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<東京怪談ノベル(シングル)>


泡の記憶

「イ、アル……!?」
 交差するスポットライトの下。
 祈る姿にも似た一体の石像があった。藻が蔓延っていて決して見た目的には美しいとは言いがたい石像であったが、何故か目を離せない。
 それは石像から放たれる甘い香りのせいであった。
 周囲から溜息のような声音が漏れ聞こえてくる。この場にいるものが皆、その甘い香りに支配されているかのような光景だった。
「素晴らしい……ぜひとも私のコレクションに加えたい……!」
 一人の初老の男がそう言いながら手を挙げた。石像を落札するつもりらしい。
 それを見た茂枝萌は、慌てて自身も腕を伸ばした。
 ここは、とある高級ホテルの最上階にあるオークション会場であった。
 参加する者は全員、顔を隠すためのアイマスクを各々で装着している。つまりは闇のオークションが行われているのだ。
 怪しい美術品や謎の液体。イアルのような人間と思わしき品や、若い女性が首輪をつけて犬のように唸ったりする『番犬』などと、そんなモノたちが数多く出品される中で目玉商品として姿を見せたものが、その『石像』であった。
 潜入捜査のために会場に入り込んでいた萌が誰よりもよく知るその石像は、半年ほど前に行方不明となっていたイアルそのものだった。
 人魚の姿に変えられてはいるが、間違いはない。この独特の甘い香りにも覚えがある。
「――五百……千……他にはいらっしゃいませんか?」
「三千」
 ふくよかで裕福そうな女性が、殊勝な笑みを浮かべて片手を上げた。装着している目元のマスクも飾り羽を付けた豪華な作りであった。
 萌がその女性を見やりつつ、負けじと手を伸ばす。
「五千っ!」
「では、七」
 数字のやりとりが続く。
 百から始まったその数字は、ゼロの数が一般とは違った。
 萌自身にも、おそらくIO2本部にもそれほどの高額な金は動かすことが出来ないだろうが、それでも負ける訳にはいかない。
 萌は小さな体を張って、最後には跳ねるようにして右腕を上げ続けた。
「じゃあ、わたしは一億よ」
 ざわ、と会場内が揺れた。顔を隠してはいるがどう見ても少女でしかない萌の声は、その場にいる参加者全員の視線を集めるほどになった。
 飾り羽の女性は、少し悔しそうにしながら己の腕を下げる。その時点で、萌の勝ちとなった。
 競りの終了を告げる小槌が打ち付けられ、主催の声が続く。
「入江の人魚、一億で落札!」
 わぁ、と会場が沸いた。
 そして落札者である萌に周囲が握手を求めてくる。
 それに応えつつ、彼女は視線を密かに巡らせた。高額金がこうも簡単に動くオークション自体、問題だ。これは本部への報告の一つになると思いつつ、石像へと目をやれば舞台の袖にチラリと見えた影は人間のそれとは違って見えた。
「……ッ!」
 怪しい紫のオーラ。直後に肌が泡立つ感触を憶えて、萌は地を蹴った。着ていたドレスを脱ぎ捨ててパワードプロテクターを纏う彼女の姿は、周囲には疾風のようにしか捉えられなかった。
 ひらりと体を回転させながら舞台袖へと降り立った萌だったが、相手側に気づかれたのかそこには先程の影が見られなかった。
「……逃げられた……?」
 萌はその裾から裏方へと周り、影を――『魔女』を追った。
 一度は壊滅させたかと思ったが、残党がいたのだろう。元々『魔女の一族』はIO2でも取締りの対象になっていたがいつも末端で逃げられるという自体を繰り返している。その為に萌も行動し、そしてまたその影を掴みかけたのだ。
 扉を次々と開けては、気配を探る。耳元に微かに残る魔女の笑い声のような音を聞き分けながらも、姿は見当たらない。
 エージェントの中でも動きの早い萌でも、その魔女を追うことが出来なかった。
「くっ……」
 だん、と造りの良い柱に拳を打ち付ける。
 冷静な少女であるはずの萌には、珍しい表情であった。
 そこで一拍置いてから、萌は踵を返した。
 辿った巡で廊下を歩き、舞台袖まで戻る。すると階段の脇に手紙のようなものが落ちていて、それを目に留めた萌は急いで駆け寄って手に収めた。

 ――萌へ。

「!!」
 封筒にはそんな文字が書かれていた。イアルの筆跡であった。
 萌は慌ててその手紙を取り出す。

 連絡が遅くなってごめんなさい。
 私は今、こちらの海岸で若い女性の失踪事件について調べを進めています。
 もう少しで証拠を掴めそうなので、またその時にでも連絡するわね。
 元気なので安心してください。

 ――イアル。

 手紙にはそう綴られていた。
 日付を見れば半年前の記述がある。イアルが失踪した頃だ。
 おそらくはこの手紙を書いた直後、彼女は事件に巻き込まれてしまったのだろう。
 手紙に添えられていた写真には、プライベートビーチが写っていた。このホテルの傍の位置だ。
 魔女の影と、失踪事件。
 藻に塗れたイアルの像。そこから海水の臭いがする。それは異臭と取ってもいいほどのものだった。
 イアルは人魚に変えられた後、おそらく海の中にいた。そこで何者かに石化されたのだろう、と萌は思考を巡らせる。
「海か……」
 ぽつり、と呟きが漏れた。
 そして彼女は舞台の端に寄せられていたイアルの石像をこっそりと持ちだして、オークション会場を後にする。
 魔女は逃がしてしまったが、海にまだ証拠があるかもしれない。
 そう思った萌は、イアルを抱えて問題のビーチへと足を運んだ。

 人気のない浜辺。
 能力のないものには普通の『それ』にしか分からないだろう。
 真っ黒な海からは押し寄せる波音しか聞こえなかった。
 だが。
「――何か、いる」
 萌はそう確信して、パワードプロテクター"NINJA"を水中装備に切り替えた。
 そして背にあったブレードに手をを掛けて、海へと潜る。
 暫く泳いでいくと、ゆらりと鈍く光る二つの色が見えてきた。萌はそこで自身の姿を透明にする。
 ボコン、と空気が泡を作るのを見てから、また進んだ。
 最初は深海魚の類だと思っていた。だが、徐々に視界に映り込むのはそれとは少し違った異形の姿であった。
 人魚の姿であったイアルを追い回していた、シーメデューサである。
 石化の原因はこれか、と思い当たりながら、萌はその場を周回した。
 怪物は目に見えない『萌』に翻弄された。姿を捕らえることが出来ない。だが、気配を感じる。それは自分にとっての新しい餌が来たという感覚でもあるのに、目に留めることが出来ない。
『……ドコダ。何故、私ヲ見テモ恐レナイ……!?』
 シーメデューサはそう言いながら辺りを見回した。やはり、その目には何も捕らえることが出来ない。
 見えるのは揺らめく水の動きだけ。
『クッ……何処ニイル……!』
 自分だけが自由にできる水中で、儘ならないことが起きている。シーメデューサはそれが許せなくて、腹を立てているようであった。
 そうこうしているうちに、萌はシーメデューサの後ろに回り込む。そして手にしていたブレードで水を切り、シーメデューサをも切り裂いた。水中戦では萌のほうが確実に不利であったはずだが、彼女はうまく相手の隙を突いたのだ。
『……ッ!!』
 ガボッ、と口から息が大きく吐かれた。それだけしか、怪物には行動が許されなかった。
 萌はトドメと言わんばかりにもう一度ブレードの柄を握り返し、その怪物の首を落とす。
 そして彼女は切り落とされたシーメデューサの首を片手に、ゆっくりと水面へと上がっていった。海底に数体の石像の影を予め確認していた彼女は、それらの回収を本部に任せてイアルの元へと戻ったのだった。



 懇願した。
 死にたくはなかった。
 まだ、死ねない。死にたくない。
 やりたいこと、成し遂げたいこと……たくさんある。
 全身に感じているものは冷たい感覚だった。

 ――あぁ、わたしはまた……。

 彼女はそう思った。記憶が巡ったわけでなかったが、同じ感覚を何度も味わってきた。それを体が憶えている。
「……たく、ない……」
 何度か繰り返していると、喉が震えるようにして声が戻ってきた。
「生きて、いたい……」
 気のせいかと思ったが、次の言葉を吐き出すことが出来た。
 彼女はそこで漸く、自分の体が動くことに気がつく。
 そしてゆっくりと瞼を開けると、眼前に迫るものは水の滴であると気づいて、条件反射で顔を強ばらせる。
 彼女の抱く水のイメージは、どこまでも暗くて恐ろしいものでしかなかった。
「いや、……死にたくないッ!!」
「イアル、イアル! 大丈夫だよ、落ち着いて!」
「……ッ!?」
 知らない声が聞こえた。
 だが、その声は不思議と安心できる音色だった。
 イアル、と呼ばれた彼女は、数回の瞬きをしてからゆっくりと顔を上げる。
 バシャバシャと体を跳ねる水音。それが冷たいものではなく、身体を温め、そして心まで温めてくれるものだと判断して、イアルは声の主を見やった。
「……貴女は、誰ですか?」
「萌だよ、茂枝萌。……憶えてないの?」
 側にいたのは一人の少女だった。
 何処かで見たような……そう思うが、今のイアルには記憶が無い。
 何故なら自分は、人魚だから。
「わたしは、人魚です。イアルと言う名の人魚姫……」
 イアルはそう言葉を繋げながら、ゆっくりと辺りを見回した。そして最後に自分の足元に目をやり、瞠目する。
「……わたし、どうしたのでしょう……? どうして、人間の足になっているの……!?」
「イ、イアル……」
 イアルは酷く動揺していた。
 自分のいる場所は、全く知らない所。
 頭上から降ってくる温水は恐ろしくはなかったが、ここは水中ではない。そして、下半身が『変化』していることに驚いている。
 そう、彼女の記憶は『人魚』の時のままなのだ。
 それを目の前で確認した萌は、愕然とした。
 シーメデューサを倒し、石化したままのイアルをこうしてシャワールームに連れ込んで体を綺麗に洗い流してやった。
 それから、持ち帰ったシーメデューサの首から採取した血で彼女の石化を解いてやった。
 そこまでは良かったのだ。萌自身も、これで大丈夫だと安心しきっていた。
「主様はどうされたのでしょう? こんなところにいては、叱られてしまう……!」
 イアルはその場で体を追って震えだした。
 彼女の言う『主様』とは、恐らくは海岸の魔女の事なのだろう。
 せっかくその魔女から開放してやれたと思ったのに、現実は厳しいものだった。
「イアル……大丈夫、大丈夫だよ……私が助けてあげるから……!」
「……っ」
 はらはらと瞼から涙を零し続けるイアルの肩を、萌が優しく抱きしめる。
 彼女は未だに『恐怖』に怯え続けていた。それを取り払ってやれるのは、萌しかいない。だからこそ、今は落ち着かせるしか無い。
「大丈夫だから……」
 繰り返し、繰り返し。
 降り続けるシャワーを全身に浴びながら、萌はイアルを抱きしめ続けて言い聞かせる。
「大丈夫だよ」
 その言葉は、それから暫くの間も止まることはなかった。