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ラグナロク前夜
『世界秩序の守り手たる我が国に対し、重大極まる挑戦であります!』
男が1人、テレビ画面の中で熱弁を振るっている。対外強硬派として知られる、上院議員。
『先頃の騒動でもおわかりのように、テロリストどもは国民の皆様の身近に潜んでいるのです! 我々は、力を持たなければなりません。愛する人を、守るために!』
先頃の騒動とは、あの錬金生命体の事であろう。アメリカ各地で暴走し、IO2によって鎮圧された。
鎮圧を行ったのは、IO2末端の各部隊である。
IO2上層部も、アメリカ政府も、それにこの上院議員も、どちらかと言うと錬金生命体暴走の原因を作った側に属しているのだ。
無論、国民はそんな事を知らない。だからテロリストの仕業などという話になってしまっている。
アメリカという国は、あの頃から本当に何も変わっていない。アデドラ・ドールは、そう思った。
愛する者を守るために、それ以外の者を力で排除する。その結果、最終的には何もかもを失ってしまう。
何もかもを失った自分が、ここへきて新しい何かを得た、という事になるのだろうか。
赤ん坊を抱きながら、アデドラはふと、そんな事も思った。
生まれて間もない、女の子。
血の繋がりがない姉の腕の中で、すやすやと寝息を立てている。
テレビを点けたら、ようやく眠ってくれた。議員の演説が、よほど退屈だったのだろうか。
父も母も、仕事中である。アデドラが、子守りと留守番を任されていた。
「……呑気なものね、お父さんも」
妹の小さな身体を、そっとベビーベッドに戻しながら、アデドラは呟いた。
両親にとって、自分は娘であると同時に、監視対象でもあるのだ。
何故、監視する必要があるのか。それはアデドラ・ドールが、少女の姿をした危険な怪物であるからだ。
そんな怪物に、大切な一人娘を預け、仕事に出てしまう。
あの両親にとって自分は、もはや監視すべき怪物ではなくなってしまっているようであった。
「じゃあ、何なのかしらね……」
アデドラは呟いた。無論、赤ん坊は何も応えてくれない。
「あのう」
声がした。
白い服を着た、小さな男の子が2人、おどおどとリビングを覗き込んでいる。
「お便所の掃除、終わったのだ……」
「おふろのそうじも、おわったのだぞ」
兄弟である。
2人とも、人間に近い姿をしているが、耳と尻尾だけは隠せていない。
この姿をしているのは、両親が外出中の時だけだ。普段は、2匹の仔犬である。
「御苦労様……じゃ、お茶にしましょうか」
アデドラは手招きをした。
仔犬のような兄弟が、とてとてと入って来る。
様々なお茶菓子の入ったバスケットを、アデドラはテーブルに置いた。
「好きなお菓子、選んでいいわよ」
「わーい!」
2人の表情が、ぱっと輝いた。
2人の魂も、喜びで輝いている。それをアデドラは見て取った。
「貴方たちは、本当に……美味しそうね」
「そ、そんな事はないのだぞ」
「フィラリアが、いっぱいいるのだぞ」
菓子をごっそりと衣服の内側に詰め込んだ2人が、そそくさと逃げ去って行く。
アデドラは両手を伸ばし、彼らの首根っこを掴んだ。
「あたしは、ここでお茶にしましょうと言ったのよ」
「お、お茶と一緒に食べられるのは嫌なのだ」
「回虫もいっぱいいるから、たべてはだめなのだ」
じたばたと暴れる2匹を、アデドラは無理矢理、ソファーに座らせた。
大きなソファーの上で、小さな兄弟が身を寄せ合い、震え上がっている。
怯えた魂も美味しそうだ、と思いながらアデドラは、ティーポットを用意した。
平和であった。
妹はベビーベッドの上で熟睡中、テレビの中では議員が幸せそうに演説をしている。
この議員の息子が、アデドラと同じクラスにいる。
鬱陶しく絡んでくる事の多かった彼が、最近は大人しい。と言うより元気がない。
最近、親父の様子がおかしい。そんな愚痴を男友達にこぼしているのを、アデドラは聞いた事がある。
まあ、どうでも良い事ではあった。
「あのう」
幼い兄弟が、おずおずと声をかけてきた。
「わ、我らはアディの言う事、何でも聞いてきたのだぞ」
「だ、だから……そろそろ、ゆう太にあわせるとよいのだぞ」
「そうね……あたしも会いたいわ」
工藤勇太という少年に、会ってみたかった。
この兄弟は、フェイトとなる前の少年・工藤勇太を知っている。
アデドラは、永遠に知る事が出来ない。
賢者の石の力をもってしても、時を巻き戻す事は出来ないのだ。
「……よう……フェイト……」
病室のベッドの上で、同僚が死にそうな声を発している。
「ざまぁねえぜ……死に損なっちまった……」
「かっこよく瀕死の重傷を気取るなよ。肋が何本か折れただけだろうが」
「お前、それだって充分痛ぇえんだぞう」
同僚が突然、元気になった。
「それより、お土産! 買って来てくれた? メイドクッキーの新バージョン。買って来てくれたよなあああ!?」
「頼まれたやつな。空港で探したんだけど、見つからなくってさ」
日本で買って来た土産を、フェイトは同僚に手渡した。
「代わりにまあ、これで我慢してくれ。萌えキャラとは違うけど、日本名物には違いない」
「……おい、何だこりゃ」
包装を剥きながら、同僚は呻き、叫んだ。
「何だこの目が虚ろな怪人はあああああ!」
「日本で最近流行りの、ゆるキャラって奴だ。俺も実はよく知らないんだけど、何か梨がモチーフらしいぞ」
「メイドクッキーは! ちゃんと! アキバで探さなきゃ駄目だろーがぁああああ!」
激昂する同僚を、もう1人の同僚が嘲笑う。
「ふふん、理解のない奴め。萌えなんて、重厚な日本カルチャーの表層の一部でしかないんだよ」
IO2のいささか無茶な作戦に駆り出されて負傷した同僚を、2人で見舞いに来たところである。
「そもそもアニメなんてものは、最初に特撮番組がなければ成り立たなかったんだぞ。クールジャパンの源流は特撮に」
「はいはい、お前にもお土産」
ボロ布、としか表現し得ないものを、フェイトはもう1人の同僚に手渡した。
「こ……これは……?」
「ごめん。お前にもらった防刃・防弾スーツ……ボロボロに、なっちゃった」
「ぼぼぼぼぼボロボロになるようなものじゃないだろーがああああああ!」
同僚が、悲鳴か怒声か判然としない叫びを発している。
「こっこんなに、こんなにして! これはもう、いよいよアレを着てもらうしかないなぁーフェイト君には!」
「……アレって?」
「5色の強化スーツに決まってるだろぉお? 当然レッド想定! と言いたいとこだけど……フェイトって、よく考えたらレッドよりブラックの方がイメージ強いんだよなああ」
「……お前ら、どうでもいいけどIO2のお金で変なもの作ったりするなよな」
フェイトは苦笑したが、IO2自体、資金を惜しまずに何やらおかしな事をしている気配はあった。
(まあ……昔からそうなんだけどな。この組織は)
一抹の、悪い予感のようなものは確かにあった。
「まさか本当に……」
IO2本部、地下格納庫。
修理をほぼ終えた機械の巨人を見上げながら、フェイトは絶句していた。
虚無の境界から押収したもので、戦力の増強を図る。
錬金生命体の時と同じ事を、IO2アメリカは実行しようとしているのだ。
「言いたい事が山ほどあるのは、わかっている」
女上司が言った。
「しかしまあ、見ての通りだ……このナグルファルには、すでに多額の資金が注ぎ込まれている。今更、やめるわけにはいかん」
「……日本の新聞・雑誌に、載ってましたよ。ラスベガス近くで、こいつが動いたって」
そのせいで同僚が1人、怪我をした。
「アメリカでは、あんまり騒ぎになってないみたいですけど」
「なっているさ。確かにマスコミ対策は完璧で、新聞でもテレビでも報道はされなかった……が、ネット上ではお祭り騒ぎだ」
女上司が、溜め息をついた。
「……今朝のニュースは見たか?」
「見ました……つまり、ああいう事なんですか」
「ああいう事だ」
あの上院議員が、相も変わらず『強いアメリカ』を目指し、愛国を煽っていた。
煽っているだけではなく、すでに何かを始めている。その一端が今回、ラスベガス郊外において、思わぬ形で発露してしまったのだ。
「悪いロボット大暴れ……なんて事態が、これからも起こると」
いつでも動かせる状態、と思われるナグルファルを見上げながら、フェイトは言った。
「だから、こういうものが必要になると。それは俺もわかってますが……どうやって動かすんですか、これ」
「人が乗って動かす、しかないだろう」
「あいつが退院したら、また乗せると?」
女上司は、ちらりとフェイトを見た。
「彼には申し訳ないが、あれは実験のようなものでな……正式に誰を乗せるのかは、まだ協議中だ」
「……何か、すごく嫌な予感がするんですけど」
「まあ、まずは怪我を治せ」
背後から、声をかけられた。たくましい手が、肩に置かれた。
「教官……」
「久しぶりだな。日本じゃ、どえらい目に遭ったんだろう?」
この教官に子供が生まれる、と同時にフェイトは日本へ飛ぶ羽目になった。
生まれたのが女の子であるらしい、という話だけは聞いている。
「どえらい目には慣れました。それより教官、おめでとうございます」
「おう。ま、顔見に来てやってくれよ」
教官が半ば無理矢理、フェイトの腕を引いて歩き出す。
「え……あの、今からですか?」
「日本でゆっくり養生させてやりたかったが、そうも言ってられなくなっちまってな」
教官が言った。
「だから俺の家で治せ……アディが、待ってるぜ」
「教官は……知ってたんですか?」
車の中で、フェイトは訊いた。
「アデドラに、傷を治す力があるって事」
「家で、ちょいとつまらねえ怪我をしちまってな。治してもらった」
ハンドルを転がしながら、教官が答える。
「もちろん、あいつが監視の対象だって事は忘れちゃいねえが……何か、すっかり世話になっちまってるなあ。家事とか子守りとか上手いんだよ、アディの奴」
「長生きしてるみたいですからね」
「料理の味付けだけは、ちょいと微妙だがな」
味のないシチューを食べさせられた事なら、フェイトにもある。
「まあ少しの間になるだろうが、俺の家でゆっくりしてろ」
車が、ガレージへと入って行く。
「急に家族が増えちまって、ちょいと窮屈だがな」
そう言えば犬を飼い始めたはずだ、とフェイトは思い出した。
ガレージから、庭へと出た。そこでフェイトは、足を止めた。
「お帰りなさい、お父さん……お母さんも、さっき帰って来たところよ」
1人の少女が、立っていた。アイスブルーの瞳が、教官とフェイトに向けられる。
「フェイトは……お帰りなさい、なのかしらね」
「どうかな……」
久しぶりの会話を始める事は、出来なかった。
仔犬が2匹、きゃんきゃん鳴きながら、凄まじい勢いで駆け寄って来たからだ。
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