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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


力の嵐


「うぐっ……」
 治りかけの肋骨に、激痛が走った。
 2匹の仔犬が、思いきりぶつかって来たのだ。
 いくらか尻尾の大きな、日本犬である。クリスマスの夜に拾った、と教官は言っていた。
「いきなり懐かれてるなあ、フェイト」
 痛みに呻き、うずくまるフェイトと、そこへまとわりつく2匹の仔犬。
 はたから見ていれば微笑ましいのであろう光景を眺めながら、教官が笑う。
「お前、菓子か何か持ち歩いてんじゃないか? こいつら犬のくせに甘いもん大好きでなあ」
「だからって……やたらと、お菓子あげたりしちゃあ駄目ですよ……」
 苦笑しつつフェイトは、まとわりついて来る仔犬の兄弟を、軽く抱き寄せた。
「お前ら……」
 言葉が、そこまでしか出なかった。懐かしさが、胸に詰まった。
 2匹の頭を、撫でてみる。
 小さな鼻面をクゥン……と悲しげに鳴らし、擦り寄って来る仔犬の兄弟。フェイトを見上げる瞳が、うるうると涙を溜めている。
 この姿でも、言葉を話す事は出来るはずなのだが。
 ちらり、とフェイトは視線を動かした。
 アデドラ・ドールが、こちらを見つめている。
 アイスブルーの瞳が、仔犬たちに無言の圧力をかけている。
 2匹とも、この家では普通の犬としての振る舞いを強いられているのだ。
「怪我してるのね、フェイト」
 アデドラが言った。
「怪我人を連れて来て、どうしようって言うの? お父さん」
「ああ……実はなアディ、お前に頼みてえ事が」
「あたしがここで怪我を治してあげたら……フェイトは、どうなるの?」
 アイスブルーの両眼が、冷たい光を発した。
「また、わけのわからない戦いに行かされるんでしょう」
「わけわかんない戦いなんて、いつもの事さ」
 仔犬たちを抱き上げながら、フェイトは言った。
「錬金生命体の時も、そうだった。アデドラのおかげで、生き延びられたようなもんだよ……頼む、また力を貸してくれないか」
「ねえ、お父さん」
 青く冷たい眼光が、教官に向けられる。
「怪我人を働かせなきゃいけないほど、IO2って人がいないの?」
「うーん……そ、そいつはな」
 教官が、困ったように頭を掻く。
 アデドラの表情は、変わらない。相変わらず、可憐な人形のように。
 だが一瞬、ほんの一瞬だけ、風景が歪んだ。空間が歪んだ。
 その歪みが人面を成した、ようにフェイトには見えた。
「勘違いしないでね、フェイト。あたしはただ、貴方の魂が欲しいだけ……ここ最近の貴方は、わけのわからない戦いに魂を奪われかけている。そんなの許せるわけがないでしょう?」
 人面が、凶暴に歪んで牙を剥く。怒りの形相だった。
「あたしが化け物だって事、忘れないでね。2度と戦いなんて出来ないくらいに生気を奪って……お人形みたいにして、ずっとあたしの傍に置いておく事だって出来るのよ」
 アイスブルーの眼光が、仔犬の兄弟にも向けられる。
「その子たちと一緒に……ね」
 2匹が怯え、悲鳴を漏らし、しがみついて来る、
 フェイトは、抱き締めてやるくらいの事しか出来なかった。


 どれほど邪悪な組織であろうと、あの国の小賢しい人民よりは遥かにましな存在だ、と彼は思っている。
 敗戦国の慎ましさを欠片ほども持たず、身の程知らずの台頭を続けてアジアの盟主の如く振る舞っている、あの極東の島国に比べれば。
 小賢しいだけの黄色人種に大きな顔をさせてしまうほど現在、アメリカ合衆国が力を失いつつある。それは、残念ながら事実であると言わざるを得ない。
 アメリカの力を、権威を、復活させる。
 そのためには、邪悪なテロ組織であろうと何であろうと、用済みになるまで利用し尽くす。それが大国の有りようというものであった。
「ミスター、まずは貴方に感謝せねばなるまいな」
 黒装束の男たちが、口々に言った。
「上院議員たる貴方が、錬金生命体の大量生産を後押ししてくれたおかげで、我らは大いなる力を手にする事が出来た」
「その力を活かすためにも、貴方には表舞台に立ち続けてもらわなければならん」
「幸い、米国民の大半は貴方を支持しているようだ。これからも彼らに向かって、力と愛国を説き続けて欲しい。貴方の言葉が、民衆に希望をもたらすのだ」
 斜陽の大国となりかけたアメリカに、国民の多くが不安を抱いている。
 彼らを勇気づける手段はただ1つ。合衆国が、力を取り戻す事、それのみだ。
「万事、私に一任して欲しい」
 彼は、力強く告げた。
「最強の国アメリカは、私の手によって復活を遂げる。その暁には、貴方がたのために何でも取り計らって差し上げよう」
「私たちは、何も望みはしません」
 黒装束の者たちの中に、1人だけ女性がいた。
 女性と言うより、少女か。
 黒衣に包まれた、小柄な細身。フードの内側に辛うじて見て取れる、彫りの浅い顔立ち。
 どうやら東洋人、もしかしたら日本人かも知れない。
 最も唾棄すべき人種の小娘に、しかし黒装束の男たちは、かしずいている。言葉が発せられただけで、その場に跪いている。
「私どもはただ、人々の霊的なる進化を願うのみ……虚無の境界は、見返りを求めません。貴方が迷いなく御自身の道を歩まれる。それが結果として、私たちの理想へと繋がるのです」
 日本人でも、今は利用するしかない。
 そう思いながら彼は、黒衣の少女を観察した。
 フードの内側で禍々しく点る、真紅の眼光。
 その顔立ちは、誰かに似ている。どこかで見た顔だ、と彼は思った。
「まずは、ラグナロクへの船出を……」
 少女が言った。
「破滅という名の若者に、その漕ぎ手を務めてもらいましょう」
 思い出した。
 かつて錬金生命体の製造施設で、1度だけ会った事がある。
 あのフェイトとかいう生意気な日本人IO2エージェントに、よく似ていた。


「フェイトの奴、まだしばらくは動けませんよ」
 彼が言うと、女性上司がギロリと眼光を向けてきた。
「私が何のために、日本まで行って帰って来たと思っている?」
「そりゃあ昔の男に……じゃなくて。しょうがないでしょうが、アディが乗り気じゃねえって言うんだから」
 親子として暮らした期間は、まだ短い。それでも、わかるものはある。
 アデドラは、フェイトを戦わせたくないのだ。
「……俺も、あいつの言う通りだとは思ってますがね。このIO2って職場、フェイトしか人がいねえわけでもなし」
 格納庫内にそびえ立つものを見上げ、睨んでみる。
 ナグルファル。不吉な名前を有する、機械の巨人。
「わざわざ日本から連れ戻してまで、こんなものにフェイトを乗せなきゃならん理由……一体、何なんでしょうな。例えば、あの暴れん坊の鳥女とかじゃあ駄目なんですか?」
「あれは機動兵器を操縦させるよりも、小回りのきく生身の遊撃戦力として活用した方が効果的なのでな」
 女上司は言った。
「それに……これは今回の修理・整備作業で判明した事だがな」
 その口調が、重くなった。
「このナグルファル……メインシステムの奥深くに、とんでもないブラックボックスを隠し持っている。それを起動させない限り、本来の性能の3割も発揮出来ないのだ」
「ほう。で、そのブラックボックスってのは」
 そこまで言って、彼は気付いた。とある禍々しい単語を、思い出した。
「まさか……バックアップ取られてるって話は聞いてますが」
「そういう事だ。わかるだろう? そのブラックボックスにアクセス出来るのは……かつてオリジナルと接触し、いくらかでも心を通じ合わせた事のある、フェイトだけだ」
「ヴィクターチップ……!」
 彼は呻き、もう1度、見上げた。
 機会仕掛けの巨人が、メアリー・シェリーの小説に出て来る怪物にも見えた。


 どのような状態であるか表記するのも憚られるほど、惨たらしい屍が、木に吊るされている。杭に、縛り付けられている。
 自分もかつて、同じような光景を作り出した事がある、と工藤勇太は思い出した。
 あの研究施設で自分は、これに負けない殺戮を行った。
「俺、バケモノだったよな……今もそうか」
 呟きながら、勇太は見回した。
 切り刻まれたり皮を剥がされたり、そんな屍ばかりではない。外傷のない、まるで眠っているかの如く死んでいる人々もいる。
 厳密には、まだ死体ではない。魂を、根こそぎ奪われている。もはや飢えて目を覚ます事もなく、このまま死に至るしかない肉体たち。
 ネイティブ・アメリカンと思われる人々だった。
 いつの時代、なのであろうか。
 先住民の集団が、この村あるいは集落を襲い、皆殺しを実行した。
 そして何者かが、殺された人々の仇を討ったのだ。魂を奪う、という手段を用いて。
 殺戮と報復の光景。その真っただ中に、少女は佇んでいた。
 可憐な美貌には表情がなく、アイスブルーの瞳は何も映していない。
 涙が凍り付いている、と感じながら、勇太は声をかけた。
「アデドラ……?」
「……あたしに話しかけない方が、身のためよ……」
 愛らしい唇が、微かな言葉を紡ぐ。
「あたし、化け物だから……」
「俺もだよ」
 勇太が言うとアデドラは、ちらり、とだけ振り向いた。
「……貴方、誰?」
 即答はせず、勇太は己の身体を見下ろした。
 黒のスーツ、ではなく高校の制服を着ている。
 間違いない。今の自分はフェイトではなく、工藤勇太だ。
「俺は……工藤勇太」
「あんまり、変わってないのね」
 アデドラが言った。
「あの2匹の、どちらかの仕業ね。あたしが、会ってみたいなんて言ったから」
「がっかりさせちゃったかな。今と、大して違ってなくて」
 ここが夢の中であるのは、どうやら間違いない。アデドラも、同じ夢を見ている。
 泣き声が聞こえた。
 白い服を着た、小さな男の子が2人、木陰でしくしく泣いている。
「な、何とゆう恐い夢を見ているのだ……」
「こんなつもりじゃなかったのだ……もっと、たのしい夢になるはずだったのだ……」
 5年ぶり、であろうか。
 勇太は思わず、駆け寄った。
「お前ら……」
「わあん! ゆう太ゆう太」
 白い小さな身体が2つ、ふっさりと尻尾を揺らしながら飛びついて来る。
「こわい魔女に、つかまってしまったのだ……」
「アメリカになんか来るからだ。まったく」
 赤い髪を、金色の髪を、獣の耳を、勇太は撫でて弄り回した。
「で……一体、何しに来たんだ?」
「ゆう太はほっとくとばかをやらかすから、みにきてやったのだぞ」
「そうゆうわけでアディ様、アディ大明神様」
 兄弟が、小さな両手を握り合わせた。
「ゆう太の怪我を、治してやって欲しいのだ……」
「なおってもなおらなくても、ゆう太はばかをやらかすのだ」
「……久しぶりに会うなり、それか」
 勇太は苦笑した。
 アデドラは笑わない。人形のような美貌は、にこりとも動かない。
 青く冷たい瞳が、勇太と小さな兄弟を、じっと見つめるだけだ。
 その時、地面が揺れた。
 いや、夢そのものが震動していた。


「何だ……!」
 フェイトは目を覚ました。
 身を起こした瞬間。肋骨に鋭い痛みが走った。
 ソファーの上である。教官の家の、リビングだ。
「あ、フェイト……無理しちゃ駄目よ」
 教官の奥方が、気遣ってくれている。
 もう1度、震動が来た。
 揺れる室内を、2匹の仔犬が、おたおたと走り回っている。
 アデドラが、生まれて間もない妹をベビーベッドから抱き上げながら、窓の外を睨んだ。
 アイスブルーの瞳が、信じ難い光景を見据えている。
 ニューヨークの街中に、巨大な機械の怪物が出現していた。
 ラスベガス郊外で起こった事件が、ここでも起ころうとしている。
 だが今、破壊されようとしているのは、無人の撮影用セットではない。生きた人々が住む街だ。
 教官の家だ。教官の、家族だ。
「フェイト……貴方の名前、最悪ね」
 赤ん坊を抱いたまま、アデドラが呟いた。青い瞳が、フェイトに向かって光を発する。
「わけのわからない戦いが、貴方の……運命……気に入らないわ」
 肋骨の痛みが失せてゆくのを、フェイトは感じた。