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sinfonia.36 ■ 覚悟と決意
「――……ッ、ここ、は……?」
凛はゆっくりと瞼を押し上げ、周囲を見回した。
視界から得られた情報は、真っ暗な倉庫を彷彿とさせる奇妙な広い部屋であるということ。
身体は黒く蠢く実体のある靄によって縛り上げられ、足元には幾重にも重なった円に八角形が囲まれ、その中央には五芒星が描かれている陣が書き上げられている。
その外側には周囲には蝋燭が灯した炎をゆらゆらと揺らしていた。
幸い首だけは動かせるおかげで多少の情報は得られた。
まだ思考は鈍っているが、ここに連れて来られた記憶ははっきりとしている。
(……これは、陰陽陣……?)
改めて視線を落とした凛が、地面に描かれた陣を見やる。
足元に描かれた陣は、陰陽道で使われるものだ。
宗派や系統は違うが、陰陽道と神道は近しい形態を取っている。
そのおかげとでも言うべきか、凛は足元の陣が何であるかを理解したのである。
身体を縛っているこの黒い靄が一体何かは分からないが、いずれにせよ霧絵の手中に落ちてしまったのは明らかだ。
とにかく抜け出そうと試みた凛が神気を操り、術を施そうと試みた。
――しかし、凛は驚いたような表情を浮かべて目をむいた。
身体を操ろうと試みても、意識と行動が剥離しているかのような感覚に襲われて言うことを聞いてくれない。
(この感覚は、まるで……――!)
凛の背中を冷やりとした悪寒が駆け抜けた。
◆ ◆ ◆
「――つまりは、この東京駅。ここに虚無の祭殿とやらがあるだろうと踏んでいる」
IO2東京本部へと帰ってきた武彦ら一行は、早速鬼鮫と楓に会議室の一室を利用して状況を説明していた。
逸る気持ちを抑えつつ、武彦が鬼鮫や楓らに状況を説明している姿をじっと見つめながらも、勇太は焦燥感に駆られて歯を食い縛っていた。
そんな勇太の滅多に見せない苛立ちに気付いた百合が、答えを導き出すべく静かに口を開いた。
「龍脈を捻じ曲げて、東京駅に集結させている。そんな真似が本当に出来るの?」
「出来るわ」
横合いから声を挟んだのはエヴァであった。
同意を示すように楓が「そうね」と返事をしながらその言葉に頷き、言葉を続けた。
「龍脈とはそもそも、この日本という島国を流れる力の流れ。古来から龍脈は霊の通り道と呼ばれたり、神の歩いた跡であるとも言われたこともあるの。神聖視されていたのも事実よ。
そんな龍脈を用いた巨大な術式を使ったとされる文献も残っているわ」
「途方も無い与太話にしか聞こえんが、な」
「与太話だなんてとんでもないわ。
ただ、もしもそこの霊鬼兵――エヴァさんが言う『虚無の祭殿』というものが存在して、龍脈を操って術を成功させるつもりなら、護凰さんはまだ無事よ」
楓の言葉に勇太の表情に浮かんでいた険しさが、僅かに緩和された。
「どういうことだ?」
「龍脈はその名の通り、とでも言うべきかしらね。生きているような動きを見せるのよ」
質問をした武彦へ楓が説明を続けた。
龍脈の力の流れは、まるで人間の脈のように強弱の流れが生まれていた。
それは俗に言う潮の満ち引きと同じように。
余談ではあるが、世界的な規模で展開されているIO2がそれぞれの国に支部を置いている理由は、そういった国の調査も兼ねているのである。
神秘的な現象を宿した国は少なくなく、国によっては伝承や物語のように語り継がれている不可思議な現象を調べるという側面もあり、日本の調査も例外ではない。
そういった経緯から、日本の龍脈はかつてより注目されていたと言うべきだろう。
そんな龍脈の効果的な利用方法は、実際は語られていない。
文献が消失したのか、はたまた後世に残すべきではないと先人が判断したのかは定かではないが、少なからずリスクを孕んだものであるからだ。
「リスク……?」
「えぇ。あまりにも強大過ぎる力であって、それでいて脈動するような不安定な要素である事。この二つから、龍脈を有効活用しようというIO2の当初の計画は頓挫したわ」
「でも、使われた過去があるんじゃ……?」
「多少の恩恵を得る程度なら特に問題はないわ。それこそ、人がいうパワースポットであったりなんかもそんな類であって、霊力・神力なんかは流れやすいみたいだしね。でも、流用のレベルが企業規模なんかになれば、あまりにもピーキー過ぎて使い物にならないのよ」
楓が手元の端末を操作し、モニターに映像を映し出した。
「そもそも工藤クンが持っている『能力』と、巫女であった護凰さんが扱う『神気』の力の違いは分かるかしら。
『能力』とは即ち、能力者の〈干渉力〉が物体や身体の外側に向かって発動したもの。結果として物を動かしたり出来るという訳。
空間移動なんかは原理が分かっていないけれど、基本的にはそれと同じ部分が見つかっているわ。
だけど、護凰さんが使うような神気に〈干渉力〉は存在していないの」
「……そうか。つまり、自分が〈発する側〉ではなく、〈受け取る側〉にいる、ということか」
「その通りよ。つまり、そういった力はその〈場〉にある力によって結果が大きく左右されてしまう。
龍脈を使うとするなら、龍脈の力が大きくなる満月の夜――つまり、3日後の夜がタイムリミットになるでしょうね」
「それでも、早い方が良いに決まってる……ッ」
ギリッと歯を食い縛って口を開いた勇太に視線が集まるが、楓が「ダメよ」と一言でその言葉を一蹴してみせた。
「このところ、連戦が続きすぎているわ。
今言った通り、〈干渉力〉を使う能力者であるあなた達の最大の敵は疲労による集中力の崩壊だわ。一日、しっかり休みなさい」
「こんな状況でそんなこと――!」
「――それとも、護凰さんはそんなに弱い女の子だったかしら?」
楓が遮った言葉に勇太が詰まる。
「……まぁ、少なくとも弱くはないわね」
「だな。なんせ勇太を追ってIO2に入っちまうぐらいだし、な」
百合と武彦が楓の言葉に同意し、緊迫した空気がわずかに緩んでいく。
凛は強い。
それは腕っ節や能力云々ではなく、あくまでも意志の強さという点で、だ。
かつて凰翼島で勇太と出会った頃。
護りの巫女として短い生涯を受け入れていたのは、諦念によるものではあったかもしれないが、それでも凛は精一杯に役目を全うしようと考えていた。
その後IO2に入り、外の世界を知った。
勇太を追うという決意を胸に、彼女はこの東京へと出て来たのだ。
普段の態度からつい忘れがちではあるが、凛はそういった芯の強さを持っている。
心が折れてしまうことなど、凛に限ってはそれはないだろう。
「……東京駅の内部を調べる偵察を放つ。明日の夜までに情報を収集させる。
襲撃は明日の夜だ」
鬼鮫の言葉に、勇太もまた静かに頷いたのであった。
◆ ◆ ◆
「気が付いたのね」
カツカツとヒールを踏み鳴らす音。
艶っぽい色香をまとった大人の女性の声に気付いた凛は、ゆっくりと視線の先を睨みつけた。
「……巫浄霧絵、ですね」
蝋燭に揺らされた炎に照らし出された声の主を見つめ、凛が弱々しい声で呟いた。
その声に霧絵は嘲笑や冷笑を浮かべるでもなく、ただ真っ直ぐと受け止めるように視線をぶつけて返した。
しばし視線を交錯させ合い、先に沈黙を破ったのは霧絵であった。
「怖くないのかしら? それとも、気付いていないのかしらね。
その足元に描かれたのは――」
「――降霊の一環、ですね。それもかなり高位存在を喚び出す為の」
「……気付いていてなお、その涼やかな表情という訳ね」
僅かに目をむいて、霧絵は凛に心の中では賛辞を送っていた。
身体には、すでに自分を侵食する何かが入り込んでいることなど気付いているだろう。
それでもなお、恐怖に、怒りに狂って喚くでもなく、ただまっすぐ自分を睨み付けてくる少女。
身体を縛られ、身動きすら出来ない立場でありながら、どうしてそうも平然としていられるのか。
(……諦めた、とは思えないわね)
その瞳を見つめ、霧絵がそう判断する。
今なお自分を睨みつけるその双眸には、希望の光が宿っているのだ。
「――私が怖がらないことが、そんなに残念ですか?」
心情を見抜いたかのような凛の言葉に、霧絵はふっと笑みを浮かべた。
「……正直に言うと、そうね。その通りだわ」
「そうでしょうね。私も恐らく、アナタの立場にいたらそう思うでしょうから」
「理由を教えてくれるのかしら?」
「簡単なことです。私はただ、信じて待てば良いだけですから。だって――」
あっさりと、勿体ぶるでもなく凛は告げる。
「――ヒロインのピンチには、主人公が必ずやってくるんですよ?」
あまりにも現実離れした言葉に、霧絵も思わず唖然とさせられてしまった。
そんな霧絵を気にするでもなく、凛は続けた。
「そういう時、ヒロインはただ信じて待っていれば良いのです。それが王道であると、私はこの東京で学びましたから」
間違った知識だ。
勇太がもしこの場にいたなら、まず凛に向かってツッコミを入れているだろう。
そんな姿を思い浮かべて、凛はくすりと小さく笑った。
「信じて待つ。もしも裏切られたら、どうするというの?」
「その時は、私が裏切られてしまう程度の人間だったという事でしょうね」
「……ずいぶんと簡単に自分を見限っているのね」
「いいえ、そうならない為に自分も相手を信じてますから。
それに、私はもしも勇太がアナタの凶行を止める為に私に向かって死ねと言うなら、それを受け入れるつもりです」
「……ッ、何を言って……――」
「――それが、信じるという覚悟ですよ、巫浄霧絵」
それは鋭く、まっすぐ突き刺さる言葉であった。
襲撃の前夜。
対面する二人の巫女。
それぞれの長い夜が始まろうとしていた。
to be continued...
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