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<東京怪談ノベル(シングル)>


過去を作る


 豚肉には、脳の働きを活性化する栄養素が含まれているという。
 だからというわけではないがセレシュ・ウィーラーは今、豚肉とタマネギを炒めている。
 トンカツ以外の豚肉料理は、割と久しぶりであった。何しろ、トンカツの脂にはビールを合わせないと気が済まない娘が同居しているのだ。
「さすがに、受験生が晩酌っちゅうワケにはいかんやろ……」
 学校へ通っていてもおかしくはない少女、なのは外見だけだ。
 美少女の石像が、生命と自我そして物欲を宿し、肉と酒とスイーツをこよなく愛する生身の付喪神となった。八岐大蛇や酒呑童子と同系列、とも言える酒好き妖怪である。
 だが今は、スイーツはともかく酒は断って受験勉強に打ち込んでいる。
 セレシュに出来るのは、栄養バランスを重視して食事を作ってやる事くらいであった。
 勉強など、教えてはやれない。
 これまでの長過ぎる人生の中でセレシュが身に付けてきた知識は、生きるためのものと仕事関係のものばかりである。白魔法、鍼灸、魔具制作。
 学校の勉強など、した事はない。
 まして合格さえしてしまえば、それ以後はまず活用する機会のない受験勉強など、する必要も暇もなかった。
「長う生きとる、っちゅうても無駄に時間有り余っとるわけやないし……な」
 すり下ろした生姜に醤油・みりん等を混ぜて作ったタレを、セレシュはフライパン内に投入した。
 生姜焼きの匂いが、キッチンに満ちつつ廊下に溢れ出す。
「……もう、夕食のお時間ですの? お姉様」
 付喪神の少女が、ふらふらと台所に入って来た。
「頭を使うと、身体を動かすよりもお腹が減って……この匂い、お勉強の妨げですわ」
「もう少し待っとれや。それにしても、やつれたなあ自分」
 菜箸を使いながら、セレシュは言った。
「あんまり寝とらんのやろ。試験当日に体調崩さんよう、気ぃつけなあかんで」
「お姉様。私、受験勉強というものの本質を掴みましたわ……8割方、暗記でしてよ」
 体調を崩す、という事があるのかどうかわからない少女が、言った。
「英単語、公式、漢字に歴史用語……とにかく暗記してしまった者の勝ち。お姉様が教えて下さる魔法の類と比べて、楽は楽ですけど面倒臭さは格段に上ですわね」
 暗記したものを整理して、頭の中から的確に引き出す。それは、教えなくとも出来る少女である。
 間違いなく、頭は良い。
 魔法を教えたりしていると、もしかしたら自分よりずっと頭が良いのではないか、とセレシュが思ってしまう時がある。
(まあ……元々が、魔女やしなあ……)
 頭を使わなければならないのは、この少女本人だけではない。
 保護者たる自分にも、考えなければならない事は山ほどある。それに、セレシュは気付いた。


 考えなければならない事ではなく、ごまかさなければならない事と言うべきであろうか。
 まず問題なのは、前はどこの学校にいたのか、という事である。
「私としては、まあ比較的どうでも良い事なのですけれど」
 生姜焼きと米飯を、けんちん汁で流し込んで一息ついてから、付喪神の少女は言った。
「私の過去や経歴その他諸々、どのような感じにしていただけますの?」
「とりあえず、うちの従妹っちゅう事にしとこか。幼稚園・小中学校と無難に上がってきたんやけど、家族旅行の最中に事故に遭うて両親死亡、本人は生き残ったけど記憶喪失、うちが引き取ってお世話しとると。そういう経歴やら何やら、戸籍と一緒に作っとるとこや。IO2の人らに協力してもろうてな」
「私の、お父様もお母様も死んでしまいましたの? ハードですわねえ」
「死んだっちゅうか、最初からおらへんのやけどな」
「その事故……実は虚無の境界辺りが仕組んだ事にしてはいかが? で、私の失われた記憶には、実は世界の存亡に関わる重大な秘密がありますの。虚無の境界に日々狙われる私を、イケメンでお金持ちの王子様が颯爽と助けに」
「盛らんでええから。とにかく人に何か訊かれたら、記憶喪失で何も覚えとらんと、そう答えるんやで」
「私の、お父様だかお母様……一体どんな方でしたの?」
「せやなあ……戸籍作るんやったら、それも考えなあかんなあ。ま、普通のサラリーマンと主婦でええんちゃうか」
「そうではなくて。私の、本当のお父様かお母様ですわ」
 元々、石像であった少女が、じっとセレシュを見つめてきた。
「私……石像だったのでしょう? それを作った、石工なり彫刻師といった方がおられるはず」
「おるんやろうけど、ずっと大昔に死んどると思うで。あんたは、うちが何年も前に外国で買うた、年代物の石像やさかいな」
 とっさに、セレシュは嘘をついた。
「鏡見ればわかるやろけどな。ほんま、よう出来た石像やったでえ。誰が彫ったんか知らんけど、感謝しいや」
「もしかして……お姉様が、お彫りになったのではありませんの?」
 少女が言った。
「だとすれば、お姉様ではなく、お母様とお呼びしなければ」
「……それは勘弁してや」
 曖昧な苦笑で、セレシュはごまかした。


 夕食後。
 付喪神の少女が、問題集をすらすらと解いている。
 その近くでセレシュは、何冊もの本を開いていた。
「……あら、お姉様もお勉強ですの?」
「まあ何ちゅうか……下手すると、お縄になりかねへん事やしな」
 法律の専門書と、解剖学の本である。
 何しろ、戸籍や経歴を偽造しているのだ。下手をすると、どころではない。現時点で、立派な犯罪である。
 何かしらボロが出かかった時、この少女が本当に人間であるのかどうかを証明しなければならない事にも、ならないとは断言出来ない。石像から生身の少女への変化、その精度も高めておく必要がある。
 少女本人だけではなく、セレシュが学んでおかなければならない事も、山ほどあるのだ。
「何かあったら、IO2の人らが守ってくれはる事にはなっとるけどな」
「IO2って、そんな事までしてくれる人たちですの?」
「あの人らもな、バケモノ退治しかやっとらんわけやないで」
 人間ではないものが、己の意思で人間社会に適応しようとしているのだ。IO2としては、それを支援しない理由はない。人間ではないものと戦うよりは、様々な意味において、ずっと安上がりなのだから。
「事を荒立てないのが、IO2のお仕事やさかいな」
「過去は偽造するしかない……という事ですのね」
 ふっ、と少女が微笑んだ。
「仕方ありませんわね。私には過去、そのものが有りませんから……」
 だから、この少女は学校へ行きたいのだ。ふとセレシュは、そんな事を思った。
 未来になれば、今が過去になる。
 今を濃密に、思い出多く過ごせば、それが未来においては揺るぎない過去となるのだ。
(……ま、学校へ行くんでも何でもええ。いろいろ、やってみる事やな)
 応援、というほどのものでもない言葉を、セレシュは心の中で発した。