コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


鋼鉄の彼女



 都内を駆ける一台のスポーツカーがあった。滑らかかつ洗練された美しいボディ。重いエンジン音ではあるが落ち着きのある響きで進むそれは、目を引くものがある。
 その車のハンドルを握っているのは一人の女性だった。
 長く伸びた茶色の髪。宝石のような青い瞳。
 容姿は言うまでもなく美しく、またその体もグラマラスながらも整っている。
 黒いストッキングにミニのタイトスカートは彼女の艶かしさを際だたせるような衣服だ。スーツ姿なのだが、中に着ているシャツを胸元までボタンを外しているためにそこから醸しだされる色香もまた悩ましい。
 名を白鳥瑞科。一見は出来るキャリアウーマンのような出で立ちではあるが、彼女には裏の顔がある。『教会』という秘密組織所属の武装審問官――戦うシスターなのだ。その腕は教会内でも随一と言われている。
 現在は教会の表向きで運営されている商社での事務仕事を終えて、帰宅途中であった。
 軽快なドライブさばきを見せている瑞科に、任務用の無線が入った。もちろんハンズフリーである。
「――はい、白鳥です」
〈帰宅中にすまない。君に緊急の任務だ〉
「了解ですわ。どちらへ向かえばよろしいですの?」
〈そこから約一キロ先に有料道路へと繋がる入り口がある。その先は湾岸線だが、二キロ進んだ辺りで異形の姿を確認した。一般人に接触する前に殲滅せよ〉
「解りましたわ、お任せください」
 視線のみで前方を確認して、瑞科はそう応える。
 六車線の一番左側を走行していたが、有料道路を示す看板を目にした所ですでに車線変更を手早く終えており、彼女の車はスムーズに進んだ。
 アクセルを踏み込んで有料道路へと向かう。ETCを潜ったあと、カーナビゲーションのような大きさの立体映像が浮かび上がり、瑞科はポイントを再確認する。それか教会から送られてくる無線送電の一種であった。
 『異形』がいる場所を示すものである。
「あらあら、大きな猫ですこと。……いえ、虎のような姿かしら? 今回の異形は獣形態ですのね……」
 そんな独り言を漏らす唇は、ピンクのグロスが塗られている。言葉を発しているだけであるのに、それが艶を引き立てて色っぽい。
 瑞科の表情はこれから訪れるであろう戦闘に向けて、どこか喜んでいるかのような雰囲気が醸し出されている。
 彼女はどんなに過酷な任務にも、こうした表情で向かっていくことが殆どであった。武装審問官という立場や自分の戦闘能力に絶対的な自信を持っているからだ。
「……少しはわたくしを楽しませてくれる相手でしたらよろしいのですけど」
 瑞科はハンドルを握り直しつつそう言葉を続けた。
 彼女の並外れた戦力には、右に出るものが居なかった。相手の敵にしても然りだ。
 それ故、彼女は『期待』してしまうのだ。
 新しい戦闘に、まだ見ぬ敵に。
 強く美しい戦士は今日もまた、新しい刺激を求めて前を進んだ。



 敵となる『異形』は廃墟となった遊園地内にいた。
 瑞科はそれを好機と取り、シールド展開を行う。一般人には見えないキューブ型の結界は、四隅に仕掛けた後手元のボタンを押せば音もなくシールドが貼れるという近代的な代物だった。
 園内全てを取り囲むようにして出来た半透明な結界に、敵である異形が唸り声を上げる。獣らしい鳴き声はシールド内で木霊してビリビリと瑞科の肌を震わせた。
「いいですわね。ゾクゾク致しますわ」
 カッ、とヒールの高い黒のパンプスを鳴らす。
 そして彼女は異形と向き合い、戦闘態勢に入った。
 そんな瑞科はミニのスーツ姿のままであった。右の太ももにはベルトが巻かれて、数本の小型ナイフが仕込まれている。
「……貴方はどこからいらしたの?」
 獣特有の獲物を狙う眼光。
 それを余裕で見返しながら、彼女はそう言う。
 瑞科と異形は、互いに距離を保ちつつ円を書くようにして歩みを始めた。どちらも様子をうかがっているのだ。
 遠くに喧騒が聞こえた。
 瑞科にはそれに耳を傾けられるほどの余裕があったが、異形の方はそうでも無いようだ。
 人気のない廃墟。そこを吹き抜ける風と、転がる空き缶。
 それに先に気を取られたのは異形だった。
「あら、もう少し捻りが欲しかったですわね」
 そう言いながら、瑞科は軽々と地を蹴る。
 高い跳躍に戸惑う異形。ひらりと宙を舞う瑞科の姿は、しなやかで美しかった。
 反り返る肢体と曲げられる両足。交互に動く脚は黒いストッキングが光に反射して艷やかさを一層引き立てる。
 ガアアッと咆哮が響いた。
 異形が瑞科に向かて吠えながら向かってきたのだ。
 瑞科は素早く投げナイフを手にして、くるりと体を回転させつつそれを異形に投げつけた。二本投げて、両方ともに命中する。
 一つは目に、もう一つは右足の付け根に入り込む。
 直後、異形は痛みに耐えかねて大きな声を上げた。
 瑞科はそれを目の端で捉えて、少し距離を取って遊具の上に降り立つ。パンプスを履いたままであったが、彼女は平然と体のバランスを保ったままでいた。
「異形のモノは負の感情から生まれると言われていますわ……貴方もきっと、この街で生まれてここまで形を成したのでしょうね。哀れですわ」
 ぽつりと零れ落ちるそんな言葉。
 哀れみを含む優しげな声色は、異形には届くことはない。人語を理解していれば別の話であるが、この個体にはそれほどまでの能力は備わってはいないのだろう。
「終わりにいたしましょうか」
 グルルル……と低い声が瑞科に向けられる。
 声に反応したかどうかまでは分からないが、空気を読んだのかもしれない。
 後ろにスリットの入ったミニスカートに皺が走る。瑞科が太ももに手を伸ばして新しいナイフを手にした為だ。
 体のラインにピッタリと沿ったそのスカートは、彼女が僅かに動くだけでも艶かしく色っぽく見える。
 布越しにうっすらと美尻ラインを這うのはアウターに響かない仕様のショーツであった。遊具の上で仁王立ちをしている状態であったが、足元に誰かがいれば、とても目のやり場に困る佇まいだ。
 ゆらり、と空気が動く。
 異形が片目のみで瑞科を見やり、そして地を蹴って距離を詰めてくる。
 息の掛かりそうな距離間で大きな口を開く異形。瑞科はそれにも微動だにせず、逆にうっすらと瞼を細めた。
「貴方はよく動けたほうだと思いますわ。――それでもわたくしの心を満たせなかったのは……どうしてなのでしょうね……」
 彼女のそんな言葉は、僅かに悲しいものとなった。
 握っていたナイフを逆手に持ち替えて、瑞科は異形へとそれを突き刺した。
 眉間にヒットした直後、彼女は柄を掴んだまま縦に腕を振り下ろす。異形は断末魔の雄叫びをあげる間も与えられずに、そのまま崩れ落ちていった。
 ふぅ、と瑞科の唇からため息が零れ落ちる。
 足元に沈んだ異形の成れの果てを見やりつつ、彼女は長い髪をさらりと左腕で払った。
 風に乗ってふわりと舞う茶色のロングヘアは、どこか悲しげな雰囲気を醸し出す。
 だが、彼女の心の中は空しさだけで彩られているわけでは無かった。任務を達成した事――その事自体への高揚感が確かに存在していて、天を向きながら瑞科は瞳を閉じる。
 それから数秒の後、遊園地内に貼られていたシールドが解除された。
「ミッションコンプリートですわ」
 司令である『神父』へと繋がる無線へと向かって、瑞科はそう言った。
〈ご苦労。時間外にすまなかった。異形の回収はこちらに任せてそのまま直帰してくれ〉
「了解しましたわ」
 異形に刺さったままの投げナイフを回収しつつ、通信を終える。
 刀身に血が付いていないのは、『本当の獣』では無かったからなのかもしれない。
 大きな街の中、きらめくイルミネーションに交じり合うのは人の感情。
 目に見えず知らずにぶつかり合って、それが不満へと繋がり、やがては負の色へと染まっていく。
 瑞科が言ったとおりで、獣の異形はそんな負の集合体であった。一人ひとりのどこにも投げ出せない気持ちが寄り集まり、形を成して綺麗に見えるものを崩しにかかる。
 瑞科が所属している教会は、人に仇なす存在を殲滅する組織だ。そして彼女も、その教義を守りぬいている。
 静まり返った廃墟で一人、僅かに肌をくすぐる新たな戦いの気配を感じて瑞科はゆっくりとまた天を仰ぐのだった。