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<東京怪談ノベル(シングル)>


魔王、再び


「事象改変、情報入力!」
 綺麗な唇から、鋭い気合いの声が迸る。
 凹凸のくっきりとした身体が軽やかに翻り、艶やかな黒髪がふわりと弧を描いた。豊かな胸の膨らみが、横殴りに揺れる。
 長手袋で彩られた左右の繊手が、『夜宵の魔女』の周囲、全方向で舞った。優美な五指が、うっすらと光をまといながら小刻みに踊り、空中に何かを書き綴る。
 ぴたり、と動きを止めた松本太一を、光で書かれた文字・記号の列が無数、螺旋状にびっしりと取り囲んでいる。
 空間に入力された、様々な情報。
 炎の情報であり、雷の情報であり、氷の情報である。
 燃え盛る火炎の嵐が発生し、轟音を立てて渦巻いた。
 電光が発生して束を成し、雷鳴を立てて迸る。
 無数の氷の粒を含んだ寒風が、絶叫のような音を発して吹き荒れた。猛吹雪だった。
 前後左右、上空からも襲いかかって来た魔物の群れが、焼き払われて灰と化し、稲妻に撃たれて焦げ崩れ、真っ白に凍結しながら粉雪の如く砕け散る。
 遺灰が、あるいは凍り付いた肉片が、熱風と寒風に吹かれて渦を巻く。
 その真っただ中に『夜宵の魔女』……松本太一は、佇んでいた。
 元の世界へと通じている、はずの隠しダンジョン。その最奥部である。
 太一は、ちらりと見上げた。
 頭上に浮かぶ、赤い帯と青い帯。青い方が、かなり短くなっている。
「魔法使い1人って、辛いです……戦士とか武闘家みたいな人たち、やっぱり必要ですよね」
『……まあ頑丈さだけが取り柄の前衛も、いれば便利なのは確かだわ』
 頭の中で、女悪魔がぼやいている。
 これまでは『迅雷の鬼武者』や『獣王の闘士』の後ろに隠れ、安全地帯で魔法だけを使っていれば良かった。
『あんな低能で体力馬鹿な連中でも、いなければいないで不便なもの。それは認めないと、いけないわね』
「みんな、元気でしょうか……って言うか、大丈夫なんでしょうか」
 そんなふうに自分が心配しなければならないような勇者たちではない。太一とて、わかってはいる。不具合とバグの嵐が吹き荒れる、この世界の中で、彼らは彼らなりに生き抜いてゆくだろう。
 だが。不具合とバグの嵐をもたらしたのは、他ならぬ『夜宵の魔女』自身である、とも言える。
 その中に、かつての仲間を放置したまま自身は去る。後味が良くないのは、事実であった。
『だからと言って、今更……あの連中のために出来る事が、あると思っているの?』
 女悪魔が、いささか苛立たしげに言った。
『元の世界へ戻ると決断したのは、貴女自身なのよ。ここまで来て、決意が揺らいだわけではないでしょうね? 貴女の優柔不断さ、嫌いではないけれど、時と場合によるわよ』
「決意が揺らいではいません。私、必ず元の世界に戻ります……その前に1つだけ、出来る事を思いついたんです。本当に、たった今」
 前方から迫り来るものを見据えながら、太一は言った。
「情報、というものを扱っている魔女である以上……世界の書き換え、くらいは出来るようにならないと」
 巨大な、異形。
 この隠しダンジョンに挑んだ者を待ち受ける、最後の障害である。
 元々どのような姿であったのかは、もはや想像すら付かない。
 その巨体のあちこちがバグを起こして破綻し、文字化けした情報が、蠢きながら溢れ出している。
 まるで巨大な腐乱死体が、臓物を露出させながら動いているかのようだ。
 隠しダンジョンの支配者である、隠しボス。
 帰郷を望んだ勇者たちは、最後にこれを打倒して、元の世界へと帰還を果たす。
 それが正常な形であった。
 だが今は、不具合の嵐が吹き荒れている真っ最中である。
『……なるほど、そういう事』
 女悪魔が、太一の考えを理解してくれた。
『確かに、私たちの残り魔力を考えても……それが一番、効率的かも知れないわね』
「……玉座に戻れ、魔王よ……」
 隠しボスが、辛うじて聞き取れる声を発した。
「私には……お前と戦うプログラムは組み込まれていない……これ以上、プログラム外の事態が起これば……この世界は、崩壊する……」
「そうさせない役目を、貴方が果たして下さい」
 崩壊寸前、とも思える痛ましい有り様の巨体に向かって、太一は手を伸ばした。
「事象改変……情報を、再構築する」
 そして目を閉じ、呟いた。
 隠しボスの全身から、様々な情報が、鮮血の如く溢れ出した。
 文字化けが、凄まじい勢いで修正されてゆく。
 修正された情報の嵐が、渦を巻きながら凝集し、実体化を開始する。
 崩壊寸前であった隠しボスの姿は、もはや、そこにはなかった。
 あるのは、新たなる『魔王』の姿である。
「……私は……魔王……」
「貴方は、陰の側からこの世界を支える存在です」
 太一は言った。
「さあ、玉座へお戻りなさい……魔王よ」
「そうだ……勇者を、迎え撃たなければ……」
 呟きながら、かつて『隠しボス』であった魔王が、ふらふらと歩み出す。隠しダンジョンの入口、あの怪物像の大口へと向かって。
 にゃー……と、猫の鳴き声が聞こえた。
「……考えたものね。魔王の代役を、新たに作ってしまうなんて」
 高峰沙耶が、いつの間にか、そこに立っている。
 太一は今更、驚かなかった。
「勇者と魔王……どちらかが欠けても、この世界は成り立たない。本当に、ゲームの世界なんですね。魔王が倒れた後の平和なんて、エンディングの文章の中にしかない。その後で流れるスタッフロールに、高峰さんの名前はあるんですか?」
「それは、本当にこのゲームを終わらせてみなければわからないわ」
 ふっ……と、沙耶は微笑んだようだ。
「新たなる魔王が誕生したおかげで、その事態は回避された……このゲームは、永遠に続く。あの勇者たちも、元の世界に災いをもたらす事なく、この世界で戦い続ける事が出来るわ」
『元の世界を滅ぼすかも知れない存在を、この馬鹿げた世界に封印する……体よく、勇者という役割を与えてね。それが、貴女のお仕事というわけ』
 女悪魔が言った。いくらか気の毒そうに、と思えるのは、太一の気のせいか。
『……ずっと、そんな事を続けていくの? 何だか貴女も、誰かの掌の上にいる、という気がしてきたわ』
「私は、勇者たちの案内人。彼らに魔物との戦いを際限なく提供する、データベースのようなもの。今までも、これからも」
 黒猫をそっと撫でながら、沙耶が答える。
「元の世界を窮屈だと感じたら、またこの世界へおいでなさい。永遠に続く、戦いの世界へ」
「元の世界だって、同じようなものです」
 太一は言った。
「本当、ろくでもない世界ですけど……まだ、嫌いにはなれませんから」