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<東京怪談ノベル(シングル)>


人形の檻


 こんな豪邸を見たら、あの付喪神の少女が心穏やかではいられないだろう、とセレシュ・ウィーラーは思った。
 今日は、まあ彼女の馬鹿力が必要となる仕事ではなさそうだから留守番をさせてある。
 連れて来なくて良かったとは思うが、1人にさせておくのも、いささか不安ではあった。
 主の留守中に、こそこそと悪さをするような少女ではない、とセレシュとしては信じたいのだが。
(うちの、がめつい所だけが出て来て形になったような娘やしなあ……)
「こちらへ、どうぞ……」
 案内された。
 この豪邸の主人の、1人娘の部屋である。
 年頃の娘らしい、と言うべきか。様々なアクセサリーが、壁に、机や棚やタンスの上に、商店の品の如く並べられている。水晶球。妖精の像、様々な幻獣の置物。数珠。タロットカード柄のタペストリーに、デスマスク風の壁飾り……
 セレシュは眉をひそめた。
 大半は二束三文のオカルトグッズだが、「本物」が1つもないわけではない。セレシュが片手間で作れる程度の魔具が、いくつかある。
 セレシュの、恐らくはあまり質が良くない類の同業者が、作って売りつけたものであろう。
「こんなものを、買い漁るようになってしまって……」
 豪邸の主人が、おろおろと泣きそうな声を発している。
 事業で何人もの人間を破産や自殺に追い込んできた豪の者であるが、1人娘の事となると剛胆・冷徹ではいられなくなってしまうようだ。
 その1人娘は、部屋の奥で椅子に座っていた。
 少なくとも何日か前までは、生きた人間の少女であったものが、背もたれに身を預け、細い手足を投げ出している。球体関節で繋がった、たおやかな両腕両脚。
 清楚なワンピースを着せられた、等身大の人形が、そこにあった。
 この少女を、人間に戻す。それがセレシュの、今回の仕事である。
(何でも屋さんになっとるなあ、ほんま……)
「娘が、部屋から出て来なくなりまして……」
 少女の母が、途方に暮れている。
「無理矢理に入りましたところ、このような人形が……あの、これは本当に」
「娘さんが、お人形に変わってもうた……なぁんて確かに信じられへんやろな、普通」
「私、思いますの。娘が、その……家出をして、身代わりにこの人形を」
「馬鹿を言え! あの子が家出など、するものか!」
 少女の父親が、少々ヒステリックな怒声を張り上げた。
「あの子はな、何者かの呪いを受けて、こうして人形に変わってしまったのだ!」
「ほほう。御主人は、呪いっちゅうもんを信じてはる?」
 セレシュの問いに、主人はやや俯き加減に答えた。
「……その手の業者に、私も依頼をした事があるのでな」
「高うつきましたやろ? その手の輩は、がめついのが多うおますからなあ。うちなんか、お安い方でっせえ」
 言いつつセレシュは、人形の固く滑らかな頬に片手を触れた。
 人間の少女の面影を残す、作り物の美貌。
 その冷たさ固さの中に、セレシュは、無機物では有り得ない何かを感じた。
 石化した人間と同じような、何かを。
「こりゃ身代わりとちゃいまっせ……お嬢さんが人形に変わってはる。間違いあらへん」
「や、やはり……何者かの、呪いで……」
「呪われるような、お心当たりは……あり過ぎて何の事やら、っちゅう感じでっか? 御主人」
「……他人の恨みを買わずに、金持ちになどなれんよ」
「ええ事おっしゃる。何か脅迫みたいなもんは? 娘さん元に戻して欲しかったら金よこせとか、事業から手ぇ引けとか」
「そういうものは一切ない。いや、これから来ないとも限らんが……」
「ま、ちょう診察させてもらいましょか。申し訳ありまへんな御主人、少しの間お部屋の外にいてもらえまっか? お人形でも、年頃の娘さんや」
「わ、わかった……」
 主人が、妻を残して部屋を出た。
 セレシュは奥方に手伝わせ、少女の服を脱がせた。
 のっぺりと固い、人形の裸身が露わになった。
 硬質の胸や背中にセレシュは手を触れ、耳を寄せ、触診・聴診を試みた。
 そこまでせずとも魔力の流れを見る事は出来るが、「診た」という事実は、奥方にわかりやすく示しておいた方が良い。
 とにかく、セレシュは人形に触れた。人形に閉じ込められた、少女の心にも触れてみた。
 それだけで、わかった事がある。
「呪い……みたいなもんなのは、間違いあらへんな」
「そ、それではやはり主人のせいで……!」
 奥方が、崩れるように座り込み、俯いて涙をこぼした。
「主人は……人様に恨まれて当然の事ばかリ、しておりました。私も、それを手伝って……主人や私が呪い殺されるのは、仕方ありません……ですが娘は……娘には、何の罪もないのに……」
「お嬢さんの事……ほんま大切に思うとるんやね。あんた方」
 あの主人とて、家族に少しでも豊かな暮らしをさせるため、手段を選ばぬ金儲けを続けてきたに違いないのだ。
 少女の心に触れて、もう1つ、わかった事がある。
 それを口にせずセレシュは、人形から手を離した。
 その手を、空中にかざす。細く綺麗な人差し指で、文字を綴る。
 軌跡が白く輝き、空中に光の文字が出現した。
 それらは一瞬にして砕け散り、キラキラと室内に拡散した。そしてオカルト系アクセサリーの、いくつかに付着する。蝶を閉じ込めた水晶球。キリストではなく仏陀を磔にした十字架。奇怪な踊りを踊る南米土偶……
 人形が、椅子からずり落ちて床に倒れ込んだ。
 それは人形ではなかった。柔らかな重みのある、生身の肉体。
 人間の少女だった。
 屍ではない。体温がある。が、意識はない。
 泣き叫びながら奥方が、人間に戻った娘の身体を抱き起こす。娘の名を、何度も呼んでいる。
 だが少女は、目を覚まさない。
「人形やった時間が、ちょう長過ぎたみたいやな。心まで、お人形になりかけとる」
 セレシュは言った。
「うちの魔力で無理矢理、治せへん事もないけど……いや、駄目やな。弱った心にとどめ刺す事になりかねへん。御家族の方が、ひたすら地道に呼びかける。それが一番、確実で安全や」


 このまま人形になってしまいたい。
 少女の心に触れた時、セレシュがまず最初に感じたのが、その思いだった。
 あの大富豪の夫婦は、自分の娘を、本当に大切に慈しんで育てたのだろう。人形愛好家が、人形を愛でるように。
 少女は、令嬢として育てられた。
 門限、食事のマナー、勉強、服装……友達まで、両親によって制限される生活を強いられてきたのだ。
 いつしか少女は、怪しげなオカルトグッズを買い漁るほどに、心を追い詰められていった。
 それらの中に、本物の呪物があった。
 どうせ私は、お人形だもの。
 セレシュが心に触れた時、少女はそう言っていた。
 そんな心に、呪物の魔力が反応し、あのような人形化を引き起こしたのだ。
 以上、一切を、あの夫婦に説明する事なく、セレシュは豪邸を出た。
「人様のお家の事やしなあ……」
 いくつかあった本物の呪物に、封印を施す。それらを速やかに処分するよう、夫婦に告げる。
 それ以外、セレシュに出来る事などなかった。
 これに懲りて、自分たちの娘を少しは自由にさせてやるように……などとは、他人が言える事ではない。
 あの少女とて、少なくとも経済的には恵まれた生活を、両親によって保証されてきたのだ。多少の不自由には耐えるべきだ、という思いもセレシュの中にはある。
 それも、他人が偉そうに言って聞かせる事ではなかった。
「お仕事終わったら何も言わんと、ちゃっちゃと帰る……それがプロっちゅうもんやな、うん」


 娘が目を覚まし、徐々に心を取り戻しつつある、という話をセレシュがあの夫婦から聞いたのは、それから数年後の事である。