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<東京怪談ノベル(シングル)>


なんてことはない、大事な日常
 陸誠司(くが・せいじ)、それが彼の名前である。
 大型犬を思わせる茶色の髪。
 意志の強そうな黒い瞳。
 しかし今は、大あくびとともに薄目になり、涙もにじんでいる。
 また一つ、大あくび。
 あくびの原因は夕べの電話だ。
 友人の一人が彼女と喧嘩をし、愚痴を言いに電話をしてきた。
 長電話は好きではないが、泣きついてくる相手を無下にはできない。
 友人達からは、『一言余分なおひとよし』と呼ばれている。
 ……不本意であるが。

 しかし、電話が予想以上に長引いた原因は誠司にもある。
 なので、友人達の言葉に、否を唱えることは出来ない。
 最初は普通に、適度に同意しつつ聞いていたのだが、段々同じ事の繰り返しや言い訳に、

「それって、お前も悪いんじゃ?」

 ポツリ、言った瞬間。
 電話の向こうから聞こえたのは、言葉にならないうめきに似た声と、先ほど以上の言い訳の嵐。
 その後、そんなやりとりを数回繰り返し、とうとう日付変更を迎える事になってしまった。
 結局、答えは誰も出せるわけがなく、最後は電話の相手の寝落ち、という最悪な事態で幕を閉じた。

 その日、何度目かの欠伸。
 誠司は目尻の涙を指先でぬぐうと、次に出た欠伸をかみ殺して微妙な顔になる。
「…天気いいなぁ」
 すっきりと晴れた青空。
 なのに目に染みる。
「陸くんおはよ〜」
 後ろからポン、と肩を叩かれ、女生徒が通り過ぎる。
 誠司が後ろ姿に挨拶をすると、軽く振り返って笑って手を振った。
「あ…」
 あの子は確か、昨日の電話の友人の彼女だ、と思い当たった。
 目元がほんのり赤かったのが見えて、誠司は立ち止まって小さく息を吐いた。
「…よっ」
 今度は寝落ちの主に肩を叩かれた。
 友人は遠く小さくなっていく後ろ姿を目で追いつつ、誠司の肩に手を回す。
「…なんか言ってた?」
 言われて一瞬きょとんとなるが、言われた意味を理解して、小さく首を振る。
「何も言ってなかったよ。ただ、おはよう、って言われただけ」
「そっか…。まぁさ、あれからオレも反省したんだよ。誠司に言われた通り、オレも悪かったな、って」
「それなら、追いかけて謝ってきた方がいいよ」
 至極正論な誠司の言葉に、友人はうなだれる。
「…それが出来たら苦労しない」
 確かにその通りだが。
 でも誠司は知っている。伝えたい言葉を、伝えたい瞬間を逃してしまったら、伝えられなくなる、という事を。
「でも、ちゃんと言っておいた方がいいよ。数秒後なんて、存在するかどうか、わからないんだから」
 小さく含んだ言葉。
 でもさぁ、と言いかけた友人の口が、誠司の表情を見てとまる。
 本人は意識していなかったが、泣き出す一歩手前、みたいな表情をしていた。
「ん…行ってくる。玉砕したらカラオケでも付き合ってくれ」
 もう一度誠司の肩を叩き、友人は駆けだした。
 友人の背中が、彼女と同じくらい小さくなると、誠司は小さく笑った。
「おーっす、おはよー」
 クラスメイト数人が眠そうに、そして誠司と同じように欠伸をかみ殺して挨拶をする。
「夕べ、愚痴電に付き合わされたんだって? 朝から誠司に悪い事したー! ってメッセで愚痴愚痴」
 言って笑う。
「なんと! 電話の途中で寝落ちしたよ」
「あはははは、オレ、前それやられたよ。さすがに電話代もったいないだろー、って大音量で音楽流してやった」
 全員がどっと笑う。
「俺もそうすれば良かったな」
「今度やってやれ」
 あははは、と笑いながら、誠司の歩調にあわせてゆっくりになる。
「ってか、誠司もまた余分な事言ったんだろ? だっから話長くなるんだよ」
「そんなつもりはないけどな」
 困ったように笑う誠司に、後ろから『一言余分なおひとよし』という合いの手が入る。
「まぁ、それが誠司のいいところでもあるんだけどな」
「それなら、その不本意な呼び方やめて欲しいなぁ」
「いやいやいやいや。それも愛情」
「男からの愛情はいりません」
「うん、オレも嫌だ」
 後ろで、オレも嫌だ、という声が複数上がり、笑い声にかわる。
 前方で、彼女と横に並んで歩く友人の姿見えた。
 自然と笑みがこぼれる。
「オレも、なんかあったら誠司に愚痴るけどな」
 ポンッと肩を弾かれ、前方の友人を「おーい」と呼んで手をふる。友人は照れたように笑って、手を振りかえした。
 そして話題は、昨日のテレビドラマから朝の提出物へと変化していく。

 なんて事はない、ありふれた日常。
 でも、泣きたいくらい、大事な日常。

 誠司は欠伸にまじった涙を、手の甲で拭き取った。