コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


悪魔と乙女・U


 まずは、右手。その次に左手。
 おおきく振りかぶってから瑞科は自らに向かってくる影に小型ナイフを投げつけた。
 六本全てがヒットし、それは床に縫い付けられるようにして突き刺さる。
「永く生きてきた上で身につけられた能力の一つ……といった所かしら。ご自分の影を大きく見せて飛ばして、相手の影を奪うおつもりでしたのね。捕らえられてしまった影の主は身動きが取れませんわ。一体これで、何人の方が犠牲になってきたのか……」
「くく……さすがはあの男の直属の審問官。ただ美しいだけでは無いようだ」
「……あら、動かないで頂けます?」
 瑞科はそう言いながら、右手の手のひらを下にむけて、すっと腕を下げた。
 するとナイフに縫い止められていた影に重力が掛かり、本体である男もさらに身を屈める。ビリビリと全身を襲う重みに、彼は震えた。
「ぐっ……これほど、とは……ッ」
 杖を支えにしつつ男は膝を折る。たがそれ以上立っていられずに、彼はぐたりと床に体を横たえた。
 これは瑞科が持ちあわせる能力の一つである、重力を操るものだった。いつもはこれの応用で重力弾などを相手に投げつけたりもする。
「……だが、な……我らとて、たったこれだけの、準備ではないのだよ……ッ」
「いくらでも、どんなものでも仕掛けていらっしゃいな。全て受けて差し上げますわ」
 男が震える腕を僅かに持ち上げて、床をどん、と叩いた。
 すると彼の背後に新しい影のようなものがゆらりと二、三体浮かび上がり、目を光らせた。男と同じ赤い目であった。
 丸いそれがそれぞれ二つずつ、瑞科の重力をも脆ともせずにこちらに向かってくる。
 ガシャン、という機械音。背丈にして三メートルほどのそれは古い作りのゴーレムのようなものだった。足が短く腕が長いのでバランスが悪いが、石で出来ているようであり頑丈そうだ。
「召喚儀式でも行いまして? ゴーレムはヘブライ語で『胎児』を意味しますわ。ここでは胎児の血を贄にするのでしょう?」
「そうだ。それゆえに生き血が必要なのだ。黒ミサを行えば贄を募れるからな」
「…………」
 瑞科の眉根が僅かに寄った。
 彼らの勝手な行いで、今までどれほどの尊い命が奪われてきたのだろうか。これでは彼らは信仰という活動を傘にきた、ただの暗殺集団である。
「わたくしは、この場を掃討する立場にありますの。どんなことをしてでも、貴方を止めてみせますわ」
「あなたは強いな。……だが所詮は女性であり、ただの人間だ。それを凌駕するものが居たとしても、あなたは同じようにしていられるのか」
 瑞科の視線はいつでもまっすぐであった。
 目の前の男にそんなことを言われたとしても、それでも彼女は、その表情を変えることはない。
 逆にうっすらと唇に笑みを浮かべると、動揺したのは男のほうであった。
「人間を凌駕した存在など、今までもいくらでも相手にしてきましたわ。そしてわたくしも、この能力がある限り、一般人ではありませんもの」
 バチッっと瑞科の目の端で何かが光ったように思えた。
 それが何かと理解する前に、彼女の体をまとったものは電撃であった。美しい体のラインを沿うようにして走る雷のオーラは、彼女の怒りのようでもあった。
「これだけの状況下でも、あなたはまだ強くなるつもりか。ますます、欲しい」
「わたくしには指一本、触れられなくてよ」
「そうかな?」
 男はすっと右腕を上げた。すると背後のゴーレムがゆらりと動き出す。三体動き出したうちの一体が、飛び上がった。
 瑞科の重力能力があったにも関わらず、軽々と。
 そしてそれは、自分の体の重さを武器に瑞科に向かって一気に飛び込んできた。そして地上では他の二体が地面を揺らして彼女に近づいてくる。巨体が三つ、一気に瑞科に向かってくるのだが、それでも彼女は余裕の面持ちであった。
「このゴーレムを最後に動かしたのはいつ頃ですの? このままだと、床が落ちましてよ」
 瑞科はそう言いながら、フックロープを再び取り出し地を蹴った。そして飛びかかってきたゴーレムの額に片足を起き、次の瞬間にはそれを蹴りあげて体を回転させた。
 弧を描くようにしてすらりと動くのは瑞科の美しい脚だ。そして彼女はロープが生み出す遠心力を利用して屋根の梁の一部に飛び移った。
 足元ではバランスを失ったゴーレムが次から次へと地面に沈み、その重みで床が大きな音を立てて崩れ落ちる。
「な、なんということだ……!!」
 これには予想外だ、と言わんばかりの男が顔色を変えて逃げ出した。
 それを頭上で見ていた形とのある瑞科は、言葉なく溜息を吐いた後に梁を蹴って地上へと降りる。もちろん、真下の床は全て落ちてしまっているので男が逃げたアーチ上の扉の下へ滑りこむようにして降り立った。
 するとその先では、別の空間が広がっていた。何もない質素な部屋であったが、床一面に描かれていたのは魔法陣であったのだ。そしてその中心で転がっているものは複数体の頭蓋骨。過去に犠牲になった人たちのものなのだろう。小さなそれが多く、やはり子供が贄の大半になっていたようだ。
「――さぁ、今度はあなたの番ですぞ。美しい人」
 そんな声が聞こえた。
 瑞科は視線のみをぐるりと巡らせ、男の気配を読む。
 その空間内に、男の影は見当たらなかった。
 罠であったか――と思ったが、彼女はその場で体に纏ったままであった稲妻の光を叩きつける。
「ギャアッ!」
 眩い光が部屋中を満たした。
 その光をまともに目にしてしまったらしい男が転がりながら出てくる。そして彼は、魔法陣の中心へとその体を進んでしまった。
「……、いけませんわ!」
 瑞科はそこで焦りの表情を見せた。
 何故ならこの魔方陣は完成形であり、瑞科を贄に何かを召喚するところであったからだ。
 贄はおそらく、人間であれば何でも良いはずだ。そしてそこに、男が転がり込んできた。つまりは陣がそれを贄だと認めてしまえば、彼は飲まれてしまう。
 直後、瑞科の放った光より強い閃光が柱のようにして膨れ上がった。
「ウワアアアアァ……ッ!!」
 やはり男がその光に飲まれていく。瑞科は必死に手を伸ばしたが、それは無駄な行いであった。。
 男に情を感じて助けようとしたわけではない。この男には、生きて罪を償わなくてはならない理由があった。
 それを実行することが出来ずに、瑞科は珍しく悔いるような表情を浮かべた。

 ――恐れよ。
 恐れこそ崇高なり……。

「!」
 一閃のあと、再び仄かに暗い空間に戻った中で、そんなくぐもった声が聞こえた。
 チリッと、何かが擦れて火花が散ったかのような音がした。
 直後、酷く淀んだ空気が室内を満たして、瑞科は眉根を寄せる。
「……喚んでしまいましたのね、悪魔そのものを……!」
 吐き捨てるようにしてそう言いながら、瑞科は再び細剣の柄を掴んだ。
 眼前に現れるのは身の丈だけでは先程のゴーレムと同じくらいの、山羊の頭をした『この世のものではない存在』であった。
 教団は最終的には大量のゴーレムと共にこの悪魔を召喚して、脅威を示したかったのだろう。能力も何もない一般人が泣き叫び苦しむ世界。そんな空間を作りたかったのかもしれない。その真意は定かではないが、これほど完成度の高い魔法陣としきりに贄を欲していたところを見ると、おそらく間違ってはいないのだろう。

 ――ナゼ、恐レヌ。

 音とも表現しがたい声が、瑞科に降りかかった。
 彼女は静かに声の主に向き直り、背筋を伸ばす。
 瑞科には微塵にもこの現状が恐ろしいとは感じていなかった。少し厄介なものを目の当たりにしている、と思っている程度で怯えるどころか高揚感がじわじわと心を満たしていくのが分かった。

 ――ナゼダ。

「わたくしには恐れる理由が無いからですわ。喚ばれたばかりで申し訳ないのですけれど、貴方には元の場所に還っていただきますわね」

 ――ナラバ、還リノ分ノ贄ヲ用意シテモラオウカ。

 山羊の頭をしたそれからは表情は読むことが出来なかったが、目がわずかに釣り上がっているような気がした。そして直後に、上半身をくねらせて瑞科に腕を伸ばしてくる。
「贄など、必要ありませんわ。……だって貴方は、もう充分食べてきたのでしょう? お腹の辺りが目立ってましてよ」
 瑞科はそう言いながら、首に下げている金の十字架を手に取った。そしてそれを細剣の柄にはめ込んで、聖なるオーラを纏わせる。
「シスター本来の行いをさせて頂きますわね」
 ブーツの靴底をもう片方のそれに叩きつけながら、立ち姿も美麗に彼女は悪魔を見据えた。
 そして、剣を垂直に構え、彼女は躊躇いもなく右腕を突き出した。
「――神の御名によって、貴方を追放いたします」
 ふわり、とスカートが舞った。右腕とともに大きな一歩を踏み出した際、スリット部分が大きく広がり、その勢いで裾が舞ったのだ。
 純白のケープの下で、豊かな膨らみがゆさりと揺れた。
 右腕の先では確かな感触があり、彼女はそのまま切っ先で六芒星を描いてから腕を引いた。
 再び、強い光がその場で生まれる。
「貴方のような存在が、軽々しくこの世に喚ばれないようにこちらでも尽力いたしますわ。だからそれまで、おとなしく眠っていてくださいませね」
 彼女はそう言った後、小さく「アーメン」と呟いた。
 潤いのある唇で発するその響きは、一層の聖の力を輝かせたように思えた。


 続