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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


sinfonia.34 ■ 闇






 切迫した空気の中で、霧絵とファングの二人の視線が交錯する。

 未だ迷っているエヴァの手を引いてこの場を離れていく勇太ら一行の迷いや焦燥をその広い背中に一身に受けたファングは、ただ強い相手との戦いでも傭兵としての日々でも得られなかった、奇妙とも言える温かな感覚に口元を緩めた。
 その姿に霧絵はピクリと眉を動かした。

「……悪いけど、アナタに関わっている暇ないわ、ファング。せっかく巫女を手に入れたのに、付き合っていられる程に悠長な状況じゃないの」

「行きたければ行けば良いだろう、盟主よ」

 ファングの言葉に霧絵がさらに眉間に皺を寄せた。
 これは一種の作戦であり、巫女である凛を捕らえた霧絵を逃がす心算で先ほどの演技をしてみせたのであれば、ファングは策士であると言わざるを得ないだろう。

(――それは、ないでしょうね)

 脳裏に浮かんだ都合の良い妄想を霧絵はあっさりとそう断じた。ファングという男は、お世辞にもそんな策を講じる男ではない。
 その霧絵の判断を肯定するかのように、ファングは続けた。

「行けば、俺とあの小僧達をまとめて相手にする事になるだけだがな」

「……エヴァが私を裏切る、とでも?」

「その通りだ。ヤツは元々こちら側に堕ちてはいない。染まってしまっただけだ。俺達とは違う」

 ファングはエヴァという少女を思い浮かべながら、本来のファングの実力を出せる獅子型合成獣の姿へと身体を変えていく。

 エヴァ・ペルマネント。
 彼女は元々、ファングや霧絵とはあまりに違う位置にいる存在だ。

 世界に絶望し、全てを呪い、そして虚無へと還してしまいたいと願う復讐者。
 こんな世界は本来の姿ではないと嘆き、虚無こそが唯一の救いであると信じる狂信者。
 ただ世界を破壊してみたいと願ったり、強い者と敵対し、力を誇示したいという危険思想者。
 そのどれかが、虚無の境界に行き着いた者達だ。

 しかしエヴァは違った。
 生きる方法も解らず、彼女自身が求めた世界はファング達の言う〈こちら側〉には存在しない。
 彼女はただ生きたいと願い、力を渇望し、そして世界を知らない憐れな少女だ。

 そんな子供を、ファングは多く見てきた。

 一人の傭兵として世界を回っていた頃、生き方が解らずに死んでいく戦争孤児は腐る程にいた。
 生きる為だけに銃を構え、自分に向かって鉛弾を撃つ子供達もいた。
 そんな子供達は誰もが眼に希望を灯さず、ただ生きる為だけに、その為だけに他者の命を奪おうとしていたのだ。

 同情はした。
 殺さずに救ってやれないかと逡巡もした。
 だがファングは、そんな陳腐な優しさを振り撒かず、せめて苦しまぬように一思いに殺す事で子供達をこの不幸の連鎖から解き放ってきた。

 それが自分に出来る唯一の救いであると、そう自分に言い聞かせながら。
 だがエヴァは違う。

(……工藤勇太、か……。不思議な男だ)

 世界に絶望した復讐者。それは自分もまたその一人だとファングは気付いている。
 そんな相手にすら、あの少年は手を差し伸べようとすらするのだ。

 きっとエヴァなら――まだこちら側に来ていない彼女ならば、あの少年との出会いは一つのターニングポイントになるのではないか。
 あの不思議な少年ならば、そんな一つの道標になってくれるのではないか。
 そう、ファングは期待してしまう。

「……奪うことで救ってきたというのは〈こちら側〉の考えだ。だがエヴァ・ペルマネントはまだ引き返せる。ヤツならばまだ、陽の当たる世界で生きる事が出来るだろう」

「ずいぶんと饒舌じゃない、ファング。アナタらしくもない」

「あぁ、そうだろう。俺らしくなどないだろうな――」

 神経を逆撫でするような口調で霧絵が告げた言葉を、ファングはあっさりと呑み込んでみせ、口角をあげた。獅子の口元がニヤリと横に広がっていく。

「――その言葉はそっくり貴様に返してやろう、盟主……――いや、霧絵よ」

「……ッ」

 ファングの言葉に、霧絵の表情は明らかに歪んだ。
 そうして名前で呼ばれたのはいつ以来だったか。あるいは、盟主として君臨する何年も前の頃以来だろうか。

「世界を怨み、悪意を力にすることで貴様は今を築き上げた。全てを繰り返さぬようにと、その一心で世界を敵に回した。
 そんな貴様が、未来ある若者達の未来を塗り潰すという事実に気付いていない訳ではあるまい」

「……何が、言いたいの……?」

「今もまだ貴様は迷っているのだろう、霧絵よ。何故今まで虚無を使って来なかったのか。巫女が見つかっていなかったとは言うが、あの少女が巫女である可能性など、〈2年前〉から気付いていたではないか」

「確証がなかっただけよ」

「自分を偽るな、霧絵。貴様はずっと迷っていた。自分を止められる何者かが現れるまで、ずっとだ」

「……フザけたことを言わないでもらいたいわね。私は待ってなんて――」

「――ならば何故、俺にあの少年を殺せと今まで命じて来なかった」

 ファングの言葉に霧絵がわずかに肩を揺らし、目を瞠った。そんな様子に構うことなく、ファングはそのまま続けた。

「あれから数年。あの少年をわざわざ泳がせるなど、虚無の境界の盟主としてはあり得ない。サンプルを手に入れた以上、あそこまでの才能の塊を放置しておくなど、ただの失策でしかなかろう。俺に命じれば、いつだって不意を突いて殺せたはずだ。
〈2年前〉のあの凰翼島であの巫女を見つけたのも、あの少年を監視だけしろと告げた貴様の命令だったはずだ。隙があれば殺せたはずだ」

「それはディテクターが同行していたから――」

「――いいや、違う。殺せてしまっては、もう貴様は止まれないからだ。だから貴様は、あの少年に託した。成功か失敗か。自分だけではあまりにも大きく、重くなってしまった天秤がどちらに傾くのかを」

 ファングの突き付けた言葉に、霧絵はついに臍を噛むような思いで俯いた。
 同時に周囲から焼け焦げたコンクリートの匂いを運んでいた風がピタリと止み、一瞬の静寂が訪れた。

「……やめて。アナタに何が分かるっていうの?」
『――邪魔をするな』
《壊せ、潰せ、全てを虚無へ》
【憎い、憎い憎い憎いッ!】

 それは同時に、間延びしたテープのような声、少女が歌うような声。そして怨嗟を撒き散らした声となって、霧絵から放たれた。
 先ほどまで止んでいた風が作り上げた沈黙の中で、同時に奏でられた声。声の発信地に佇んだ霧絵がクククッと笑い声をあげながら、顔だけをファングに向けた。
 霧絵の身体を渦巻いた黒い帯が人の顔を象るように歪み、それぞれの声の主と思しき顔を作り上げ、ぐるぐると回る。

 ――その光景はあまりにも。
 極めて異常で、危険だとファングの本能が警鐘を鳴らした。





◆ ◆ ◆





 一方、突然のファングの登場によって混乱しながらも、凛を優先してその場を離れた勇太達。
 百合の〈空間接続〉の能力を利用してその場から離れた勇太達であったが、一行の表情は暗い。

 凛が攫われた。
 この状況に落ち着いてなどいられるはずもなかったのだ。
 同行していたエヴァの肩に勇太が掴みかかった。

「……くッ」

「答えろ。凛は何処にいるッ?」

 鬼気迫る形相で勇太がエヴァを睨み付けて声をあげた。
 突然の勇太の変化に戸惑いながらも百合が勇太を止めようと手を伸ばすが、その手を武彦が止めた。

「……恐らく、祭殿よ」

「さい、でん……?」

 聞いた事のない単語を耳にした勇太が尋ね返すと、エヴァは嘆息して勇太の手を振り払った。

「……【虚無の祭殿】と呼ばれる場所よ」

「ちょっと待ちなさい、エヴァ。一体どういうこと? 【虚無の祭殿】なんて聞いたことないわ」

「ユリは知らないでしょうね。そもそも〈虚無〉が何かも分かっていないんだから」

「そんな事はどうでも良いッ! 凛の居場所を教えろッ!」

「落ち着け、勇太」

 エヴァの淡々とした物言いに苛立った様子で勇太が声をあげるが、武彦が静かにそれを制止した。不服げな様子で武彦へと振り返った勇太であったが、武彦は静かに首を左右に振った。

「……エヴァ・ペルマネント。もう〈虚無〉は覚醒めようとしているのか?」

「明主様の言う通り、〈巫女〉がいれば、よ」

「事態は少なからず一刻を争う状況って事か」

 武彦が嘆息する。
 まさかここにきて凛が攫われ、利用されかけるなど予想だにしていない状況としか言いようがなかった。

「……事態は一刻を争う。その場所を答えてもらうぞ」

「別に構わないわ」

「……え?」

 武彦の言葉にあっさりと答えたエヴァの言葉に、思わず勇太が目を瞠った。








to be continued...