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<東京怪談・PCゲームノベル>


【江戸艇】きつね小僧の濡れ衣・弐 



「あいつが人殺しなんかするわけないよな!」
 その長屋の扉を勢いよく開け放たれ平太が、確認するというよりは同意を求めるような語調で言った。
「ああ、もちろんだ」
 柊は力強く頷いて、傍らに置かれた今朝出たばかりの瓦版に目をやった。平太がそれを覗き込んでくる。読売が基本の瓦版であったから、買わずとも何となく見出しくらいの事は知っていたのだろう、だが内容が気になったようで、せがまれるままに柊が瓦版を読んでやると、平太は両手の平を天井に向けて肩を竦めながら言った。
「だいたい、湯屋で鼻血を吹くような奴が吉原遊びとか絶対ないよな」
「ははは」
 柊は苦笑を滲ませるほかない。それはさすがに過言だろうとは思うが否定もしてやれなくて。
「俺、瓦版は嘘っぱちだって言ってきてやる」
「待て、平太」
 勇み立つ平太を柊が慌てて呼び止めた。
「何でだよ。それとも柊は瓦版が嘘じゃないって思ってんのか?」
「そうじゃない」
「じゃぁ、何でだよ!」
「瓦版が煽ってはいるが、これが同心の見立てだった場合、下手したら切り捨て御免だぞ」
「なっ……!?」
 柊の言葉に平太は思いもよらなかったと目を見開く。もちろん、そうだろう、平太にはこんな言い方をしたが、柊自身、本気で思っているわけではなかった。切り捨て御免とは侮辱された武士が庶民を切り捨てる事が出来る権利のことだが、現実的には早々あるものではない。これは無礼の程度の問題もあるが、失敗すれば切腹という武士側の覚悟もいるからだ。もちろん、絶対あり得ないというわけでもなかったが。
 むしろ。
 同心らの見立てではないにしてもだ。きつね小僧が悪を挫く、町民はきつね小僧を英雄のようにもてはやす。それを町奉行所の連中が面白く思っているとは考えにくい。下手にきつね小僧を擁護するような発言をして目を付けられれば、この先きつね小僧を支援しづらくなってしまうかもしれない。その事の方が問題だった。
 ただ、一発で平太の足を止めるには効果抜群で。
「それをあいつが喜ぶと思うか?」
 と尋ねた柊に、ぶんぶんぶんぶんと平太は大きく首を横に振った。
「大丈夫だ。あいつなら自分で汚名を晴らすって言い出すだろ」
「そうだな。うん、そうだ」
 平太は納得したように頷いた。
「だから、俺たちは会いに行くぞ」
 柊が立ち上がる。
「うん!」



 ◇◇◇ ◇◇ ◇



 事件のあった夜―――きつね小僧の祠の前でしばらく途方に暮れていた京太郎は、頭がどうにも働かなくなって気づいた時には泥のように眠ってしまっていた。それほどたくさんの事があったわけでもない。ただ“ここ”に呼ばれて人殺しに間違われて逃げる途中に桜に似た人を見つけて、言い訳をしながら走っただけだ。それでも、心は思った以上に疲れていたらしい。頭が考えることを放棄するに任せ京太郎は眠りについたのだった。
 翌朝、空腹と共に目を覚まし、血の付いた着物をどうしたものかと考えていると、きつね小僧の祠に何人かで参る者の姿があった。隠れてやり過ごそうと木の影に身を潜めていた京太郎の耳に、その者らの会話が届く。
 それによれば、どうやら昨夜の事件の犯人はきつね小僧ということになっているらしい。
 あの状況で? 不審に首を傾げてみる。自分は完全に顔を見られていたはずだ。それが何故きつね小僧の犯行になったのか。
 ただ、とりあえずわかったことといえば。
 このままでは自分は下手人として奉行所から追われるだけでなく、濡れ衣を着せた犯人としてきつね小僧からも追われる事になる、という事だった。
「…………」
 京太郎は血の気が引くのを感じた。きつね小僧に助けを求めるどころではなくなったという事か。
 祠の前から人がいなくなるのを待って、京太郎は祠を開けた。そこに狐の面がある。きつね小僧の狐面だ。桜の一件の時、2つに割れたはずの面は元通りになっていた。指でなぞってみても割れ目の感触がないことから、あの柊という男が新調したのかもしれない、と思う。
 これを被ればきつね小僧になれる。
 京太郎は狐面を手に取った。ここにこれがまだあるという事は、本物のきつね小僧はまだ出現していないという事だ。いや、そもそも本物なんているのか? 桜の一件の時だってきつね小僧は最後まで現れなかった。桜の祈りにきつね小僧は答えなかったじゃないか。だから自分がきつね小僧になったのだ。
 きつね小僧の正体を知る人間も確かにいるが……。
 ふと、ここで会った少年―――平太とそれからきつね小僧のアシスタントをしているらしい男―――柊の事を思い出す。根付けをキーホルダーと言った自分に、柊は“あいつ”もそう呼んでいたと言ってなかったか? あの時は聞き流してしまったが。もし、その正体が自分と同じ世界の人間なら……来られないかもしれない。京太郎自身、いつでも自分の意志でここへ来られるわけではなかったからだ。だとするなら、自分のせいで着せられてしまった濡れ衣だ。自分が汚名を晴らせば自動的にきつね小僧の汚名も晴らせるだろう。
 自分が再びきつね小僧に。
 京太郎は面を被った。
 狭まった視界とは裏腹に少しだけ軽くなった心がすっと広がっていくような気がした。不安が少しづつ薄らいでいく気がした。きつね小僧になれば、柊や平太にもいろいろ手伝ってもらえる気がした。
 大丈夫。
 晴れた空を見上げると太陽が中点に向かって昇っていく途中だった。明け六の鐘の音は聞いていないが既に陽が出ているところからとっくに鳴った後なのだろう。時計もないのでわからなかったが昼時前といったところか。朝食を食べていない京太郎の腹時計はずっと飯時だと主張していて当てにはならない。
 何か食料……その前に着物と考えていると。
「血……まさか……」
 聞き知った声にハッとして振り返った。慌てて声を荒げる。
「これは違うんだ。たまたま死体に躓いて転んだ時に……」
「どんくせぇ。それで間違われたのか」
 平太がおかしそうに笑った。
 京太郎はなんだかホッとする。自分の言うことを信じてもらえたことに。だが、平太の傍らに立っていた柊はニコリともせず顔を強ばらせたまま言った。
「お前、誰だ?」
「え?」
 京太郎は面食らう。無意識に生唾を飲み込んだ。平太に信じてもらえたのはこの狐面のおかげだ。それはつまり、本物のきつね小僧だと思ったから信じたという事だ。
 言葉を失う京太郎の代わりに、平太が訝しげな顔を柊に向けて言った。
「どういうことだ?」
 柊は平太を見ず、まっすぐに狐面を見つめながら言った。
「事件が起こったのは昨夜だ。もしあいつなら、昨夜の内に俺の長屋に来て、今みたいな弁明をしたはずだ」
「…………」
「少なくとも、そんな格好で面を取りに来て、こんなところで夜明けを待ったりはしない」
 柊はきっぱり言い切った。彼ときつね小僧の間にある信頼関係というか絆のようなものを感じて京太郎は押し黙った。
 もし、昨夜の内に京太郎が柊の元に行けなかった理由があるとすれば、それは単純な話で、自分と柊の間にはそこまでの信頼関係がなかった、ということだろうか。
 柊の視線を受け止め損ねて京太郎は俯くと言葉を探した。
「……確かに俺はあんたの言うきつね小僧じゃないかもしれない。でも……間違われたのは本当だ。汚名を晴らしたい。俺がきつね小僧になって汚名を晴らせば、きつね小僧の濡れ衣だって同時にはらせるだろ?」
 京太郎の言葉に柊の答えは素っ気ない。
「それは、本当にきつね小僧が犯人じゃなかったらの話だな」
「!?」
「何を言ってんだ、柊!?」
 平太が憤然と柊を振り返る。
「疑うのか? きつね小僧を?」
 京太郎も驚いたように尋ねた。すると柊は首を竦めて答えた。
「あいつが人殺しなんかするわけないだろ」
 それから右手を差し出して。
「面を返せ」
 京太郎は無意識に半歩後退る。
「頼む、貸してくれないか」
 狐面だけでなく、2人の力も出来るなら貸して欲しいと思った。さすがに1人で何とかするには状況が悪すぎる。だが。
「それは俺のものじゃない。それを決められるのはあいつだけだ」
 柊の言に京太郎はムッとした。そのあいつとやらは一向に現れないじゃないか。拗ねた気分で。
「なら、そのあいつとやらに返してやるよッ!」
 平太の袖を掴んで自分の方へ引き寄せた。
「…………!?」
 まるで平太を人質にするみたいにして京太郎は柊を睨みつける。
「情報がいるんだ。それと、着替えと、食料も」
 だが、それに柊が応える前に平太が気づいた。狐面に覆われくぐもって聞こえた声が直近で少し鮮明になった故か。
「もしかして、京太郎か?」
「!?」
 狐面の下で京太郎が目を見開く。
「だと思ってるよ」
 柊がやれやれとばかりに肩を竦めて言った。最初から気づいていたような口振りで。
「え? えぇぇぇぇぇ!? 何、俺だけ気づいてなかったのか!?」
 平太は狐面をまじまじと見上げる。
「ああ、平太はまっすぐないい子だからな」
 柊が揶揄するように笑った。
「なんだよ、それ」
 平太がぶすくれる。
「…………」
 京太郎はそれを唖然と見つめていた。気づいていたなら何故、と無意識に口が尖る。
 すると柊は京太郎に優しくも厳しい口調でこう言った。
「順番が違うだろ、京太郎?」
「あ……」
「水くさい奴だな」
「……ごめ……ッ」
 面を被ってしまったら、その瞬間自分はきつね小僧だ。だけど柊が本物と偽物を見間違えるわけがない。面を取り、最初から名乗って協力を仰げばよかっただけの話だ。それくらいには見知った仲だろう。
 だから最初に柊は誰何してくれたじゃないか。だけど、俺が誰かわからないのか? と京太郎は無意識に責任転嫁してしまっていた。いや、どこかで柊は自分がきつね小僧に濡れ衣を着せてしまった事を怒っているかもしれないと思っていた。それが怖くて面が取れなかった。
 面を取らなきゃ伝わるわけがない。表情(かお)を見せなきゃ相手は応えられない。面を付けたままでも伝わるのはきっと、本物のきつね小僧だけだろう。
 柊はどこまで確信していたのか。
「いつ、言ってくれるんだろうなと思ってたよ」
 柊が笑う。
 ああ、そうだったと思い出した。昨夜、柊の長屋に行けなかったのは、信頼とかそんなものではなく、血のついた着物で彼の長屋に入るのを万一見られたらと思うと行けなかった。だから、ここに居たのは、柊から会いに来てくれるのを待っていたのだ。
 出来るだけ迷惑をかけないように、力を貸してもらえれば、なんて。
 柊は全部気づいていて、水くさい奴だと怒っていたのだ。だから、こんな意地悪をしたのか。
 ようやく張りつめていた何かから解放されたように、京太郎はホッとして面を取ったのだった。


 ▽▽▽ ▽


「殺されたのは誰なんだ?」
 巨木の根に腰を下ろして京太郎が尋ねた。
「小石川で薬屋をしている木下屋の与市という男だ。相当な放蕩息子だったらしいが、人当たりはよく、これといって恨みを買うような人間ではなかったと聞いている」
 京太郎は考えるように視線をさまよわせて尋ねた。
「兄弟はいるのか?」
「歳の離れた弟がいる。確か今年で十になるとか」
 歳が近ければ後継者争いのようなものがあるかとも思ったが、十になったばかりの子がそのために兄を殺そうとするというのは考えにくいか。
「目撃者は?」
「目撃者?」
 柊がおうむがえす。
「最初に俺を人殺しと叫んだ男だ」
 人通りの少ないあの通りを歩いていた男。もしかしたら、そいつが自分に罪をなすりつけようと思ったのかもしれない。
「それは調べてみないと……」
「調べてくれ」
 京太郎が頭を下げると柊は「ああ」と頷いた。
「それと、事件の関係者の中に、これまできつね小僧の事件に関わった者はいないか?」
 京太郎が尋ねる。
「どういう意味だ?」
「俺が間違われた時、当たり前だけど狐の面は付けてなかった。それが一夜明けたらきつね小僧の犯行になってたんだ。その理由が知りたい」
 もしかしたら、きつね小僧に恨みをもつ者が情報を操作しただけかもしれない。だが、全てが罠だったという可能性もないわけではないのだ。
「なるほど……」
 これまでのきつね小僧の事件を思い出すように柊は右手で顎をなぞった。とはいえ、現時点で彼も事件関係者全てを把握しているわけではない。
「調べてみるよ。それから着替えだな」
「ああ、うん。頼む……あ、それから、桜のこと……」
「桜?」
 柊に聞き返されて、京太郎はハッとして慌てて両手の平を柊に向けて横に振った。
「あ、やっぱり、いいや……」
 事件とは関係ないことである。
「桜って、もしかして、あの簪の?」
 柊が思い出すように言った。桜に簪をプレゼントしたくて柊に店を教えてもらった事がある。
「こんな時に関係なかった。忘れてくれ」
 京太郎は頬が熱くなるのを感じてそっぽを向いた。
「調べてみるよ」
 意味深に笑むと柊は早速とばかりに立ち上がった。そして「待ってろ」と言葉を残して駆け去っていく。
 残った平太が京太郎ににじり寄った。
「なぁなぁ、彼女いるのに吉原に行ったのか?」
「え?」
 いや、彼女というか、彼女というのは間違いなく桜の事を指しているのだろうが、桜とはそういう関係では、たぶんなくて。頬が赤らむのを感じながら京太郎は困惑気味に俯いた。昨夜、逃げながらも、ずっと彼女の事を考えていた。言い訳ばっかり考えていたような気がする。だけど、もしかしたら彼女は自分のことなど、何とも思っていないかもしれない。……と気づいてなんだか落ち込んでみたり。
 そんな京太郎の胸の内を察する風もなく平太が続けた。
「京太郎、やるな。吉原ってどんなだった?」
 どんなだ、と聞かれても困る京太郎であった。視線をあちこちへさまよわせながら昨夜のことを思い出してみる。
「綺麗なお姉さんばっかりなんだろ?」
 平太は興味津々だ。一体、その知識をどこから得たものやら。
「あ、えっと……そ、そうだな」
 答えられるほどいろいろ見てきたわけでもない。“ここ”に来た時にはもう相手を選んだ後だったし、と内心で言い訳する。自分が選んだ訳じゃないけど、自分が選んだことになっていた、ということだろうか……。
「俺もいっぺん行ってみてーなー」
 平太がませた事を言い出した。どこまで本気なのやら。
「おまえ、いくつだよ。まだ、早いッつーの」
 京太郎は軽く平太の頭にゲンコツを落としてみせる。やれやれだ。
「へへへっ」
 平太はぺろりと舌を出した。
 程なくして。
「あ、柊だ。早いな」
 柊が風呂敷包みを抱えて戻ってきた。
「着替えだ。急いで着替えろ」
 風呂敷包みを手渡しながら柊は京太郎に背を向け、しきりに境内の方、或いは神社の入口の方を気にしながら急かす。
「どうした? 何かあったのか?」
 京太郎がその背に尋ねた。
「きつね小僧がここを拠点にしている……かどうかはともかくとして、町民が、この祠に頼みごとをしに来るのは知られているからな」
 そういえば、京太郎がこの祠に訪れたのは桜に教えて貰ったからだった。ここで頼めば、きつね小僧が助けてくれる、と。
 とはいえ、それが一体どうしたというのか。
「同心らが間もなくここに大挙して捜索に来る」
「何だって!?」
 素っ頓狂に声をあげたのは平太だった。
「わかった」
 京太郎は頷く。重要参考人……というよりは犯人をきつね小僧と断定している気がしなくもないが……にきつね小僧を挙げているのなら、ここに捜索に来るのも自然なことのように思えた。
 柊が見張りをし、平太が風呂敷を開いている間に、京太郎は血の付いた着物の帯を解く。
「着替えながらでいい。京太郎を犯人と言った男かどうかはわからないが、目撃者として名が挙がっているのは日本橋で乾物屋を営む長兵衛という男だ」
「乾物屋?」
 着物を替えながら京太郎は首を傾げる。乾物屋と薬屋。関係はないのか。
「それと今のところ、きつね小僧に関わったことのある人物はいないな」
「そうか」
 京太郎が帯を結ぶ。それから風呂敷の中に着替えと一緒に入っていた握り飯をとりあえず懐に仕舞う。平太が血の付いた着物を風呂敷に包むと、それを柊が取り上げた。
「俺が処分をしよう」
「ああ」
「とりあえず俺の長屋に……あ、それから桜のことだけど……」
「あ、うん……」
 その時だ。ピーッと空気を切り裂くように笛が鳴った。
「!?」
「まずい!」
 木々の向こうから「御用だ! 御用だ!」という声が近づいてくる。
 柊が狐面を京太郎に押しつけるようにして言った。
「逃げろ。俺が囮になる」
「え? ちょッ……」
 驚く京太郎に柊は「大丈夫だ」と何を根拠にしているのか自信満々に言ってみせた。
「京太郎は自分の汚名を晴らせ」
 それから平太に向けて。
「京太郎を頼む」
 口早に言って柊は風呂敷包みを抱えたまま同心らの方へ駆けだした。
「待ッ……!」
 追おうとする京太郎の裾を平太が掴む。
「こっちだ」
「柊は……」
 逡巡する京太郎を急かすように平太が答えた。
「大丈夫だって言った」
 同心らの方に駆けていった柊がそれを明後日の方へ誘導するように方向を変える。
「でも……」
「柊にはあいつがいる」
 あいつ。本物のきつね小僧か。本当に現れるのか。
「京太郎は京太郎の汚名を晴らせって言ってただろ」
 平太が言う。この場は柊に任せればいい、と。
「こっちだ」
 平太が走る。神社のお堂の半ば迷路のような床下を平太は迷うことなく進んだ。ここの土地勘は同心連中より平太の方があるという事か。
 やがて神社を抜け、柊の長屋に向かったが、そこに岡っ引きの連中が屯しているのを見つけて慌てて隠れる。
「まずいなぁ……」
 平太が呟いた。
「とりあえず俺の家に……」
 と平太の長屋へ移動する途中、柊が捕まった事を知った。だから柊の長屋に岡っ引きの連中がいたのか。
 柊は血の付いた着物を持っている。殺人幇助も死罪が江戸時代。待っているのは自白を強いるための拷問ではないのか?
 平太の顔が見る見る蒼褪める。
「大丈夫……がいる……」
 小さくて聞き取れない声で何かをぶつぶつと呟いていた。もしかしたら、本物のきつね小僧の名を呼んでいるのかもしれない。
「助けに行かなきゃ……」
 京太郎は目を閉じた。桜が捕まった時と同じように何度も繰り返す。冷静になれ、冷静になれ、冷静になれ。
 だが、桜の時ほど猶予はないだろう。しかもその場所は奉行所だ。平太と2人で助け出せるのか。気持ちが焦ろうとするのを必死で押さえ込みながら自分に言い聞かせる。柊を助けて、乾物屋の長兵衛に会いに行って、それから必ず汚名を雪いで、桜に会いに行く。落ち着け、考えろ、何か方法が……。
「見つけたぞ!」
 通りの向こうから声がした。総髪で短髪。どうにもこの頭は目立ってしょうがないらしい。
 反射的に京太郎は狐面を被ると平太を抱き上げ、その手に銃を取った。
「来るな!」
 先ほど、着替えているときに見つけたものだ。東京で使っていたものに比べて随分古い型式ではあったが、空に向けて引き金をひいたら、それなりの音をたててくれた。岡っ引きの連中の足を止めるにはそれで十分だろう。
「この子の命はないぞ」
 その銃口を平太のこめかみに向ける。平太は驚いた顔で京太郎を見上げた。京太郎は一瞬だけ柔らかい視線を平太に向けて、大丈夫と告げると岡っ引き等を睨めつける。
 岡っ引きは刺股を手に舌打ちしながらその場に固まった。
 京太郎はゆっくりと息を吐いて少しづつ後退し彼らとの間合いを開けると、程なく平太を離し、それと同時に地面を蹴った。
 大丈夫。冷静だ。風を蹴って長屋の屋根にあがると屋根伝いに走り出す。
 昨夜とは違う。やるべき事がはっきりとしているから。自分を信じてくれる者があるから。
 岡っ引き連中を巻いて、京太郎は結局、きつね小僧の祠に戻ってきた。既に同心等の姿はない。京太郎はホッとして懐のにぎり飯を出した。腹が減っては戦は出来ぬ。
 それからふと気づいた。
 桜の一件の時、きつね小僧の面が割れ、京太郎は素顔を晒した。あの時、あの場に居た者たちは自分をきつね小僧と思っているのではないか。



 その時―――。



 別の場所で。
 一人の男が瓦版を読みながら喜色を湛えていた。
「くっ…はっはっはっはっは! きつね小僧が人殺しだと! 今夜は酒が旨くなりそうだ」
 そうして男は傍らの女を振り返った。
「なぁ、桜」
「…………」
 女はただ俯いていた。


 ―――京太郎さん……。



 誰かに名前を呼ばれたような気がして京太郎はそちらを振り返った。
 青い空に黒いカラスが一羽、飛んでいた。





 ■■End or to be continued■■






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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1837/和田・京太郎/男/15/高校生】


異界−江戸艇
【NPC/江戸屋・柊/男/29/色男役】


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■         ライター通信          ■
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 ありがとうございました、斎藤晃です。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。