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<東京怪談ノベル(シングル)>


石英の少女



 雨が降る。雨が降る。雨が降る。
 それは全て夜の中で。
 雨は、森の葉を濡らし、川の水に溶け込み、少女の肌を撫でて零れ落ちていく。
 地面に座り込んだ少女は、白いシャツを着ていた。雨で濡れたために透けていて、およそ服の意味を成していなかった。
 服から透けて見えているその肌は、肌色とは遠い乳白色で、艶めかしく夜に隠れていた。

 ……。
 ポタポタ……。
 ……。

 雨の粒は小さなカタマリになって――少女のなめらかな肌にある幾つかの窪みで、休んでいる。
 膝の裏で、足の裏で、首筋で、鎖骨で。
 暗闇の中、雨粒は湿った光を放っている。
 その重みに耐えきれなくなった時。雨は小さな声を上げて、少女の肌を滑り落ちていくのだろう。
 地面に座り込んだ少女は、誰もいない森の中で一言も喋らず、微動だにしない。
 ……セレシュ・ウィーラーは、動かない。


 乾いた土に、透き通った水の流れる川。青い空には赤色の怪鳥の群れが飛んでいる。
 鳥のくちばしには、大きな魚。彼らも食事中なのだろう。
 セレシュは魚を捌いていた。
 岩の上で刃先が黒く煌めいていた。セレシュお手製、黒曜石の短剣だった。
 黒曜石で作った剣は、切れ味が良いものの衝撃に弱い。しかしゴムの性質を加えることによって、しなやかで扱い易い武器になる。懐に仕舞えば軽装で済むところがセレシュのお気に入りだった。
 ――セレシュは素材探しのため異世界に来ていた。
 この異世界には日本と同じように四季があり、季節ごとに採れる物が変わる。今なら、食べると身体が虹色になる虹色プラム、体温を上げる夏ツクシ、幻覚植物の花粉、雨上がりならトウメイソウの葉も狙える。
 採集用の瓶や袋を持って歩く必要があるので、武器は小さくまとめたい。
 素材採集に必要なのは身軽さと機転であるのだから――。

 ぱたり。
 セレシュは立ち止まると、軽くため息をついた。
「あっちゃー。うちがターゲットにされたんか……」
 1、2、3、4、5、6……。
 オオカミの群れに囲まれている。
 ビュッ!
 短剣が風を切った。
 敵は大勢、セレシュは隙が出ないように最小限の動きで立ち回った。
 オオカミは一度逃げたものの、距離を取りながらセレシュの後を付いて来る。
(ま……威嚇になればええやろ)
 そうは思ったものの、オオカミたちは諦めない。しつこく付いて来る。こちらがふと隙を見せればすぐに襲いかかってくるだろう。
(戦うのは面倒やし、無駄な殺生は好かんしなあ……)
 考えあぐねていたが、虹色プラムを摘む時に思い出した。
(そや、新しい魔具作ったんやった。それ試そ!)
 探究心をくすぐる実験に、セレシュはニンマリした。家で一人試すより、相手がいた方が良い。それが鋭い嗅覚と観察眼を持つ野生のオオカミなら尚更だ。
 腕輪に明日の分まで魔力を込めて――、

 スウウウ……。
 セレシュの肌が、ゆっくりと色を失っていく。
 健康そうな肌色から、乳白色へ。人の温もりの“残り”ような、ごく僅かな黄色を残して、殆ど白くなった肌。
 そして硬くなっていく。
 唇が引きつっていた。指で押すと、いつもの柔らかいプニプニした感触がない。硬く、生温かい。静かに静かに……体温が下がっていく。
 指先を滑らせて、首筋を撫でて胸を通った。唇と違って、胸が固まるのには時間がかかるらしかった。掌の中に収まる程のその膨らみは、いつもよりも硬く、しかし強く押せば反発があった。
 元々やや筋肉質の太ももは、まさに固まりかけの状態だった。
 不思議な気持ちで自分の身体をまさぐるセレシュは、そのうち、クスリと小さく笑った。
 ……ミルク寒天を作っているような気分になったから。
 まだか、まだか、と冷蔵庫から寒天を取り出してはスプーンでつつく、あの心持ちだ。
(色もピッタリやからな……)
 セレシュは、穏やかに、腰を下ろした。靴を脱いで裸足になったのは、そうした方が良いと感じたからだった。
 元々そこにあったような自然さで。セレシュは石英になった。

 オオカミたちは、セレシュの周りをくるくると回り、匂いを嗅いだが、やがて去っていった。
(当たり前や……)
(うちは石やから……)
 動かないでいる間にストレスが溜まらないよう、精神も半分石化させていた。
 だからセレシュは、ぼんやりと考えごとをしていた。
 むせかえるような花の匂いを嗅ぎ、だんだんと暮れていく空を見上げることなく、時折吹く風を冷たい肌で受け止めていた。
 石化が進む中で、もう、匂いも分からなくなってしまった。
 嗅覚が完全に失われたのではなくて、石化の過程で意識や五感が遠のいてしまったせいかもしれない――セレシュは靄がかかった頭で思った。
 石化半分、意識半分。
 ……雨が降り始めた。


 夜の中で、セレシュの肌は雨に濡れた。
 乳白色のなめらかな肌から、いくつもの雨粒が滴り落ちていった。
 脇から零れ落ちた雨が、足の付け根に落ちる。そこからスルスルと滑った雨粒が、太ももの裏へ流れ出る。
 脇腹を撫でた雫が、腰へと。
 鎖骨の窪みに出来た水溜まり。それが小さな音を立てた後、溢れ出ていく。ほぼ固まりかけの胸を滑り台のように流れて、なだらかに下る。そして、まだ固まりの弱い部分に行き着く。
 それは鈍くなったセレシュの感覚を揺らす程にくすぐったくて。
 時々、セレシュの心は震えた。笑いだしそうに、なった。
 しかし、セレシュの身体は動かない。微動だに、しない。

(朝になれば雨も止むやろ……)
(そしたら素材探し続行や……)
(雨の後やから、トウメイソウの葉も採ってこ……ラッキーや……)

 夜明けを待ちわびながら。
 セレシュは心の中で身をよじる。



終。