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<東京怪談ノベル(シングル)>


出所祝い


「かんぱ〜い」
 付喪神の少女が、嬉しそうな声を出した。
 セレシュもとりあえずは合わせて、グラスを掲げた。
 なみなみとビールの注がれた2つのグラスが、ぶつかり合う。
 その中身をごくごくと体内に流し込み、一息ついてから、セレシュは訊いた。
「……で、何の乾杯やねん」
「決まっておりますわ、お姉様。私が無事に娑婆へ戻って来られた、そのお祝いでしてよ」
「まあ、お勤め御苦労さんや」
 セレシュの知り合いの山寺で、修行をさせていた。
 無論その程度で、この少女から煩悩と物欲が消え失せるなどとは、セレシュ自身も思ってはいない。
 ただ、欲望のままに行動すれば何らかのペナルティを受けるという事は教え込んでおく必要がある。繰り返し繰り返し、何年かかろうともだ。
(ま、うちの場合……時間だけは死ぬほどあるさかい、な)
 肉を裏返しながら、セレシュは思う。
 無限に等しい時間が、自分にはある。
 だが、この少女はどうなのか。
「本当にもう、刑務所にも等しい環境でしたわ。お肉ダメお酒ダメ、お洒落もダメ、早起き強制で2度寝もダメ」
 焼けた肉を口に詰め込んでモグモグと頬を動かし、ビールを流し込む。
 それを幸せそうに繰り返しながら少女は言った。
「だぁめ、だめダメだめ人間♪ という感じでしたわねえ。あっお姉様、そちらのカルビ焼けておりますわよ」
「人間とちゃうやろ、自分。ま、うちもやけど」
 まるで人間のように、焼き肉とアルコールを摂取している。
 肉の脂をビールで洗い流す、この感覚はセレシュも嫌いではなかった。
 ビールでは酔わない。人間が飲む酒で、酔っ払った事はない。
 この少女は、どうなのか。
「あぁん、このタン塩! 美味しい牛さんとの、極上のディープキスですわ」
 焼き肉を食べ、ビールを飲んでいる。元々、石像であった少女がだ。
 飲食物を消化し、アルコールを分解する、という肉体の構造を彼女は果たして有しているのか。そもそも生化学そのものが成り立っているのか。
 この少女は、果たして生命体と呼べるのか。
(……ま、どうでもええか、そんな事)
 幸せそうに焼き肉を堪能している少女を見ていると、自然にそう思えてしまう。
 彼女が、生化学的にいかなる存在であるのかは、この際さほど問題ではないのだ。
 重要なのは彼女自身、いかなる存在として生きてゆくつもりでいるのか。そこである。
 元々、石像であった少女だ。
 そこに疑似生命と自我が宿り、今は付喪神と呼ぶべき状態にある。
 もっとも姿形は人間の美少女であるから、人間として生きてゆくつもりであるなら、それは難しい事ではないだろう。揉め事さえ起こさなければ良いのだ。
 石像に戻ってしまう事は、あり得るだろうか。
 思いつつセレシュは、自分が黄金像に変わっていた時の記憶を呼び覚ましてみた。
 貴重な体験であったと、まあ言えない事はない。
 触り回されても、身をよじる事さえ出来ない。ただ、くすぐったさだけが一方的に襲いかかって来て全身を這い回る。
 何を言われても、言い返す事が出来ない。唇も舌も動かず、頭に浮かんだ文句だけが、頭蓋骨の中で逃げ場もなく暴れ回り沸騰し続ける。
 想像を絶する地獄であった、と言っていいだろう。
 幸いセレシュには、ゴーレム化の魔法があった。自身を純金のゴーレムに変え、手足を動かす事が出来た。
 それが出来ない多くの者にとって、石像に変わるという事がどれほどの拷問であるのか、思い知ってみる機会ではあった。
 もっとも、石化して封印するのでなければ命を奪ってしまうしかない、邪悪で危険な者たちが、この世には確実に存在する。ゴルゴーンとしての力は、これからも使い続けなければならないだろう。
 それはともかく。この少女が、少なくとも自らの意思で石像に戻る事はなさそうである。
 ならば、石像以前の存在……あの魔女に戻ってしまう可能性はどうか。
 この少女が、自分自身というものを確立させてゆけば、邪悪な魔女としての自我は、いつかは消え失せる。
 セレシュとしては、そう信じるしかなかった。
 本来なら百年かけなければならないところ数年で生まれてしまった即席の付喪神が、年月を経て本物の付喪神になるしかないのだ。
(俗っ気と物欲の塊で、肉とビール好きなオヤジ女……でも、あれよりはマシや)
 永遠の若さを求め、大勢の女性の命を奪っていた魔女。
 セレシュによって石像としての特性を与えられ、少なくとも外見が老いさらばえてゆく事はなくなった。
「願いが叶うた、っちゅう事や。それで満足しとき」
「……? 何かおっしゃいました? お姉様」
 怪訝そうな顔をする少女に、セレシュは訊いてみた。
「なあ自分……この先どうするんや。何か、やりたい事とか覚えてみたい事とか、あるんか? うちに出来る事なら協力したるで。玉の輿とか、そういうのは無理やけどな」
「学校」
 付喪神の少女が即答した。セレシュは一瞬、耳を疑った。
「……何やて?」
「ですから学校へ行ってみたいと申し上げたのですわ、お姉様」
 友達は必要かもしれない。セレシュは、そう思わない事もなかった。
 自分はこの少女にとって、少なくとも友達ではないだろう。保護者、あるいは飼い主。そんなものだ。
「そう来よったか……実年齢不明の人外っ娘でも入れそうな学校、一応あるにはあるねんけどな」
「私が制服を着たら、とってもゴージャスでセレブな女子高生になりますわ」
 言いつつ少女が、ひたすら焼き肉を喰らってビールを飲む。
 本当に学校へ通うつもりなら、まずこの酒好きを何とかしなければなるまい、とセレシュは思った。