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<東京怪談ノベル(シングル)>


混沌の街で


 日本、いや世界各地から様々な人間が集まって来る、だけではない。それに紛れて、人間ではない者たちも入り込んで来る。
 治安が良くないのは、まあ当然ではあった。
 どうしようもなく凶悪な輩も、確かにいる。が、いささか荒っぽくとも気の良い者たちが大半であった。
 それでも用心のために男装し、昼間はアルバイトをしているのだが。
「男装が上手くいってる、って事じゃないの」
 少女が言った。明らかに、笑いをこらえている。
 弥生は、憮然とした。
「よう坊主、頑張ってるな……なぁんて言いながら、私の肩とか背中とかバンバン叩いてくるわけよ。ごつい外人のオヤジとかがよ」
「お尻触られたりするより、ましだと思いなさいな」
「それは、そうだけど……年頃の若い娘だって、1人くらい見抜いてくれても良さそうじゃない?」
「それじゃ男装の意味がないでしょ」
 少女が呆れている。
 この街には似つかわしくない、清楚可憐な少女である。
 普通の人間ではない事を、弥生は出会ったその日に見抜いた。
 こんな美少女が、この街で無事に暮らしていられる。よほど強力な庇護者がいるのでなければ、本人に何かしら力があるとしか思えなかった。弥生が持っているような力が。
 その力を上手く隠しながら少女は、とある診療所で住み込みで働いている。
 この街の自称医者たちの中では、いくらかましな男が経営している診療所である。
 忙しい時は殺人的に忙しいが、今日はこうして女2人、待合室でお喋りをしていられるほど暇であった。
「それで……最近どう? 何か、わかった?」
 少女の口調が、改まった。
「弥生の、お父さんお母さんの事」
「んー……全然ね。まあ人の出入りが多い街だから」
 弥生が生まれる前、20年以上も昔に住んでいた男女の事など、知っている者がそうそういるわけはない。それは最初から、わかっていた事である。
 焦るまい、と自分に言い聞かせながら弥生は、この街で日々を過ごしていた。
 昼間は若い男に化けてアルバイトに精を出し、夜は、本来の力を活かした仕事を請け負ったりもしている。
 両親に関して何の情報も得られないまま自分はただ、ひたすら生活に追われているだけ。
 そんな苛立ちが募り始めた頃に弥生は、この少女と出会った。
「何か、情報が手に入ったとしたら」
 少女が、じっと見つめてくる。
「弥生は、この街を……出て行っちゃうの?」
「……その情報次第ね」
 両親が、この街ではないどこかで生きている。
 仮にそんな情報が手に入り、いくらか裏付けが取れたとしたら、弥生は街を出る事になるだろう。
 少女が、なおも問いかけてくる。
「……彼は? 別れる、って言うか捨ててく事になるわけ?」
「それは……」
 弥生は口籠った。
 そんな先の事は全く考えず、1人の若者と恋に落ちてしまったのだ。
「まあ一本気な人だから、何があっても弥生と一緒に行く、なんて言い出すわよ絶対」
 だから1人で黙ってこの街を出るしかない、と弥生は思う。
 この街で、楽しく幸せに暮らしている若者だ。自分の、先の見えない親捜しになど付き合わせてはならない。
 つまり、捨ててゆく事になる。
(女をさんざん弄んでポイ捨てする男と、大して変わらない事……してるわけね、私って)
 弥生は今、初めてそう思った。
 この街へ来たのは、両親の事を知るためである。
 他の場所へ行く必要がなくなるほどの情報を、ここで入手出来るとは、弥生は思っていない。
 両親に関し、この街で掴めるものがあるとすれば、最初の手がかりくらいであろう。
 それを掴んだら、恐らくは出て行く事になる。
 つまり、いつかは出て行くために自分は、この街へやって来たのだ。
 恋など、してはならなかったのだ。
 そもそも、親しい相手など持つべきではなかったのだ。
「あたしと仲良くなるんじゃなかった、なぁんて思ってる? もしかして」
 少女が、弥生の心を見透かした。
「弥生はね、どこへ行っても、極力他人と触れ合わないようにしていても、いつの間にか友達が出来ちゃうタイプよ。いろんな所で、いろんな人と出会って別れて……出会いと別れを繰り返して人は強くなる、なんてウチの先生は言ってるけど。酔っ払いながらね」
「……聞こえてるぞ」
 待合室に、どかどかと踏み込んで来た者たちがいる。
 熊のような巨体に白衣を引っ掛けた、白人の大男。
 この診療所を経営している町医者で、少女いわくロシア人であるらしい。ウォッカなどよりも日本酒を好み、薬品のアルコール臭と純粋な酒臭さを常に漂わせている。
 今はしかし、素面のようだ。
 その町医者の子分のような男たちが、数人がかりで担架を運んでいる。
 つぎはぎだらけのソファーから、少女は立ち上がった。
「……急患、ですか?」
「ああ、つまらねえケンカさ。おう、あんたもいたのか。悪いが手伝ってくれんかな」
「お、お役に立てれば」
 弥生も立ち上がった。
 担架の上で暴れ、のたうち回っているのは、この町医者を上回る体格の巨漢だった。牙を剥いて悲鳴を上げ、日本語ではない罵声を吐き散らしている。
 血まみれの頭からは、角が生えていた。
 日本語は話せないようだが、どうやら鬼族の血が入っている。
 そんな患者を運んでいる男たちの中にも、明らかに人間ではない者が何名かいた。
 そういう街なのだ。


 こんな街であるから警察は無論、郵便局も、まともには機能していない。
 だから、というわけでもなかろうが、私書箱を扱う業者が存在していた。
 仕事の依頼を、弥生は主にここで受けている。
 男装してのアルバイトではない。本来の力……黒魔術を使う方の仕事である。
 これが、意外に繁盛していた。
 仕事の成功率が高い請負人がいれば、その噂は広がってゆく。
 ひとたび噂になれば、何しろこんな街であるから、誰それを始末して欲しいという内容の依頼が、日に何件も舞い込んで来る。
 もちろん、仕事は選んでいる。
 だが、と弥生は思う。こんな日々を過ごしているうちに自分は下手をすると、黒魔術を使って殺人を請け負う、単なる殺し屋になってしまいかねない。
「お父さんお母さんの手がかり、掴む前に……この街、出てかなきゃいけなくなったりしてね」
 ぼやきながら弥生は、手紙の1通を作業的に開封した。
 仕事の依頼、ではなかった。
 弥生は息を呑んだ。
 その手紙には、こう書かれていたからだ。
『貴女の御両親を、存じ上げております。信じる信じないは貴女次第……不確かな情報に身を委ねる愚かさをお持ちであれば、以下の番号に御連絡を』