい笑みを浮かべて、アリアの母は「もちろんよ」と首を縦に振った。重ねて言うが、こんな日に普通の子供を外に出す親などいない。いるとすれば、ニュースで取沙汰されるような類である。
だがそれも、やはり普通であれば、に他ならないのだ。
こうして、アリアはこの絶好の散歩日和を楽しもうと外へと繰り出すのであった。
◆
東京は年に一晩か二晩程度雪が降る。
しかしそれはあくまで、地面に積もるような降雪量には至らない。せいぜいが、畑などに薄っすらと積もる程度である。
もちろん、視界が安定しないこんな雪の日に外に出たがるはずもなく、また除雪技術の乏しい東京都内では車で出かけることすらままならない。
そんな、まるでゴーストタウンのように人の気配のない雪の積もった道を、さながら踊るように上機嫌で歩いていたアリアは、家から歩いて30分程度の位置にある小さめの公園へと足を踏み入れた。
真っ白な雪の絨毯に、まだまだ軽く小さな身体で足あとを描いていくアリア。一応人間らしく厚手のコートと真っ赤な長靴を装着してはいるものの、本来であれば裸足といつもの白いワンピースでちょうど良いぐらいの陽気――ならぬ雪気である。
鼻歌混じりに上機嫌に歩いていたアリアが、ふと吹雪の向こう側に座っていた一人の少女を見つけ、小首を傾げた。
「……う……ひっく……」
泣いている一人の少女。
アリアはその姿に動じることもなくゆっくりと歩み寄り、少女の後ろに歩み寄った。
「……アイス、いる?」
「ふぇ……?」
まさか声をかけられるとは思っていなかったのか。それとも、こんな豪雪に見舞われた状況でアイスを勧めてくるという、あまりにも突拍子のない行動に驚かされたのか。
いずれにせよ、少女はその声の主であるアリアへと振り返った。
「……あい、す……?」
コクリと首を縦に振ったアリアであったが、少女はそれに対して再び小首を傾げた。
アリアの奇行に首を傾げた訳ではない。
少女には、『アイス』が何なのか解らなかったのだ。
真っ白なワンピースを着た、真っ白な髪の少女。
瞳の色は灰色に染まっており、年の頃はおよそアリアよりも少し下といったところだろうか。
それは明らかにアリアと同類――詰まる所、人外の存在なのだ。
かつてアリアが交流を深めることとなった〈ゆきんこ〉や〈雪女〉という妖怪が日本には存在している。〈一本だたら〉なども有名なところであるが、アリアはそれを見たことはない。
しかし、〈ゆきんこ〉や〈雪女〉と言えば、日本人の姿を取ることが多く、黒い髪に黒い瞳であったり、もしくはそれに準ずる色合いだ。
それでも、アリアは感じ取る。
運ばれてきた匂いは妖怪や妖魔の類のそれだ。この公園に向かって歩いて来たのも、元はといえばこの吹雪に運ばれてくる匂いが原因だったのだ。
眼前にしゃがみ込んだ白一色の少女は、アリアからの接触を機に涙を止め、今もまだアリアを見上げたまま固まっている。
「……わたしのこと、見えるの?」
少女の問いかけに、再びアリアがコクリと首を縦に振った。
しかしアリアは、どうにも気にかかっていた。
――この少女が何者か?
そんなことはどうでも良い。
むしろ自分に近い存在だということぐらいは、匂いが先程から雄弁に物語っているし、その服装だって人間であったならば凍死しかねないものだ。
――では何故ここにいるのか?
それもまたアリアにとってはどうでも良い。
ここにいるのだから、何故いるのかなど瑣末な問題である。
そもそもアリアにとって、この少女に対してそんな疑問を抱いてなどいない。
――何故泣いていたのか。
以下同文である。
――では、何が気になっているのか。それは――――
「――それで、アイス、いるの? いらないの?」
少女は目の前でアイス云々を口にするアリアを見て、それが何なのかは解らずとも、まず普通ではない問いかけだろうと当たりをつけるのであった。
◆ ◆ ◆
先程までの吹雪は鳴りを潜め、轟々と音を立てて吹き抜けていた風はだいぶ落ち着いた。それでも時折ビュウビュウと音を立てて雪を飛ばしてくるが、アリアと少女の身体には雪がぶつからず、ふいっと横に避けていく。
それでも雪はしんしんと降り続け、その灰色の空の下でブランコに腰をかけてアイスキャンディーを食べる二人の少女。
その姿をもしも誰かが見たら、まず間違いなく見間違えたのかと判断するだろう。
「わたし、迷子になっちゃったの」
そんな言葉を呟いた少女は、アリアに与えられたオレンジ色のアイスキャンディーを舐めながら空を見上げた。
「空を飛んで、もっと北に行くつもりだったのに。なのに落ちちゃって、ここに置いてけぼりになっちゃった」
「……白ちゃんは、妖怪?」
「白ちゃん? それってわたし?」
少女の問いかけにアリアが頷いて肯定を返した。
少女は名を持たない存在なのだそうだ。それ故に、アリアが命名したのが白ちゃんという名前である。
白ちゃんと呼ばれた少女は「えへへ」と笑うと、自分の名前を反芻し、ようやくアリアの質問に答えた。
「妖怪じゃあないとおもうよ。わたし、〈ひょうせい〉だもん」
「ひょーせー?」
聞いたこともない言葉にこてっと首を横に倒してみせたアリアと一緒に、白ちゃんと名付けられた少女も「わたしもよくわかんないー」と言って同じように首を横に倒す。
そうして交錯した視線を見つめ合うと、お互いにくすくすと笑って顔を寄せ合った。
「んとね。冬に生まれて世界に冬ですよーってお知らせするの」
「……ふーん……?」
「アリアちゃんは? よーかい?」
「ううん、アイス屋さん」
「あっ、そっか。この『あいす』をくれるもんね」
「うん、アイス屋さん」
的を得ていない会話をしながらも、アリアと少女はまた笑顔を浮かべた。
方や氷の女王の子孫。
そして方や〈氷精〉と呼ばれる存在。
どちらも互いに親近感を得たのだろうか。
先程からそんな会話をしながらも、二人は自分と相手がどことなく似ているのだと実感していた。
アイスを頬張って遊ぶ幼い少女達。
一面の銀世界は普段の喧騒とは隔絶されたように静けさに包まれている。
共通する二人が感じる、なんだか胸の辺りがぽかぽかと温まるような感覚。
二人はたった数分間のやり取りをしただけで、無言さえ享受していられるような関係を作り出していた。
「うん、なんだか不思議だね、『あいす』って」
「美味しいって言うんだよ?」
「おいしい?」
「うん。美味しいアイス」
「そっか。おいしいありがとうだね」
また何処かずれた会話を交わして、二人は笑みを浮かべる。
そうして二人は、たくさん遊んだ。
――今日は、楽しい。
アリスが胸中に抱いた感想は、そんな飾り気もない一言に尽きた。
冷たくて大好きな氷の世界に近い、白銀の真っ白な世界。
それに、こうして出会えた新しい友達。
――うん、楽しい。
アリスは心の中で呟く。
こんな時間が、続けば良いな、と。
「じゃあ、わたしもう行くね」
「え……?」
告げられた言葉は、別れと終わりの言葉だった。
温かな、ぽかぽかとしていた気持ちが急速に冷え込み、胸のあたりをチクリと刺す。
「みんなと一緒に行かなくちゃいけないの」
対する少女も、どうやらアリアと同じような気持ちを感じているらしい。
少しだけ困ったような、淋しそうな顔でアリアから視線を逸らしていた。
せっかく知り合えたのに、もうお別れ。
それはアリアにとっても、少女にとっても苦しいものだ。
だけどアリアは、彼女をただ氷の中に閉じ込める真似をしたくはないと思った。
いつもなら、まるでお気に入りのコレクションにしてしまいたいだけなのに、この眼の前の白い少女に対してだけは、少しそれが違うのだ。
「……お別れ?」
「……うん」
「また……、会える?」
「……ッ、うんっ! もちろん! わたしたちは、冬をお知らせしに来るんだもん! 来年も、再来年も、何度もアリアちゃんに会いに来るよ!」
「……んっ、約束」
お互いに、なんて不格好な笑みを浮かべるのだろう。
もしもその場にいたら、誰もが二人の笑顔をそう表現するだろう。
胸のあたりをチクリと刺す痛みに泣きたくなる。
なのに、どうしてかは分からないけれど、その姿を見せちゃいけない気がした。
それが、大事な友達を苦しめてしまうのだと、心のどこかで悟っていたのだろう。
だから二人は笑い合う。
不器用な笑顔を浮かべて、目尻に涙を溜めて。
頬を伝った涙なんて、気付かないフリをして。
「また、またね、アリアちゃん。またきっとここに来るからね」
「……うん、うん」
少女の笑顔が崩れて、アリアもつい釣られてしまった。
ぼろぼろと零れる涙を、まるでそんなものはないのだと言わんばかりに無視をして、二人の少女はまた歪んだ笑顔を見せ合った。
「また、あそぼうね」
「うん、アイス、もっとあげる」
「えへへ、楽しみにしてる。ばいばい、アリアちゃん」
少女の声に、せめてもう一度手を触れようとアリアが手を伸ばす。
しかし少女はキラキラと光る光の粒子となって、空へと舞い上がってしまった。
虚空を切った自分の手を見て、アリアは何も言わず、ただ視線を落とした。
胸の辺りをぎゅっと締め付けるその痛みを噛み締め、堪えるように。
アリアはしばらくその場から動こうとはしなかった。
――――
「いってきます」
「あら、こんな雪の日にアリアったら台車を持っていくの?」
「……ん、大丈夫。ちゃんとスキー仕様」
ブイッと台車の足の車輪をスキー板に履き替えさせたアリアが、母に向かって無表情でどうだと言わんばかりの顔をする。
その姿に苦笑したアリアの母が口を開いた。
「もう、しょうがないわね。でも売れないと思うわよ?」
「これは、私の友達の分だから」
「……そう。行ってらっしゃい」
あれから一年。
また今年も、この街は雪に覆われ、白銀の世界に包まれていた。
「アリアちゃん!」
今年もまた、彼女との一日が始まる――――。
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ご依頼有難うございます、白神です。
今回はお任せということだったので、せっかくなので短編の
お話を書かせていただきました。
少しだけ成長するような、そんなお話です。
お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、また機会がありましたら
宜しくお願い申し上げます。
白神 怜司
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