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<東京怪談ノベル(シングル)>


金の精



 セレシュの自宅、地下工房。セレシュは夜毎、ここで様々な研究、あるいは実験を行っていた。そして今日も。
 セレシュはビーカーを手に満足気な微笑みを見せた。中には粘土の高い黄金色の液体が煌めいている。
 異なる素材の性質を組み合わせた魔具を作るための基礎実験。そのために金の精を抽出したところだった。万物融解液を使って丁寧に作業したせいか、純度の高い良い物が取れたので、セレシュは上機嫌だった。
 さっそく鉛に金の精をトロリと掛けると、たちまち鉛は金に変わった。
 しかし机も床も金に変わってしまったのである。
(あかん! 純度が高すぎたんや!)
 セレシュは反射的に後ろへ飛びのいたが、遅かった。首から上と腕を残して、瞬時に金化してしまったのである。
 キィィィィィン。
 金属音を響かせて。セレシュは背中から床に倒れた。
「痛たたたた……」
 まず状況を確認しなければいけない。
 セレシュは動かせなくなった足を手で触ってみた。金属のツルリとした感触を得たが、金化した足からも感覚があった。掌のぬくもりだ。つまり、完全に金化している訳ではないようだ。
(金と生体の性質が混ざっとるんやな)
 倒れたままでは、これ以上のことは分からない。
 腕だけでジタバタともがいて。足が動かないから骨を折る作業だったが、何とかうつ伏せになった。
「よいしょ……っと」
 腕だけで匍匐前進を試みる。
 ……が。
 金化した胸はいくら体重をかけても潰れず、キラキラと光りながら存在を誇示していた。それはそれはまん丸に。これでは摩擦も起きず、腕だけで進むのがとても辛い。
(何やねん。胸が邪魔って……うち、きょにゅーさまとちゃうんやぞ……)
 恨めしそうに俯くセレシュ。そこには黄金色の球体が二個、悪びれもせず輝くばかりである。文字通り谷間が眩しいが、嬉しくない。
 亀よりも遅い歩みで、セレシュは椅子の脚まで辿り着いた。
 椅子の脚を頼りに身体を起こすと、セレシュは机にもたれかかった。非常に不安定な体勢である。金化した身体では立位保持が出来ず、机に身体を預けることしか出来ないのだ。しかし、まあ、立ってはいる。

 改めて状況を確認するつもりで、セレシュは俯いて自分の身体を眺めた。
 黄金色に輝く自分の身体があった。一番目につくのは胸で、無機質な二つの球体が煌めいていた。谷間がクッキリと影を帯びて浮かび上がっていた。蛍光灯の下でも、その輝きは美しかった。
 セレシュは自分の身体を撫でてみた。ツルツルと掌が滑っていく。何の引っかかりもなく、弾力もなく。膨らんだ胸からくびれたウエストまで、流れるようにスルスルと撫でた。
 腰や太もも、手の届くところまで触ったが、自分の身体とは思えなかった。ひんやりと冷たく、肉体より硬く、命がなかった。掌には体温のない、寂しい感触だけが残った。
 だが触られた部分にも、感触を感じていた。セレシュの、金化していない生々しい肉体。それが掌を通して、金化したセレシュへ語りかけてくるのである。
 掌はじんわりと温かかった。セレシュが撫でるのに従って、ぬくもりもスルスルと移動していくのだった。
 ――不思議な感覚。
 セレシュは、両手で胸を包み込んだ。命を確認するように、そっと、大切そうに包んだ。
 やはり温かかった。掌はシットリと汗ばんでいた。じっと手を動かさずにいると、その湿り気まで金化した胸に伝わってきた。
 ぬくもりは心地良かった。しかし心のどこかで、金と混じり得ない違和感があった。金化した部分と生物としての部分、両方が残っているせいだと、セレシュは判断した。双方の性質が反発しあっているのだ。
 違和感は、胸にも広がってきた。
 胸が重く、息苦しい……。
 金化したから呼吸が出来なくなってきたのだ。
 だったら、いっそ完全に金化してしまうのはどうか――とセレシュは思った。呼吸しなくて済む身体にすれば楽になれる筈だ。
「ま、しゃーないな……」
 とポツリと零し。セレシュはゴーレムの魔術を自分に掛けた。こうすれば身体を動かせる。そして金の精を口の中に流し込んだ。
 金の精は、上質な蜂蜜のようにトロトロと粘度の高い物で。おまけに無味なため、食感だけが強調されてしまい、大変まずい。味のないバリウムのようだ。セレシュは眉をひそめて、唇をへの字にした。
(こ、こんなん飲み込むんか……)
 決心がつかずに、口の中でモゴモゴしている内に。
 舌が金化した。そして、歯も、喉も。
 あとは野となれ山となれ。金の精は我が物顔で、ゆったりとセレシュの喉へ侵入していった。
 ピンク色の唇が黄金色に変わり、ぬくもりを失う。
 血色の良い頬も同じように、引きつったようにこわばり、固まった。
 少し丸みを帯びたおでこも、指で叩いても金属音しかしない塊に。
 それから腕も金になって、指も美しい黄金へと。
 セレシュは完全に金化した。セレシュ・ウィーラーは、体温のない美しい金塊へと姿を変えたのである。

 耳をつんざくような音が地下室に響き渡った。
 セレシュは床に倒れていた。元々机に対してただ身を預けていただけだったから、ふとした瞬間に倒れてしまうのも仕方のないことだった。
(ま、ええわ……)
 セレシュはぼんやりと天井を見上げていた。青白い蛍光灯が見えた。
(完全に金化しても意識はあるんやなあ……)
 研究者としての性か、セレシュは自分の現在の状態について分析しようとして――辞めた。
 意識は残っているものの、頭の中はぼんやりしていた。あの蜂蜜みたいなトロトロした金の精が、頭の中まで蕩かせてしまっているようだった。
 ――固まった身体に、蕩けてしまった思考。
 動く気にもならなかった。
 当たり前だった。
 金塊が動く筈ないのだから。
 行動なんて性質、金塊に必要ないのだから。
(どえらい作家も言うとった、うつし世は夢って……)
(ええこと言うわ。夢と同じ……どうでもええわ……)
(ぼーっと天井眺めて……。こんな時間もええやろ……)
(……何や、スースーするわ……)
 視界の隅に椅子が入っていた。椅子には破れたトップスが引っかかっていた。この前買ったばかりのパステルカラーの物だ。今日おろしたばかりの……。
 ぼんやりと破れた自分の服を眺めながら、セレシュはやっと気が付いた。自分が今、あられもない姿であることに。金化した衝撃や倒れた時に、服が破けたり、脱げてしまったのだ。
 思い出してみれば、自分の身体を触って確かめている時にはもう、あらかた服は破けていたような気がする。
(はは。椅子にかかった服、破れまくりで、まるで船の旗のようやわ……)
(まあ、ええやないの……)
(半裸だろうと、全裸だろうと……)
(うちは金塊……。些細なことやろ…………)

(……………………)
(………………………………)
(…………………………………………)

(んな訳あるかい!)
 セレシュは再びゴーレムの魔術を自分に掛けた。
 無理やり身体を動かすと、立ちあがった。
 自分の身体を撫でてみると、金属音が響き渡る。感覚は残っているが、どちらも生物のぬくもりがない。奇妙なことだ。
(さあ! 元に戻るで!)
 決断したセレシュの行動は早い。さっそく、元に戻るための作業に没頭するのだった。



終。