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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ラグナロクの渦中へ


 思っていたより怪我の治りが早いのは、自分の身体が頑健だからではなく、もともと大した怪我ではなかったからだろう、とフェイトは思う。
 怪我が治れば、アメリカへ帰らなければならなくなる。無期限の研修が、まだ解除されていないのだ。
「日本人の貴方が、アメリカへ帰る……というのも、おかしな話だとは思いませんか」
 男が、にこやかに言った。
 50代と思われる、身なりの良い人物。どこか大企業の常務か専務といった風情だ。取り巻きと思われる者を数名、引き連れている。病室が狭くて仕方がない、とフェイトは思わなくもなかった。
 IO2日本支部の、割と上位の職員である。
 そんな人物が、わざわざフェイトの病室を訪れ、猫撫で声に近いものを発している。
「今や貴方は実績あるエージェント、研修の必要もないでしょう。日本支部は、ご希望の待遇で貴方をお迎えしますよ」
 能力を持て余すばかりで全く使い物にならない新人・工藤勇太を、研修という名目でアメリカへと放り出した張本人だ。無期限の研修。厄介払い、あるいは追放にも等しい。
 それに関して今更とやかく恨み言を述べるつもりが、フェイトにはない。あの頃の自分は、戦力外通告を受けても文句は言えない有り様であった。解雇されずに済んだのは、むしろ温情と言える。
 アメリカで適当に実戦任務に就いてそこで死んでくれれば面倒がない、という計算は無論あっただろうが。
 フェイトは死ななかった。死を求めていた時期もあったが、幸か不幸か死ぬ事なく生き延びてきた。
 IO2アメリカ本部所属の、エージェントとしてだ。
(今更、日本支部へ戻れって言われてもなぁ……)
 フェイトが思った、その時。
「病室でする話ではないな」
 声と共に、1人の女性が病室に踏み込んで来た。鉄の女、という形容がふさわしい欧米人女性。
 アメリカ本部における、フェイトの上司である。
「え……な、何で貴女がここに?」
「IO2ジャパンと、話をつけなければならない用件があってな。そのついでの見舞いだ」
 女上司が言いながら、日本支部の職員を睨み据えた。
「そういうわけだ、話をつけよう。場所を変えて、な……怪我人の前でする話ではない」
「あ、貴女がたと話す事など……我々は今、工藤君と」
 気圧されながらも、職員が抗弁を試みる。
 女上司の眼光が、ギラリと強まった。
「ゲラウト……」
 その一言で、職員もその取り巻きたちも、追い出されるように病室を出て行った。
「IO2ジャパンも、実戦部隊は精鋭揃いだが上層部は有象無象……アメリカ本部と変わらんな」
 女上司が、溜め息をつく。
 とりあえず気になった事を、フェイトは口にしてみた。
「……日本語、上手なんですね」
「以前、この国で研修をした事があってな」
 自分がアメリカへ送り込まれたようなものか、とフェイトは思った。
「まあ、そんな事はともかくフェイト。お前には、アメリカへ戻って来てもらう。もちろん私の一存で決められる事ではない……今、逃げて行った者たちと、しっかり話をつけなければならんがな」


「なあ穂積君。まさか、とは思うが……」
 長年の親友である男が、苦笑気味に言った。
「わざわざ僕と会わせるために、勇太をアメリカから連れ戻して来た……わけでは、ないんだろう?」
「あいつには、少し嫌な思いをさせておこうと思ってな」
 言ってから、穂積忍は一口だけ茶を啜った。
 親友の家である。
 彼の甥である少年が、かつてこの家で暮らしていた。
 その少年は青年となり、戦いの日々を送っている。
 先日も、自分の弟や妹とも言える者たちを相手に、凄惨な殺し合いを行ったばかりだ。
「まあ、そのついででも……会っておこう、って気になれないか? 次にあいつが日本へ来るのは、いつになるかわからんぞ」
 下手をすると、永久に帰って来られないかも知れない。
 そういう職場である事は、この男も知っているはずであった。
「お前、あいつの……親、みたいなもんだろう」
「親戚の体面で、生活の面倒を見ていただけさ。僕は勇太に……何も、してやれなかった」
 実の両親と一緒に暮らすよりは、勇太は幸せだっただろう。
「……久しぶりに、姉貴の見舞いに行ったよ」
「ほう。仲直りか?」
「どうだかな……とにかく姉貴の奴、勇太が会いに来てくれた、けど合わせる顔がない。それしか言わないんだよ。前より、ましにはなってきたのかな」
 仲の良い姉弟では、あったらしい。
 だが姉の方が、家族の反対を押し切って、いささか問題のある男と駆け落ち同然の結婚をしてしまった。それ以降、絶縁にも等しい状態が続いていたようだ。
「姉貴は、とにかく男がいないと駄目な女だったからな」
「母親似ってわけか。勇太もあれだ、女でいろいろ難儀しそうな所があるんだよなあ」
「穂積君ほどじゃないだろう。君は本当に、そちら方面で問題ばかり起こしていた」
「おかげで、若い女って生き物がつくづく嫌になっちまってな。女はやっぱり、包容力のある年増に限る」
 この親友が同じ職場にいた頃の、まあ今となっては懐かしい思い出である。
「で……勇太には、会わないのか?」
「あいつにはもう、僕は必要ない」
 親友が、遠くを見つめた。
「勇太は、1人でアメリカへ行って立派なエージェントになって帰って来たんだ」
「お前、俺を恨んでるだろう?」
 穂積は、親友に微笑みかけた。
「もちろん直接、誘ったわけじゃあないが……俺が勇太を、IO2へ引きずり込んだようなもんだ」
「あそこは本当に、最悪の職場だったからね」
 親友が、懐かしそうに言う。
「僕は根性無しだったから結局、ついて行けなくて辞める事になったけど……勇太は、大丈夫だと思うよ。あいつは自分で選んで、自分の意志で今まで戦い続けてきたんだ。君にたぶらかされたわけじゃない、勇太自身の意志さ」
「強くなったよ、あいつ。お前の現役時代に比べりゃ、まだ全然だけどな」
「君のお世辞を真に受けていた頃が、懐かしいよ」
 この男が、こんな穏やかな笑い方をするようになったのだ、と穂積は思った。
 根性無しなどと自身では言っている彼が、IO2を辞める事になった本当の事情。
 本人以外でそれを知る者は、生きている人間の中では、穂積忍ただ1人であろう。


 自分が物として扱われている、とフェイトは思わなくもなかった。
「え……っと、すいません。よく聞こえませんでした」
「退院が決まった。出発は明後日。そう言ったのだ」
 一方的な事を言いながら、女上司が封筒を押し付けてきた。
 飛行機の、チケットである。
「ええと……日本支部の人たちと、話はついたんですか?」
「日本人は、恫喝で従わせる。マシュー・ペリー提督以来の、我が国の対日外交方針だ」
「俺、まだ怪我人なんですけど……」
「アメリカへ着いたら、治してもらえ」
 女上司が、さらりと言った。
「傷を治す力を持った少女が、お前の知り合いに1人いるはずだ」
 生きた『賢者の石』である少女。IO2の監視対象でもある。ある程度、能力が知られているのは当然だった。
「下手をすると、彼女に協力を求めなければならなくなる。良好な関係を保っておけよ」
「一体、アメリカで何が起こってるんですか……」
 フェイトは訊いてみたが、何となく想像はついた。
「まさか例の……巨大ロボット騒ぎ? じゃないですよね?」
「……知っていたのか」
 女上司が、溜め息をついた。
「馬鹿げた騒ぎ、と呆れてばかりいられる状況でもなくなったのでな。怪我人も出ている。お前の親友だ」
「あいつか……」
 フェイトも、溜め息をつきたくなった。


「おーい!」
 某空港。搭乗ロビーへと向かって歩いている最中、フェイトは声をかけられた。
「やっぱり工藤か! よく会うなあ、おい」
「お前……」
 旧友の、月刊アトラス新人記者である。
「お前も、この飛行機でアメリカへ……? まさか、ロボット騒ぎの取材じゃないよな」
「それがロボット騒ぎの取材なんだよ。何だ、お前も?」
「い……いや、俺はあんな騒ぎとは関係ない。仕事で、ちょっとアメリカへな」
 フェイトは咳払いをした。
「……今月号、読んだよ。凄かったな、お前の記事」
「いやあ、編集長が誉めてくれてさあ。いい気になってるうちに、今度はアメリカへ行く羽目になっちまった」
「命を大切にしろ、とだけは言っておくよ」
「お前も、アメリカへ行くんなら気をつけた方がいいぜ。今のアメリカは……何かいろいろ、変な事が起きまくってるみたいだからな」
 最近あの国で起こった『変な事』と言えば、筆頭は錬金生命体関連の騒動である。
 アメリカ国内では、政府及びIO2によるマスコミ対策が功を奏し、大々的に報道される事はなかった。
 だがアトラスは、もしかすると何かしら掴んでいるのかも知れない。
「じゃ、アメリカで会えたら会おうぜ。俺、飛行機の中で書かなきゃいけない原稿あるからよ」
 そう言い残し、足早に去って行く旧友を、フェイトは片手を上げて見送った。
 自分は、あまり速く歩くと肋骨に響く。どうにか普通に歩く事は出来るが、身体はまだ完治していないのだ。
 フェイトは、足を止めた。傷が痛んだから、ではない。
 男が1人、そこに立っていたからだ。
 物静かな感じの、年配の男。あの頃より老けて見えるのは当然か、とフェイトは思った。
「叔父さん……」
「来るつもりはなかったけど、穂積君に上手く乗せられてしまった」
 叔父が、微笑んだ。
「頑張ってる……と言うより、無理をしているようだね。今も、怪我をしてるんだろう?」
「上手く隠してる、つもりなんだけどな」
 昔から、そうだった。
 勇太が学校で喧嘩をして、怪我をして、それを隠して帰っても、この叔父には必ず見抜かれてしまう。
「叔父さんにも1度、顔見せておこうかと思ったけど……結局、時間なくなっちゃった」
 フェイトは苦笑した。
「久しぶり……元気そうだね」
「勇太は、あまり元気そうじゃないな。穂積君から聞いている。アメリカで何度も、死にそうな目に遭ったそうじゃないか」
 仕事に関して、フェイトはこの叔父には何も話していない。
 IO2などという名詞を、叔父は知らないはずであった。
「俺、仕事あんまり出来ない方だから。いろいろヘマやらかしてるだけだよ」
「僕も、仕事ではヘマばかりだったなあ」
 この叔父は、普通の会社員である。
 その前は何か別の仕事をしていたらしいが、フェイトは知らない。知りたがるような事でもない。
「あの甘い物好きな、喋る犬たちは元気かい?」
「……元気、だと思うよ。ここ何年も会ってないけど」
「勇太は昔から、人間じゃない友達の方が多かったなあ」
 人間が嫌いだった。そういう時期が、確かにあった。
「俺、叔父さんの事も嫌ってたよ。人間ってものが、わけもなく嫌いだった……どうしようもない奴だったよね、俺って」
「僕も人間嫌いだったよ。勇太は僕に似ている、と思っていた」
 搭乗を促すアナウンスが流れた。離陸時間が、迫っている。
「……じゃ俺、行くから」
「ああ……」
 頑張れよ、あるいは元気でな。
 そういう類の言葉を、叔父は飲み込んだようだった。
 歩き出しながらフェイトは、見送る視線だけを感じていた。