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<東京怪談ノベル(シングル)>


闇に咲く華―3

一仕事を終え、滑り込むように飛び乗った愛車を夜の闇に支配された高速に走らせる。
向かう先はただ一つ。壊滅させた連中の総本山―すなわち真の本拠地だ。
壊滅させたビルに到着する少し前に情報部が送ってきた報告に記されていた真の本拠地には、二つの組織を操っていたボスはすでにいない。
だが、今回のシナリオを作り上げた策士がまだ健在でいる。
その一文を読んだ瞬間、琴美の心は決まっていた。
―本件の首謀者は徹底的に滅ぼしておきましょう。でなくては、同じようなことを繰り返しますわ
くすりと柔らかく琴美は微笑むも、その瞳が冴えわたる刃のように恐ろしいほど冷やかで、一片の温情さえも感じなかった。

「ボスがやられた?」
「ハイ、襲撃を受けたビルはほぼ廃墟に近い状況。ボスとあちらのやつらの安否は不明です」
しかも、と緊張をにじませた固い声で告げる手下の言葉に、参謀はわが耳を疑った。
「やったのは、たった1人。しかも女、との報告です。1人で街を二つにして対立していた下位構成員百数十人、幹部・親衛隊を含む上位構成員、そしてボスたちを殲滅させたそうです。信じがたい事ですが……事実です」
「いかがします?参謀」
潜在的な恐怖を覚えたのか、そばに控えていた幹部が血の気の失せた蒼い顔で問うてくるが、即答はしなかった。
灰色がかった短い髪をかき揚げ、額を抑えると、参謀はあることを思いだし、息をついた。
「噂に聞く自衛隊の特殊部隊の精鋭だな、そんな真似ができるのは……都市伝説だと思っていたが、本当に実在したか」
1人で5個師団を軽く超える戦闘力を持つ絶対的切り札。彼らに目をつけられ、生き残った組織は存在しない。
国が誇る最強の戦闘集団。最精鋭部隊。
あらゆる褒め言葉とも畏怖とも取れる言葉が頭を駆け巡り、参謀は力なくソファーに背を預けると、薄暗い天井を見上げた。
今回のシナリオは元々、無理があった。
二つの組織を裏で操りながら、安全圏で高みの見物を決め込み、漁夫の利を得る。
今まで何度となく行った作戦の中でも、ひときわ厄介なボスのアイデアを基に完璧なシナリオを描いたつもりだったが、まさか、と唇を噛んだ。
「潰したのは女……と言ったな?」
「はい。やたらとスタイルのいい女でして、なんとか逃げてきたやつの話によると、そいつがまぁ、とんでもなく強いと」
どうしやす?と青ざめた表情で問いかけてくる手下を軽く睨み、参謀は押し黙った。
そんなことはこちらが聞きたい。
長いこと敵対していた組織のトップに立った男が先代と違い、威勢はいいがとんでもない腰抜けで、体面だけ保てれば我関せずの日和見主義者の馬鹿息子。
対するこちらは同じく先代の息子とはいえ、千尋の谷に突き落とされたがごとく下位構成員から這い上がってきた実力主義者。
どちらに従うかは明白で、実際、たった一度対面しただけで相手のボスはあっさりと尻尾を振ってきた。
幹部たちが知れば激怒ものだったろうが、いい操り人形だったが……所詮は無能。
この危機を引き起こしたのは、間違いなく彼らにも責任はあると参謀は思うも、引き返すことはできない。
「無駄だろうが、警備を固めて備えおけ。これだけの速さでボスたちのビルを壊滅させたんだ。今日中にケリとつける気だろうな」
ここまで来たら、じたばたするわけにいかないと、腹をくくり、参謀はソファーから立ち上がりながら指示を出すと、部屋を出た。
その足で向かう先はボスの書斎。
自分がボスに成り代わる―などという馬鹿げた魂胆はない。そこにある膨大な資料を処分するためだ。
一見すれば、ただの書類。だが、見る者が見れば、それがどれほど貴重なものであるかは一目瞭然。
なにせ国内のあらゆる組織との武器や薬の取引、組織同士の抗争を裏で操りながら得た金の流れが詳細に記されてる重要書類。
―特殊部隊の精鋭などに決して渡すわけにいかない。
強く決意して、書斎へと続く扉を開けて、参謀はその場に凍りついた。
毛足の長い絨毯の上に散らばる無数の書類。
北欧から輸入したオーク材の書斎机にゆったりと腰かけ、片手で書類の束を読む1人の女。
身体のラインが際立つ漆黒に染まったラバー素材のスーツにプリーツスカートと細い足を包んだ膝丈まである編み上げのブーツを纏った黒髪の女。
部下たちの報告にあった件の特殊部隊の精鋭―水嶋琴美がそこにいた。
「あら、ようやくのおでましでしたの?」
「きっ……貴様、どうやって!!」
にこりとわざとらしく笑う琴美にカッと血が上り、参謀は隠し持っていた拳銃を向けるが、効果はなく、琴美は小さく小首を傾げながら、机から腰を上げて、怯えることなく、その銃口の前に立った。
「きちんと入り口からお邪魔させていただきましたわ。警備の方には少々、礼儀をお教えしましたけれど」
「なんだと?!」
「ええ。来客に対して暴言を吐くなど言語道断。相手を不審者と判断したのなら、容赦ない排除をおすすめしますわ」
小さな侮蔑を込めた冷笑に背筋が凍る。
ここにはボスのいるビルの数倍以上の警備を張らせていた。それを物ともせずに進入したということは十中八九、壊滅させたということだ。
桁外れの実力を思い知らされ、息を飲む。
「ここにある資料は読ませていただきましたわ。ずいぶんと荒っぽいことをされてきたのですね」
手にしていた書類をばさりと鳴らし、琴美は参謀をすっと見る。
きりきりと怒りをにじませていく参謀の姿に琴美は小さく肩を竦め、予想通りの反応に苦笑した。
琴美としてはあまり使いたくなかった手だったが、派手なわりに周到な策を巡らせてきた参謀から冷静な判断を奪うには有効な手だ。

あからさまな挑発に判断をなくし、激情に任せて拳銃のトリガーを引く参謀。その動きを完全に読んでいた琴美は余裕の表情でそれをかわすと一歩、前に踏み込むと固く握りしめた拳を参謀の鳩尾にえぐりこませようと繰り出す。
だが、ほんの一瞬だけ早くその動きに気づいた参謀は拳銃を持ったまま、琴美の頭に振り下ろした。
拳銃の弾倉が触れる寸前、琴美は踏み込んだ左足で絨毯を蹴って、参謀との間合いを取る。
時間にして、わずか数秒の小競り合い。
しかし、実力は分かるもので、琴美は我知らず、会心の笑みを浮かべた。
「机上で作戦を考えるだけの肩ではなかったようですわね」
「ああ、策を立てるが、実践派でな……自分でやれんようなら下っ端にも無理だ。だが……まぁ、本気でやらんとやられそうだからな」
「充分ですわ」
余裕を崩さない琴美に参謀は目を殺気に染め、拳銃を投げ捨て、隠し持っていたサバイバルナイフで切りかかってくる。
額、目、左胸、鳩尾……人体の急所を正確に狙って突いてくる参謀だが、琴美から見れば、速さがまだまだ遅い。
軽いステップを踏むように参謀の攻撃を全てかわしきると、琴美は全身のバネを生かして、心臓目がけてナイフを繰り出してきた参謀の身体を流れるような動きでかわして背後に回り込むと、思い切りよく足を払い飛ばす。
そして受け身を取ることもできず、床にまともに倒れ込む参謀の腕を掴みあげると、軽い仕草でひねりあげる。
関節を完璧に決めていたために、カエルを踏みつぶしたような情けないうめき声を上げる参謀。
「終わりですわ」
一切の温度をなくした琴美の声音が響いた瞬間、鈍い音ともに参謀は声なき悲鳴を上げて意識を手放した。

「ほう……随分と呆気ないな」
「ええ、あれだけの事をしでかしてくださった割に呆気なかったですわ」
報告書を一読し、デスクに投げ置くと、司令は随分とすっきりした表情をしている琴美に内心、半ば感心した。
普通に見れば、一般市民―しかも幼い子どもを巻き込んだ抗争を起こした二つの組織とそれを裏で操っていた一派を殲滅させてきた人物とは、到底思えないごく普通の女性なのだが、実力は他者の追従を許さない最強の隊員。
たった一人の女に組織を壊滅させられたとあっては、再起はないだろう、と司令はその考えを即座に打ち消した。
操られていた根性なしのボスが従えていた幹部連中は意外と気骨があったらしく、琴美を相手に首を差出してきたという。
そんな連中がいたからこそ、警察の追及を受けずに何とか生き残ることができたのだろう。
「二つのうち一方は完全に壊滅。当然だろうな、これだけの証拠が出てきたとあっては申し開きもできまい」
「そうでしょうね。麻薬・銃器密売に人身売買……思いつく限りの悪事はやってますもの。殲滅は当然ですわ」
「まぁいい。この件で発覚した組織で動いてもらうこともあるかもしれんが、本任務は終了だ。ご苦労だった」
やれやれと肩の荷をおろす司令に琴美は威を正して敬礼すると、司令室を後にした。
多少、厄介なこともあったが、楽な任務であるのは変わりなかったが、まだまだ気を抜くわけにいかない、と琴美は思う。
あの本拠地で見つけた書類には、こちらが追っている犯罪組織の手がかりが細かく記されていたのだ。
これでまたすぐに動くことになるかもしれませんわね、と琴美は新たな任務へと思いをはせるのだった。