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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


霧の鏡


 霧の都に1人、知り合いがいる。
 そんな事をフェイトがふと思い出したのは、あまりにも霧が深い夜であるからだ。
 ロンドンがそう言われるほど霧深い都市であるのかどうか、何しろ行った事がないのでフェイトは知らない。
 今夜、ロンドンはともかく、東京には霧が出ていた。まさに霧の都と呼ぶにふさわしい濃さである。
「あいつ、元気でやってるかな……」
 英国首都を拠点として多忙な日々を過ごす、若き大富豪。
 あの優雅で不敵な笑顔を思い出しながら、フェイトは身震いをした。
 寒い。気温が低いと言うより、霧が冷たい。
 黒いスーツが、うっすらと白くなっている。霜が、貼り付いていた。
 フェイトは足を止め、見回した。
 見慣れた公園の夜景が、ぼんやりとした冷たい白さに覆われている。
 これは、本当に霧なのか。
 少なくとも、自然に発生した霧ではない。
 明確な根拠もなく、そう感じながら、フェイトは拳銃を抜いた。
 霧の中で、光が点ったからだ。
 2つの、小さな青い光。
 眼光だった。青い瞳が、ちらりと向けられてくる。
 フェイトは一瞬、鏡を見ているような気分になった。
 冷たい霧の中に佇む、1人の少年。
 細い身体は、ほぼ黒一色の装いをしている。黒いジャケットにベスト、黒いズボン、黒革のショートブーツ。
 似ているのは服装だけではない、とフェイトは感じた。
「A6研の人かな。それともA5?」
 青い瞳の、その少年が、謎めいた事を言っている。
「何にしても一足遅かったね。ボクの仕事、横取りするつもりだったんだろうけど」
「仕事……ね」
 少年の足元に横たわるものを、フェイトはちらりと観察した。
 氷の塊……いや、凍死体に見えた。人間ほどの大きさの何かが、真っ白に凍り付いている。
 何であるかをフェイトが確認しようとした時には、それはキラキラと砕け散っていた。
「……どんなお仕事なのか、ちょっと訊いてみてもいいかな」
「研究所の人じゃないの……?」
 少年が、怪訝そうにフェイトを見る。
 その目が、はっと見開かれた。青い瞳が。フェイトの拳銃に向けられている。
「先生が言ってた。日本で、堂々と拳銃を持ち歩いてるのは……IO2だけ」
「名刺代わりになっちゃったな、こいつが」
 言葉と共にフェイトは、少年に拳銃を向けていた。
 この少年が何者なのかは不明だが、1つ明らかな事がある。フェイトが、直感した事がある。
 この霧の中では、自分は100%の力を発揮出来ない、という事だ。
 霧の冷たさが、全身にまとわりついて体内に浸透して来る。
 自分の力が少しずつ凍結してゆく。フェイトは、そう感じた。
 このまま戦いになったとしたら、自分は確実に負ける。今すぐ引き金を引いて、この少年を射殺しない限り。
 だがフェイトは引き金を引かず、言った。
「アメリカ暮らしが長くてね。人に銃を向ける事には、あんまり抵抗がないんだ。良くない傾向だとは自分でも思うよ」
 作り笑いを、浮かべてみる。
「アメリカのせいにしちゃあ、いけないかな……とにかく、ここで何をしてたのか教えて欲しい」
「安心して。人殺しをしたわけじゃないから」
 白く凍った肉片が、公園の地面にぶちまけられている。それを見下ろしながら、少年は言った。
「ボクたちが、不始末を後片付けしているだけ……IO2の人たちに、手間をかけさせるつもりはないから」
 霧が、濃くなった。
 その白い闇の中で少年が、ふわりと後退りをしている。
「どうか、余計な事はしないで……」
 霧が晴れた。
 少年の姿は、消えていた。
 言葉は、しかし残っている。少年の発した、ある1つの単語が、フェイトの心に突き刺さっている。
「研究所……か」
 本当に、嫌な言葉だった。


 一瞬。ほんの一瞬だが青霧ノゾミは、鏡を見ているような気分に陥った。
 路地裏で無様に尻餅をつき、怯えている男。衣服とも呼べないボロ布の下にある肉体は、今のところ辛うじて、人間の形を維持しているようだ。
 この男は、生ける兵器として造り出され、実験動物として扱われ、失敗作として廃棄処分を決定され、それに逆らって脱走した。
 同じ研究所にいながら青霧ノゾミは、素晴らしい先生に恵まれ、慈しまれ、今のところは成功作品として大切に扱われている。そして今、脱走した失敗作を狩る側にいる。
 何か1つでも間違っていたら、立場は逆転していただろう。
「だけど、それは……あなたを見逃す理由には、ならないから」
 1歩、ノゾミは近付いた。
 尻餅をついたまま、男は後退りをして、ビルの外壁にぶつかった。
「や……やめろ、やめてくれえ……」
 言語中枢は、まだ生き残っているようだ。
「わ、わからねえのか……お前だって、そのうち俺と同じになるぞ……モルモットみてえに扱われて、ゴミみたく捨てられて」
「同じ事を言わせないで。それは、あなたを見逃す理由にはならない」
 楽に死なせる。美しく、キラキラと粉砕する。
 この男のためにノゾミがしてやれる事は、それだけだ。
「だいたい、わかったよ」
 声がした。
 足音が聞こえた時には、もう銃口を向けられていた。
「あんたの言う研究所で、どういう研究をやってるのか……今のやり取りで、大体わかった」
「あなたは……」
 黒髪に、黒いスーツ。エメラルドグリーンの瞳。
 先日、公園で出会った、IO2の青年である。
 あの時と同じく、ノゾミに拳銃を向けながら、青年は言った。
「わかったけど、少し詳しい話も聞きたいな……その研究所ってのが、どこにあるのか。まずは、それから話してもらおうか」
「な、何でも話す! 俺が教えてやるよ、だから助けてくれよお!」
 ビルの外壁にしがみつくようにして、男が叫んだ。ノゾミが止める暇もなく、ある地名を口にしてしまった。
「俺みたいな奴が大勢、そこに閉じ込められて! ひでえ目に遭ってんだよぉおお!」
「だから逃げ出して、追われて、狩られてると。そういうわけか」
「15体」
 逃げ出した実験体の数を、ノゾミは仕方なく明かした。こうなった以上、ある程度の説明はしなければならないだろう。
「ここにいるのが、最後の1体……見ての通り、大した力は持っていないよ。IO2の人に手を貸してもらうまでもない、ボク1人で充分だから……帰って、くれないかな」
「俺も、お手伝いをしようって気はないんだ」
 エメラルドグリーンの瞳が、ギラリと発光する。
 同じだ、とノゾミは感じた。この青年は、自分と同じだ。
 無論、ホムンクルスではないだろう。母親の胎内から生まれ、だがその後間もなく……恐らくかなり幼い時期に、何かしらの開発実験を施された。
 そして、人間ではないものに造り変えられた。ホムンクルスの最高傑作、にも等しいものに。
 研究所の科学者たちが見たら羨むだろう、とノゾミは思った。
(先生への、お土産に……連れて帰ってみたいな)
「……道具だな、あんた」
 青年が言った。その口調に、緑色の眼光に、怒りが漲っている。
「物として、便利に使われてる。その自覚はあるのかな」
「あなたは……何をそんなに怒っているの?」
 ノゾミは、微かに首を傾げた。
「ボクが先生の道具なのは、当たり前じゃないか。先生はボクを、本当に大事に使ってくれる。ボクは先生の役に立ってる。誰も困ってはいない、誰かを怒らせる要素なんて1つもないと思うけどな」
「先生、ね……あんたたちみたいな生きる道具を、大量生産してるわけだ。その研究所では」
「それのどこに、あなたを怒らせてしまう理由があるのかな?」
 研究所では、皆が幸せに過ごしている。
 その幸せを感じられない者だけが、こうして時折、脱走するだけだ。
 誰も困りはしない。誰かに怒られる理由など、ないはずであった。
「IO2の人たちにとっても、有益な研究をしている所だよ」
「IO2とも、虚無の境界とも、繋がってた……そんな研究施設があったのさ」
 言葉と共に青年の瞳が、緑色に燃え上がる。鮮やかな、エメラルドグリーンの炎。
 綺麗だ、とノゾミは感じた。
 青い瞳が綺麗だ、と先生に誉められた事がある。が、この燃え上がる緑色ほど綺麗ではないだろう。
「虚無の境界がやってた研究を、いつの間にかIO2が引き継いでいたんだよ。だから俺は、IO2の上層部にいる連中を信用してない。あいつらが喜ぶ有益な研究なんて、認めたくはないな」
「ボクたちの研究所と、IO2が手を組めば、凄い力が生み出せるんだよ? 世界のみんなが、幸せになれる力さ」
「先生とやらが、そう言ったのか」
 青年が何を言っているのか、ノゾミは一瞬、わからなくなった。
「そういう言葉で、あんたを便利に使いこなしているわけだ」
「え……っと」
 ノゾミは、頭を掻いた。
「もしかして、今……先生の悪口、言った?」
「直接会って、悪口をぶつけてやりたい気持ちはあるよ。悪口だけで済ませられるかどうか、ちょっと自信ないけどな」
 この青年は、先生に危害を加えようとしている。
 それだけでノゾミは、両眼が青く激しく輝くのを止められなくなった。
 路地裏に、霧が立ちこめる。
 問題は、銃口がすでに自分に向けられている、という事だ。
 引き金を引かれる前に、この青年を凍結させ粉砕する事が、果たして出来るかどうか。
 絶叫が、おぞましく響き渡った。
 ビルの外壁にへばりつき、怯え震えていた男が、さらに激しく痙攣し、叫んでいる。
 その全身から、ボロ布がちぎれ飛んだ。
 剛毛が、筋肉が、凄まじい勢いで隆起している。まるで熊かゴリラのように。
 もはや人間の言葉を発声出来なくなった口が、大きく裂けながら巨大な牙を露わにした。
 そして、ノゾミに喰らい付いて来る。
 完璧な奇襲であった。許せない発言をした青年に、ノゾミは注意を奪われている。
 一瞬後には、食い殺される。覚悟を決めている暇すらない。
 銃声が、轟いた。
 緑の瞳の青年が、引き金を引いていた。銃口はノゾミに、ではなく獣と化した男に向けられている。
 熊かゴリラのような巨体が、フルオートの銃撃を叩き込まれて吹っ飛び、倒れ、だが起き上がって来る。
 そこへノゾミは、青く燃え上がる眼光を向けた。
 霧が凝集・凝結して水滴に変わり、凍り付く。
 氷の矢が無数、そこに発生していた。
 一斉に発射されたそれらが、獣と化した男の全身に突き刺さる。
 剛毛と筋肉で膨れ上がった巨体が、一瞬にして凍り付き、砕け散った。
 白く凍った肉片が、ガラスのようにキラキラと飛散する。
 ノゾミは一瞬、鏡を粉砕したような気分になった。
 何か1つ間違っていれば、こうして粉々になっていたのは自分の方なのだ。
「大したもんだ……あのまま戦いになってたら、俺がこうなってたかもな」
 そう思うなら今すぐ撃ち殺せば良いものを、それをせずに青年が言う。
 ノゾミは、ちらりと睨み据えた。
 青と緑、2色の眼光が一瞬、ぶつかり合った。
「あなたは、許せない事を言った……だけどボクを助けてくれた。今回は、それで帳消しにしてあげる」
 言いつつノゾミは、青年に背を向け、歩き出した。
 これ以上、睨み合っていたら、本当に戦いになってしまうかも知れない。
 今まで自分が始末してきた出来損ないの実験体、とは明らかに格の違う、この緑の瞳の怪物とだ。
「1つ、言っておこうかな……先生の敵に回るのなら、ボクは容赦しないよ。あなたがどんなにバケモノでも」
「俺からも1つ言っておく。こんなものを造り出すような研究は、たとえ何か正当な理由みたいなものがあるにしても、俺は絶対に許さない」
 燃え上がる緑の眼光を、ノゾミは背中に感じた。
「許さなきゃどうするのか、今はまだわからない。あんまり勝手な事は出来ないからな……ただ、許せないと思ってる奴が最低1人はいる。それを、先生とやらに伝えておいて欲しい」
「……ボクは、青霧ノゾミ」
 ノゾミは振り向かず、名乗った。
「……あなたは?」
「フェイト」
「覚えたよ」
 可愛らしく並んだ白い歯を、ノゾミは微かにギリッ……と噛み鳴らした。
「先生の敵の名前は……フェイト」