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drunk with you.
クレイグ・ジョンソン。二十三歳。
IO2ニューヨーク本部に所属するエージェントの一人である。夜目が利くと言う理由から、エージェントネームは『ナイトウォーカー』と名乗っている。金の髪に青い瞳、見目も麗しい長身の青年だ。
生粋のアメリカ人であり、明るく前向きで自身の容姿にもそれなりの自信を持っているので立ち姿にも拘りがある。エージェント用の黒いスーツも簡単に着こなし、シャツのボタンは二つまで開ける。そこから見え隠れするシルバーのドックタグペンダントには、過去に失った彼の両親の名前が刻まれている。
ネクタイはその日の気分で付けるか付けないかが決まり、サングラスはラフに掛ける。煙草は赤い箱のものを好んで吸い、任務中でも器用に咥えたままでいることが多い。
そんな外見からか街を歩けば当然女性は振り向くし、そんな彼女たちに軽いウィンクを飛ばすことも自然にこなしてしまう男だった。
「ユウタ、こっちだ」
クレイグは前方で辺りを見回している青年を見つけて、右腕を上げた。
彼の同僚であるフェイトの姿があり、彼はクレイグを目に留めた途端、小走りで掛けてくる。
「……可愛いなぁ、相変わらず」
そんな仕草を見て、クレイグは軽い溜息を吐き零して独り言を空気に載せた。
相手には苦労しないはずのクレイグは、現在このフェイトにご執心であった。綺麗で好みに嵌る女性ならいくらでもいたが、それでも彼はフェイトが欲しかった。
二ヶ月ほど前、任務で彼は大きな怪我をして入院してた。
安静の時間が与えられ、折れた骨がようやく繋がり、つい先日退院したばかりだった。
「ごめん、待った?」
「いや、俺もついさっき着いたばかりだ。少し、迷ったか? 駅を待ち合わせにしたほうが良かったな」
「病み上がりが何言ってるの。大丈夫だよ」
側によってきたフェイトの頬に、クレイグの手のひらがするりと滑り込んだ。
フェイトはそれをくすぐったそうに受け入れて、ふぅ、と溜息を零す。クレイグの言うとおりで彼は待ち合わせ場所にたどり着くまでに少しだけ迷っていたようだ。フェイトはその直後、クレイグの瞳を見つめ続けることが出来ずについ、と僅かに視線をそらす。
それを見逃さなかったクレイグは僅かに眉根をよせたあと、頬に置いていた手をそのまま彼の肩に回して左手で行く手を示した。
「じゃあ行くか。この先だ」
「ああ、うん。……俺、本格的なバーって初めてだ」
「構えなくても大丈夫さ。普通に座ってグラスを傾けてりゃ、それなりに見える」
「クレイグはそうかもしれないけどさ……」
ポンポン、と背中を叩かれる。
フェイトはそれに眉根をよせて軽い反論をしたが、クレイグはマイペースだった。
そして二人は一つのバーに入る。
クレイグの行きつけらしいこのバーに誘ったのは、当然クレイグ本人であった。フェイトが退院祝いに何かしたいと言ってきたので、じゃあ飲もうぜと言ってこの場を選んだのだ。
静かな雰囲気の室内。
そのカウンターの上にはハーフロックのウイスキーとバレンシアが並ぶ。
「改めて、退院おめでとう」
「ん、ありがとう」
カチンと、グラスが軽くぶつかり合う音がした。
クレイグが持つウイスキーグラスは彼に素直に従うようにして収まっていて、それを隣で見たフェイトは益々肩を竦ませる。
「……ユウタ、とりあえずそれ飲め。リラックスだ」
「うん」
クレイグは苦笑しながらそう言った。
そしてフェイトは自分の目の前にあるオレンジ色のカクテルグラスを手に、静かにそれに口をつける。次の瞬間、甘い口当たりに驚いて顔を上げた。
「美味しい」
「だろ?」
素直にこくりと頷くフェイトに、クレイグの表情も綻んだ。
そして改めて、彼はフェイトの仕草に目を見張る。
ほんの僅かであるが、何かを避けているような――自分を避けているかのようなそれを思わせる空気を持ち続けるフェイトに、クレイグは違和感を感じていた。待ち合わせ場所で視線を逸らした事も、そうだ。
それを何とか聞き出したくて、クレイグはフェイトを飲みに誘ったのだ。
「そう言えば、お前の持ってきてくれた本。あれ面白かったぜ」
「いい時間潰しにはなったでしょ。あの本、日本でも置いてあるんだよ」
「へぇ、そうなのか」
何気ない会話は普通であった。
ただ、やはりフェイトは無意識にクレイグと視線を重ねることを避けている。
フェイトがこんな態度を取るようになったのはいつからだったのか。と、記憶を巡らせると別の同僚との依頼から帰ってきた辺りからであった。
甘い味が気に入ったのか、フェイトの手にしたカクテルの減りが早い。
それを見て、クレイグはチャンスだと思った。
「モスコー・ミュールを」
片手を上げてカウンターの奥にいるマスターへと次の酒を注文する。
酒にあまり強くないことを知っているクレイグは、フェイトを酔わせて口を割ろうと思いついたのだ。
「入院中にお前に世話になった礼だ。今日は好きなだけ飲め」
「あんまり飲めないよ」
「大丈夫だって」
そう言っている間に、新しいカクテルが差し出される。
タンブラーグラスではなく銅のマグカップに注がれたそれは、飲みやすいが後にラバに蹴られたような効きがやってくるという意味のあるものだ。
もちろんフェイトがそれを知るはずもなく、彼はクレイグが薦めるままに酒を飲んでいた。
様々な話をした。
クレイグは話し上手でもあるので彼の話を聞いては頷いたり感心したりを繰り返していくうちに、フェイトの脳内がふわりとしたものになっていく。
「……クレイグ」
「なんだ?」
「言わなくちゃいけないことが……あるんだ」
「やれやれ、やっとかよ」
ハーフロックから水割りに変えていたクレイグのグラスの氷がカラン、と音を立てた。
ようやく真相を語りだしたフェイトに、クレイグは苦笑を交えてそう言った。そして、続きを待つ。
「……前の任務の時に、その……約束しただろ?」
「うん?」
「ほら……誰にも触れさせるなって」
「ああ、そうだな」
そこで嫌な予感がした。
言葉の流れから言ってもその約束を違えたことだと瞬時に分かる。だからフェイトはひた隠しにしてきたのかと心で呟き、クレイグは素直に眉根をよせた。
「そういや、あの時に同行相手って誰だったんだ?」
「……レッドグランパだよ」
「へ? あの爺さんかよ!?」
そのエージェントネームは本部で知らないものなどいないと言われるほどの響きだった。
おそらくニューヨーク本部では一番の古参である年配のエージェントだ。
外見の『優しい老人』の風貌に騙されると、足を掬われるという意味でそのエージェントネームが通っていると言われている凄腕健在の大ベテランである。
「怖い人かと思ってたんだけど、なんか俺のこと気に入ってくれて……孫みたいだって言われてさ。その……頭を撫でられたんだ」
「……なんだよ、そういう事か」
「そういう事、じゃないだろっ? 俺はずっと、クレイグに与えられた『任務』が失敗したなんて言えなくて、ずっと悩んでたのに〜……」
酒が程よく回っているせいか、フェイトは泣きそうな顔をしながらそう訴えてくる。
瞳も潤んでいて頬もピンクに染まっている彼の顔を隣で見ていたクレイグにとっては、蠱惑的な魅力と言っても過言ではない衝撃であった。
一度くらり、と軽い目眩を感じた後、ふるふると首を振ってはぁーと長い息を漏らす。
「まぁ、あの人なら問題ないだろ?」
「本当?」
「ああ、ノーカウントってやつだ」
「……よ、良かった……」
フェイトの上体がくたりとなった。クレイグに叱責されるとでも思い込んでいたのか、それが無かったことに心から安堵したのだろう。
大きな溜息を吐いてから、目の端をこすってまた顔を上げる。
そしてフェイトは、クレイグが一番弱い最大の武器をそこで自然に作り上げて、こう言った。
「ありがとう、クレイ」
「…………っ」
それは、ある意味誰にでも爆弾だと思える、フェイトの笑顔だった。
クレイグはまたしてもその笑顔に面食らい、片手で顔を覆い天を仰いだ。どうしようもない感情がふつふつと湧いてくるような気がして、彼は必死に自制を掛ける。
深呼吸を数回。
自分を落ち着かせることに集中していると、自分の体に何かが寄りかかるのを感じ取って、視線を戻した。
「……ユウタ?」
「ん……」
手を外し視線を移したその先にあったのは、フェイトの黒髪だった。
それに驚き僅かに体を引けば、間近にあったその黒髪も一緒に同じ方向についてくる。
フェイトは自身の体をクレイグに預けているのだ。そしてよく見れば、彼は眠ってしまっている。酒のせいなのだろう。
「人の気も知らないで……ったく……」
はぁ、と脱力のための溜息が漏れた。
するとフェイトの上体がぐらりと揺れたので、クレイグは慌てて腕を差し出す。
すっぽりとクレイグの腕の中に収まる形となったフェイトだが、それには気づかす気持ちよさそうに眠ったままだった。
「おーい、ユウタ」
「……う……ん……」
名前を読んでも、むにゃ、と緩い返事があるのみ。
その仕草もたまらなく可愛くて、クレイグは思わずその場で唇を寄せたくなってしまった。
「……いやいや」
自分を止めるための言葉が漏れる。
だが、彼ももう随分とこの我慢を繰り返してきた。
抱きしめることも頬にキスをすることも、取り敢えず抵抗はない。拒絶される空気も感じたことはない。
フェイトも少なからずは自分を好いてくれていると、自負している。
――だったら。
「お持ち帰りしちまってもいいのかね、こりゃ……」
そんな言葉がぽつり、と零れた。
そして彼は残りのグラスを一気に煽って、席を立つ。
「……そうそう、俺、こいつの家知らねぇわ」
あー、と今思い出したかのように後付した言葉は誰に向けたものなのだろうか。
未だに眠るフェイトを軽々と抱き上げたクレイグは、そのまま手早く会計を済ませてバーを出る。
そしてメイン通りまで歩いた後、タクシーを止めてそれに乗り込み、運転手に自分のアパートの住所を告げる。
腕の中にはフェイトの姿。
彼の寝顔を見ながら、クレイグは困ったような笑みを浮かべて「どうしようかね」と小さく呟いたのだった。
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