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●春の日差しは心朗らか
「よ。青年、真面目にお仕事頑張っとる?」
玄関の掃き掃除をしていた絢斗の前へ、上機嫌そうに現れたのは見知った人物――セレシュ・ウィーラーだった。
セレシュは彼の仕事の掛け持ち先である【アンティークショップ・レン】の仕事仲間でもある。
宵闇令堂の常連でもあるセレシュへ、絢斗はわざと嫌そうな顔を向けた。
「店には久しぶりに来てくれたはずなのに……毎日のように会ってるから久しぶりって気が全然しない」
「ほんまやね。ウチも懐かしいって感じがないわ」
こうして絢斗が憎まれ口を言っても、緩急つけて返してくれるノリも人柄も良い女性であったりする。
「ほな、中入っとるよ。いつものアレ、よろしゅうな?」
くすくすと楽しげに笑いながら、セレシュは軽い足取りで店のドアを押す。
塵取りでゴミを集めると、絢斗は小さく唸った。
「確か残り2本くらいしかなかったから、後で酒屋さんに追加頼んでおかなくちゃな……」
セレシュはいつもの場所に腰をかけ、喉を通る熱さすらも楽しむように、白い喉を鳴らしながらグラスを傾ける。
唇を離すと、無色透明な液体が入ったグラスを見つめながら、ほぅ、と吐息を漏らした。
「ん〜……美味し。スピリタスのストレートを気兼ねなく飲ましてくれるんは、ここだけやもんなぁ〜」
常人には辛いであろうと思われるアルコール分の高い酒をグラス半分ほど一気に飲んだというのに、セレシュの顔色は青くもならなければ赤くもならない。
「ここには一般の人なんか来ないから気兼ねなく出せるんだよ」
頬杖をつきながら、良くそんなにグイグイ飲めるね、とげんなりした様子でセレシュの飲みっぷりを眺める絢斗。
「それ、鷹崎さんも普通じゃないて言うてるようなモンやないの?」
「まぁね。誰かの持ち物触って、色々なことが分かる奴は普通じゃないだろうしね……」
この世界じゃどうってことないけどさ、と言ってから、自分をじっと見るセレシュに気付く。
「どうしたの、変な顔して。いつもだけど」
「あのな、ウチ、お客さんやけど。なんでそんな対応なん!?」
いつも蓮さんとこじゃそんな応対せぇへんやろ、と言いながら絢斗の頭を小突くセレシュ。
「セレシュさんにきちんと対応したら、この間『ウチの物壊したとか、なんかやましい事があるんちゃうの』って言われたからね」
「そう……やったっけ?」
あんまり覚えてないわぁ。と笑ったセレシュに、絢斗はいつものように『記憶力悪いんじゃないの』と余計な事を言って、今度は頬をつねられた。
「――あらあら。仲良しね」
2人の様子を見ていた寧々が、くすくすと笑っている。止める気配は皆無だ。
「寧々さん、鷹崎さんちゃんと教育したほうがええですよ。ほんっと、口が減らんわ!」
頬を膨らませてぷりぷり怒っているセレシュ。
絢斗は頬からセレシュの指を外すと、自分の頬をさすりながら嫌そうな顔をする。
「折角暇つぶしに付き合ってあげてるのに」
「ほんなら普通にすればいいやろ! 折角魔術トリートメントの半額券持ってきたやったっちゅうのに……」
ぶつぶつ言いながら、セレシュがポケットから割引券を取り出すと、絢斗の眼前へ見せびらかすようにひらつかせていた。
「ありが――」
「は? 何都合いいこと考えてんの。あげるとは言うてへんけど?」
絢斗が手を伸ばすと、サッとセレシュは券ごと手を引込め、彼へ素直に渡そうとしない。
すると、絢斗は仕方ないな、と勿体ぶりながら取引を申し出た。
「……美味しいカクテルと引き換えは?」
「あかん。もう一声」
「じゃあ、それにおつまみも」
割と絢斗の眼はマジである。寧々が後ろで『絢斗くん』と言っているのに気にしていない。
「ウチんとこでの治療は嫌やったんじゃなかったっけ?」
「この間初めてやってもらったら存外に気持ちよかったんだよ! だからお願い、頂戴」
この通り、と両手を合わせる絢斗に、セレシュは思わず噴き出した。
「――ま、しゃーない。仕事仲間のよしみや。鷹崎さんの条件と引き換えにあげるわ」
嬉しそうに割引券を受け取った絢斗の様子に、セレシュもあまり悪い気はしないようだ。
そのまま、絢斗は券をしまうと鼻歌を歌いながら冷蔵庫を漁り始める。
「ごめんなさいね、セレシュさん。絢斗くん図々しくて……」
寧々がそう謝ると、いいんですよとセレシュは笑顔で応じる。
「良くも悪くも、いろんなことハッキリ言うてくれるし。ウチも飽きんし」
お酒も美味しいし、と言って残っていたスピリタスをぐっと飲み干してグラスを空けるセレシュ。
静かに飲む酒も嫌いではないが、誰かと話しながら酒を飲むのも嫌ではない。
絢斗へおかわりの催促をしてから、令堂に飾ってある花を見て、セレシュは小さい声を上げた。
「あ。蓮さんの店の近くにある桜の樹、今週辺りには咲くんやないかなぁ」
楽しみやと期待するセレシュの言葉に、絢斗もそうだねと同意する。
「この間まで寒いなぁと思ってたけど、季節が巡るのも早いもんだ」
「そやね」
あっという間や、と言いながらセレシュは視線を室内に向けた。
別のテーブルの上に置かれたキャンドルが、ゆらゆらと幻想的に揺れている。
「それぞれの季節に、それぞれ違った魅力があって、ウチはどの季節も割と好きかな」
「いいんじゃない? 季節を、日々を大事に考えられるのは、幸せな証拠さ」
小さく笑った絢斗にセレシュも頷いて微笑みを返す。
彼女の空いたグラスと入れ替わりに、新しくコースターの上へ置かれたのは桜色のカクテルだった。
液体で満たされたグラスの中にはチェリーが入っている。
「ロゼのスパークリング……?」
「桜リキュールと白ワインをソーダ水で割ったんだよ。春だからそれっぽくしたんだ」
絢斗の説明に『へー』と感嘆の言葉を発して、セレシュはシャンパングラスを手にするとじっくり眺める。
水の中を泳ぐように立ちのぼる細かな泡が水面に浮かぶとはじけて消える。
シュワシュワという音と共に立ちのぼる、フルーティーな香り。
喉を出来立ての酒で潤すと、満足そうな笑みを向けるセレシュ。
「ええ感じのお酒やね」
「春以外も飲めるけど、季節ものっぽくていいでしょ」
絢斗は白い皿へ冷蔵庫から取り出した食材を盛りつけている。
褒められて彼も満更ではないのか、嫌みのない笑顔を浮かべていた。
セレシュは名案を思いついたように『あ』と再び声を上げ、両肘をついてカウンターから身を乗り出す。
カウンター越しのキッチンで、絢斗がニョッキを茹でているのが見えた。
「蓮さんも誘って、花見でも近いうち行かへん?」
「別にいいけど、昼間か……仕事終わってからになるかな」
そうやね、と言って、何もない方向を見つめ何やら考え込むセレシュ。
どうやら予約の埋まり具合と空きそうな時間帯を脳内で調整しているようだ。
春の訪れは、人を明るい気分にさせるのね、と寧々も楽しそうに答えて、絢斗から料理の盛られた皿を受け取るとセレシュの前へと置いた。
アスパラと生ハム、今しがた茹でたばかりのポテトニョッキにチーズソースがかかっているものだ。
「嫌いなものないでしょ?」
「美味しいものは喜んで食べるよ。憎まれ口を叩く同僚は嫌いやけど」
「……それは良かった」
平然と言い返したように見える絢斗のこめかみが、僅かにひくついたのを見たセレシュ。
日ごろの鷹崎さんのマネや、と笑った後、目の前に置かれている酒の肴を味わう。
ゆっくりと流れる、ほのかに幸せで平穏な時間。
セレシュは、満足げに目を細めてカクテルで喉を潤した後。
「今日は酔うまで呑みたい気分になるなぁ……というか、ほろ酔い気分や」
今ちょっと顔赤いやろ? と言って、自分の顔をホラホラと指差すセレシュだったが、絢斗には変化が全く分からないらしい。
「まぁ、奢りじゃないけど好きなだけ飲んで行ってよ。閉店までには帰ってね」
「……寧々さん、鷹崎さん持ちでスピリタスのストレート、店にあるだけお願いしますわ」
「わかったわ。たくさん飲んでもらおうかしら」
にこにこと微笑みを向け合う女性二人に、絢斗の顔は青ざめる。
それを見たセレシュは、安心しぃ、と慈愛に満ちた目を向けた。
「全部飲んで、閉店までには帰るよって」
その後、本当にセレシュは店にあるスピリタスをストレートで全て空けたという。
幸運だったのは、店の在庫が2本程度しかなかったことである。
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