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泡沫と剣
萌によって魔女の組織から救い出されたイアルは、その後IO2本部にて事象聴取を受けた。
数々の犯罪の件が上げられたが、その間は彼女の記憶が無かったこと、捕らえた魔女から得た証言、萌が壊滅させた高級クラブ跡から出た証拠などから、彼女は無罪放免となる。
記憶の無い間、夜伽の客を取らされていた事を知った萌は、青ざめつつイアルに風呂へ行こうと誘う。
「……その穢れ、洗い流してあげるから」
「ありがとう、萌」
自分を本気で心配してくれる小さな少女。
真剣な眼差しでそう言ってくれることに、イアルは素直に感謝していた。
そして彼女に手を引かれて連れて来られた場所は萌の部屋の浴室だった。
萌は器用に泡を立てて、イアルの素肌にそれを乗せていく。
「あの……萌……? 自分で……」
「いいの、私が洗いたいの。だから、洗わせて?」
イアルを椅子に座らせて、萌は後ろに周り泡を転がし始める。
ある程度は自分で、と思っていたイアルであったが、彼女のそんな言葉にそれ以上を言えず任せてしまう。
柔らかで弾力のある泡と優しい手つきで、軽いマッサージを受けているような感覚になったイアルはゆっくりと瞳を閉じて、ふぅ、と息を吐いた。
「……私、昔は王女だったのよ。小さな国だったのだけど、守護龍の加護もあってそれなりに繁栄していたの」
「…………」
イアルは静かにそんな事を語りだした。
彼女の過去だ。
萌はそれを耳にして一度手を止めるが、その後また手を動かし続きを促す。
「争いの時代だったから、祖国も巻き込まれてしまって……最終的には滅ぼされてしまって、私は逃げたわ。途中、私のために死んでゆく兵士を何人も見た。皆私の盾になって……倒れていったの。城には抜け道があって、そこは王家と護衛の者以外知らない場所だったのけど、敵兵が待ちぶせてて……」
「密告者がいたのね」
「……ええ、そうね。きっと、そうだったんだわ。そこで私は逃げる姿のまま石化されて……支配の証として敵国でずっとその姿を晒されていたわ」
「それが……あなたが『裸足の王女』と言われていた所以……?」
イアルの背中を撫でながら、萌がそう聞いた。
すると彼女は静かに頷いて、寂しそうな表情を作り上げる。
『美術品・裸足の王女』
遠い異国から日本に渡ってきたとされ、萌は以前その『美術品』を警護していたことがある。
石像であっても美しいと感じるイアルは、やはりその当時からそのままの美貌だったのだろう。
改めて間近で見る玉の肌。キメの整った柔肌を滑る泡でさえ色っぽいと思う。
金色の美しい髪は水気を含んで更にしっとりと妖艶さを醸し出している気がした。
「その後も、何度も同じ目にあったわ。時の権力者が変わる度、生身に戻ってまた戦禍に巻き込まれて、囚われて、一糸まとわぬ姿のままレリーフに変えられたこともあったの」
「たくさん……辛い思いをしてきたんだね……」
背中から腰のラインにスポンジを動かしつつ、萌はイアルの言葉にそう応えた。
きっと、自分が思うよりもっと彼女は辛い経験を積んできたのだろう。そう思うと、胸が苦しかった。
「ねぇイアル……これからはきっと、楽しいこともいっぱいあるはずだから……」
「ええ、そうね。萌みたいな優しい子がいるんだもの。きっと楽しく過ごしていけると思うわ」
萌が改めてそう言うと、イアルが肩越しに振り向いて嬉しそうに笑った。
その表情がまた綺麗で、萌はうっとりと見とれてしまう。
「萌?」
「あ、ご、ごめんなさい。あの、流すね?」
「ええ、お願い」
イアルに名前に呼ばれて、萌は弾かれるようにして瞬きを数回した。
そして慌てて立ち上がり、湯船に張ったままのお湯を湯桶に救い上げてイアルの背中に流しかけた。
「…………」
泡が洗い流されて、露わになるイアルの素肌。
それに僅かに頬を染めてごくり、と喉を鳴らす。
だがしかし、その後に気がついたことがあり、萌は目を見張った。
「……萌? どうしたの?」
「イアル……どこかで体を鍛えていた?」
「いいえ、そういう記憶はないのだけど。でも、そうね……何故か戦い方だけは知っているのよね」
「そう……」
萌は難しい顔をしていた。
イアルにはそれが理解できずに首を傾げるばかりだ。
「確かめさせてほしいことがあるんだけど……いいかな?」
「わたしは構わないけれど……」
「じゃあ、お風呂上がろう。ちょっと模擬戦に付き合って」
萌はイアルの腕を引っ張ってそう言った。
そんな彼女の突飛さに多少驚いていたイアルだったが、すぐに頷いて立ち上がる。そしてお湯で残りの泡を洗い流して、二人は浴室を出たのであった。
IO2本部内にある、格技場。
主に待機中のエージェントたちが体を動かすために設けられている空間だ。
その場に連れてきた萌は、イアルに剣を持たせて自分もいつものパワードプロテクターを身につけその背にはブレードが装着されていた。
「あの、萌……?」
「イアル、貴女の力を私に見せて」
すぅ、と息を吸って、数秒。
萌が姿勢を正し、ブレードの柄に手をかける。
すると対面するイアルもびくり、と反応して手にしていた剣の柄をしっかりと持ち直した。
ひやりとした空気が二人の間に張り詰める。
「――ハァッ!」
ヒュオ、と風を切る音が聞こえた。
一瞬で宙を飛んだ萌が、イアルに向かって切りかかってきたのだ。
直後、金属のぶつかり合う音が格技場に響き渡る。
ビリ、と指先に感じるのは小さな痺れだった。
キリキリと金属がこすれ合う音が間近で聞こえる。
目の前には本気の萌の視線があり、イアルもまた同じ目つきでその視線を返していた。
ぐん、と自分の体重を掛けてその反動で萌はイアルと距離を取った。宙で体をくるりと回して、彼女は器用に地へと足をつける。
「…………」
イアルは萌の身体能力を素直に凄いと感じていた。
小さい体だからこそ、あのようにコンパクトに動けるのだと思うが、それを活かしている彼女自身に感服する。
「……イアルはどこでその剣技を?」
「分からないわ。でも、こうして対峙していると、体が勝手に反応するの。戦わなくちゃって……」
萌が問いかけてくる。
イアルは緩く首を振りつつも、やはり剣を構える姿勢は解かなかった。戦闘が続いている限りは自分の意識は関係なく体がそう反応してしまうようだ。
「なるほど。ただの王女様じゃないんだね、イアルは……。エージェント向きだけど、そうさせちゃうのは何だか勿体無いかな」
そう言う萌の口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
イアルの全て。――その、一部。
それを知ることが出来て嬉しいのかもしれない。
「もっと、知りたいよ」
彼女はぽそりとそう言った。
その言葉はイアルには届かなかったようだが、萌は今はそれでもいいと思った。
そして、静かに闘いの姿勢を解く。
「イアル、付き合ってくれてありがとう。なんか、また汗かいちゃったね」
「……シャワーも付き合うわよ」
「うん」
へへ、と萌が笑った。
イアルも釣られて笑みを作り、ゆっくりと剣を下ろす。
そして二人は数歩歩み寄り、どちらからともなく手を差し出して握手をした。
「また、色んなお話しよう」
「ええ、そうね」
そんな会話が自然と生まれる。
手を繋いだまま、二人は笑みを浮かべたままで二人は格技場を後にし、二度目の浴室へと向かうのであった。
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