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<東京怪談ノベル(シングル)>


旅立ち・夜闇の中へ


 髪は、伸ばしてみようかと思い始めている。
 新しい自分を見つけてみたい、というわけでもないが、ショートカットにもそろそろ飽きた。
「ま……伸ばし始めてみて、似合わなかったら切れば良し」
 短い髪を、軽く撫でたり叩いたりしながら、弥生は足取り軽く歩みを進めた。
 鉄骨しかないビルの内部に、軽快な足音が響き渡る。
 仕事というものは、髪を切るのとは違う。やり始めてみて自分に合わないと思ったら切り捨てる、というわけにはいかない。
 高校を卒業したのは昨年だ。来年は、成人式である。
 大学へは行かず、職にも就かず、女子高生気分を延長しながらダラダラと日々を過ごしている。
 優しい両親は、何も言わない。言いたい事はいくらでもあるはずだ、と弥生は思う。
「……働かないとね、私」
 呟きながら、弥生は立ち止まった。
 腐臭にも似た気配が、漂って来る。
 建設途中で放棄されたビルである。ここに住み着いて、悪さをしている者たちがいる。
 人死にも出ていた。
 人間の犯罪者なら警察の出番だが、そうではない者たちが相手なら、それ専門の請負業というものがある。
 声がした。
「いけませんねェ……今、何時だと思ってるんですかぁーお嬢さん」
 不快な笑い声が、弥生を取り囲んでいる。
「こんな時間まで夜遊びとは感心しません。教育の必要がありそーですねぇえ」
「午後10時24分」
 弥生は、ちらりと腕時計を見た。
「キミたちなら、まだ『おはようございます』って時間帯じゃない?」
「何でぇ。俺たちの事、知ってやがんのか」
 鉄骨の陰から、男たちがユラリと姿を現した。
 サラリーマン、不良、学生、ホームレス……様々な風体の男たち。
 共通点は1つ。人間の姿をしているが人間ではない、という事だ。
 両眼はギラギラと血走りながら輝き、犬歯は長く伸びて牙そのものである。
「吸血鬼……」
 弥生は言った。
「初めて見るけど、何と言うか……聞きしに勝る薄汚さよねえ。いいわ、今すぐ『おやすみなさい』の時間帯にしてあげる」
「何だ嬢ちゃん、俺らと戦おうってのかァー?」
 吸血鬼たちが、嘲笑った。
「バンパイアハンター気取りかあ? たまぁーに、いるんだよなああ」
「けど嬢ちゃんよォ、知ってんのか? 俺たちゃ聖水か銀の弾じゃねーと死なねえんだぜえ」
「見りゃわかる。おめえ、どっちも持ってねえだろーがァアアア」
 ニンニクが効く、などというのは迷信に過ぎない。
 十字架にしても、正しい信仰心を持つ者が、然るべき方法で用いなければ効果はない。
 弥生は、そう学んでいた。
「ま、せいぜい元気に可愛らしく抵抗してみろやあ!」
「ひッッッさしぶりに血の美味そうな嬢ちゃんだぜぇええええい!」
 吸血鬼たちが、一斉に襲いかかって来た。
「こないだの女ァひどかったからなあ! 見てくれはいいのに血は生臭えの何のって」
「その前に喰った男子中学生は美味かったなァー。下手すりゃ女より男の方が美味ぇえんじゃねーのか血血血血血血、処女の生き血が最高なんてのぁ幻想じゃねえのかぁあああああ」
「ま、でもこの嬢ちゃんは美味そうだぜゲヘヘへヘへ」
 もはや話し相手をしてやる気にもなれず弥生は、会話ではない言葉を呟いた。
 日本語ではない。英語でもフランス語でもない。ラテン語やスワヒリ語でもない。
 人類の文化圏では、すでに失われてしまった言語。人類ではないものに訴えかける言葉。
 それが、弥生の綺麗な唇から紡ぎ出される。たおやかな片手が、ふわりと掲げられる。
 ボーイッシュな短い黒髪が、熱風で乱れる。
 炎が発生し、激しく渦巻いていた。
 吸血鬼は1体を残して全員、焦げ崩れて灰と化し、舞い散った。
「こ……これは……」
 辛うじて炎をかわした1体が、怯えている。
「く……黒魔術!? 馬鹿な……普通の人間が、これほどの魔力を……」
「独学でね、ちょっと勉強してみたの。ま、素質はあったみたい」
 にっこりと、弥生は微笑みかけた。
「キミたち雑魚吸血鬼よりもずっと格の高い魔物の方々から、拝借した力……聖水や銀の弾丸よりも、効いたみたいねえ」
「ひいっ……!」
 逃げようとする吸血鬼に、弥生は人差し指を向けた。
 雷鳴が生じた。
 繊細な指先から、一筋の光が迸る。電光。それが、吸血鬼の背中から左胸を貫いた。
 心臓を、灼き砕いていた。
「こ……この程度の力で、私たち吸血鬼に……対抗出来る、つもりですかあぁー人間ども……」
 さらさらと灰に変わりながら、吸血鬼は捨て台詞を吐いた。
「も、最も気高く邪悪なる血筋を……受け継いだ御方が……この世に、すでに現臨あそばされて……お前たちも長くはない! 束の間の栄華を、せいぜい愉しみなさい人間どもォオオオ!」
 叫びと共に、吸血鬼はザァーッと崩れ落ちて消滅した。
 弥生は見回し、生き残った吸血鬼が1匹もいない事を確認した。
「出来た……」
 そして、呟く。
「私……この仕事、やっていけるかも」
「……自信、つけちゃったんだね。姉さん」
 声がした。
 少年が1人、いつの間にか、そこに立っている。
「初めての仕事が、あんまり上手くいきすぎちゃうと、あんまり長続きしないって言うよ」
「私の事……追いかけて来たの?」
 弥生は苦笑した。
「もしかして、助けてくれるつもりで?」
「冗談。もし姉さんが、今の吸血鬼どもに殺されてたら……俺なんか、恐くて逃げ出してたよ」
 同じく苦笑気味に微笑んでから、弟は言った。
「……行くんだね、このまま。父さんにも母さんにも、何にも言わず」
「言ったわよ。そしたら思いっきり反対されちゃった」
 だから、こんな家出のような形になってしまった。荷物は駅のコインロッカーに入れてある。
「お父さんにも、お母さんにも……落ち着いたら、私の方から連絡するわ」
「父さんは怒るだろうし、母さんは泣くと思うよ。わかってる? 姉さん」
 弟が、じっと眼差しを向けてくる。
「血なんか、繋がってなくても……父さんと、母さんなんだよ」
「2人とも優しいからね。何年でも、スネかじらせてくれそう」
 まっすぐに、弥生は見つめ返した。
「……だからね、私の方から出て行くしかないのよ」
「でも……よりにもよって、あの街へ行くなんて」
 日本国内とは思えないほど治安が悪い、と言われている街だ。
 人間ではない者たちも大勢、集まり住んでいるという。
「今の吸血鬼なんて問題にならないような化け物が、大量にいるって話じゃないか。そんな所へ」
「そういう所で生き抜いていけないようじゃ……人間以外の連中相手に請負業なんて、勤まらないから」
 弥生は言った。
「それに、私たちを生んでくれた方のお父さんお母さんが出会った街だって言うじゃない。何か、掴めるかも知れないでしょ」
 生みの両親は、事故で死んだ。
 養父も養母も、それしか言わない。血の繋がった両親に関して、何も教えてくれない。
 それをいささか恨んだ事はあっても、養父母を嫌いだと思った事が、弥生にはなかった。
 血の繋がらない娘と息子を、あの2人は本当に愛してくれている。
 だからこそ、はっきりとさせたいのだ。
 弥生が物心つく前に事故死したという、本当の両親に関する、全ての事を。
 その事故死に、養父母が何かしら関わっているのではないか。
 そんな疑念が自分の中にあるとしたら、それは晴らさなければならない。
「……ま、俺だって姉さんを止められるなんて思っちゃいないよ」
 弟が、溜め息をついた。
「父さんと母さんには上手い事、言っておく……辛くて逃げ帰って来たら、まず俺に連絡してよね。父さん母さんに、上手く言わなきゃいけないから」
「そうさせて、もらうわ」
 微笑みかけながら、弥生は弟に背を向けた。
 別れの言葉を口にする代わりに、軽く片手を上げる。
 弟は何も言わず、去り行く姉の背中を見つめている。
 その視線を感じながら弥生は、吸血鬼の死に際の言葉を思い返していた。
 最も気高く邪悪なる血筋を、受け継いだ御方。
「吸血鬼の親玉……みたいなもん?」
 歩きながら、弥生は呟いた。
「ま……そんな奴が出て来たら、叩きのめしてやるわよ」