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穢れを知らぬ笑み1
一日の業務を終え、スーツ姿の女は愛車へと乗り込み帰路へとつく。
仕事を終えたばかりだというのに、彼女の横顔に疲労の色は見えない。端正な横顔は、しっかりと前を見据えていた。
細く長い指がハンドルを撫でる。ミニのタイトスカートから覗く黒いストッキングに包まれた足が、アクセルを踏んだ。すっかり日の落ちた街をスポーツカーは走る。長く伸びた美しい茶色の髪を、風が悪戯に弄ぶ。
不意に、女の形の良い耳に高い音が届いた。誰かから緊急の通信が入ったのだ。
慣れた手つきで彼女は機器を操り、通話を繋げる。耳に入れた通信機から聞こえるのは、馴染み深い教会の神父の声。
彼は彼女に、今すぐとある場所へと向かって欲しいと告げた。具体的な位置を口ずさんだ後、神父は続ける。
『そして、君にはその場にいる敵を全て――』
今までの経験から次いで紡がれる言葉にはすぐに予想が付いたのか、女の麗しい唇は弧を描いた。
『――殲滅してもらいたいのです』
普段の彼女は修道服を身にまとい、ステンドグラスの前で神へと祈りを捧げるシスターだ。けれど、彼女が属しているのは、教会でありながらも普通の教会ではなかった。
人類に仇なす魑魅魍魎の類や組織を殲滅する事を主な目的とした、太古から存在する秘密組織に属する武装審問官、「教会」
彼女こそ、その中でも随一の実力を持つ戦闘シスター、白鳥瑞科その人なのだ。
故に彼女は、急な事だというのに嫌な顔一つする事もなく、上官である神父に与えられた任務をこなすために目的の地へと向かう。むしろ、その空のように澄んだ青色の瞳は歓喜の色を宿していた。
彼女にとっては、教会が表向きにやっている商社での仕事など仕事の内には入らない。教義に反する異形を退治する事こそが彼女が本当にすべき事であり、つまるところ彼女の仕事の本番はこれからなのだ。
久々の『お仕事』に、瑞科は気分が高揚していくのを感じた。
◆
『キキキ、エモノ……! エモノダ!』
『女! 女ガキタゾ! トビキリ極上ナヤツダ!』
現場に辿り着いた彼女を迎えたのは、黒い翼を持った者達。今宵の相手は、どうやら低級の悪魔達のようだ。
といえど、少しばかり数が多い。右を見ても、左を見ても、そこにあるのは黒、黒、黒。不気味な笑みを浮かべた異形達の姿がある。普通の者であれば、その数に怖気づいてしまう事だろう。
しかし、瑞科は違った。彼女は優雅な笑みを象れば、誘うように言葉を奏でる。
「さぁ、懺悔のお時間ですわよ」
悪魔達からの返事はないが、構う事はない。告白されるまでもなく、彼らは存在する事自体が罪なのだ。ならばその罪を祓うのが彼女の仕事。「教会」の教義に反する者には、祈る時間を与えてやる必要すらない。
「神に導かれたい者から、前へと出てくださいまし。その穢れた魂、わたくしの武力によって救済してさしあげますわ」
目にも留まらぬ速さで、彼女は服の下に隠していた小型のナイフを取り出す。スカートが翻り、ストッキングに覆われた艶やかな太ももが惜しげなく晒される。襲いかかってきた悪魔に向かい繰り出される蹴撃は、速く、そして重い。隠し切れぬ色香を孕んだ豊満な肢体を持つといえど、どちらかといえばスマートな体をした彼女から繰り出されたものとは思えない、深く抉るような一撃。
悪魔が悲鳴をあげ、消滅する。怯む間すら与えず、瑞科は軽やかに跳躍し、流れるような動きで別の悪魔に拳を叩き込む。今宵女の豊満な体を包み込んでいるのは普段の戦闘時に着ている最先端技術を用いて作られたシスター服ではないというのに、彼女の動きは非常に鮮やかであり、扇情的な青の瞳には迷いがない。
その肢体をしなやかに使った格闘術は、大胆でありながらも女性らしく華麗であり、見る者を圧倒する力があった。悪魔も負けじと攻撃を続けるが、瑞科の体に傷をつけるどころか、グラマラスで魅惑的な体に触れる事すら叶わない。
背後に回った一体の悪魔が、彼女の形の良い尻や姿勢の良い背中に向け黒く濁った呪いの魔術の弾丸を放つ。しかし、体ごと振り返ると同時に瑞科はその弾丸を手で払いのけた。
「背後を狙うなんて、マナーのなってない殿方ですわね」
霧散した弾丸には目をくれる事すらなく、彼女はそのマナー知らずの悪魔に向かい素早く足を振り上げる。黒のストッキングに包まれた足が、宙に美しい軌跡を描いた後悪魔の体に叩きこまれた。苦悶の声をあげ、また一体の悪魔が闇へと消えていく。
聖女の舞台は終わらない。格闘術だけではなく、ナイフさばきも彼女は一流だ。目で追い切れぬ速さで繰り出される剣撃に、悪魔達は翻弄されていく。
『クソ、撤退! 撤退ダ!』
一体の悪魔が甲高い声で、仲間へと叫ぶ。しかし、別の悪魔はかぶりを振った。
『イヤ、何ノ成果モエズニ帰ッタラ、アノ方ノお怒リヲ買ッテシマウ……!』
瞬時に悪魔達の間に、動揺が走る。その隙を、瑞科が逃すはずもない。
「仲間割れをしてる場合ではありませんわよ!」
豊満な胸と、タイトスカートが彼女の動きに合わせて揺れる。鮮やかな蹴撃が、絡まるように悪魔達へと繰り出された。
やがて、悪魔達の悲鳴は途絶える。その場には、傷一つおわず凛と立ち続ける清らかな聖女の姿だけがあった。
周囲に敵がいなくなった事を確認し、彼女は任務の成功を上官へと通信で告げる。返される労いの言葉は、今まで幾多もの任務を成功に導いた彼女にとってはもう何度聞いたのかも分からない程たくさん貰ってきたものだが、不思議と飽きる事はなかった。無事に仕事を終えた喜びが、彼女の胸へと広がっていく。
「けれど、少々物足りない相手でしたわね……」
スーツ姿のシスターは、呆れたように溜息を吐いた。
しかし、あの悪魔達が口にした『撤退』という言葉は少し気になった。つまり、あの悪魔達には帰るべき拠点があったという事だ。そして、あの言い振りからすると、彼らを束ねている何者かがいるに違いない。「教会」の力をもってすれば、調べる事にそう時間はかからないだろう。
遠くない未来に、その場所に自分が赴く日がくる事を彼女は悟った。まだ見ぬ敵に胸を高鳴らせながら、瑞科は笑みを浮かべる。
神に仕える者というよりも、仕えられる側……さながら女神の如し、美しい笑みを。
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