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<東京怪談ノベル(シングル)>


日常のコンダクター―平穏カクテル

提出された報告書に添えられた写真をまじまじと見つめると、上官は苦笑いを浮かべ、デスクにそれらを放り投げた。
そこに写っていたのは、村人たちに集団制裁を受けてボロボロになったリーダーの無残な姿と琴美によって倒された兵士たちを縛り上げて、引きずる人々の姿。
平穏でありきたりな日常を理不尽な理由で奪われた怒りの深さを物語る写真が今回の事件の全てだろう、と上官は思った。
「笑えないな、水嶋」
「そうでしょうか?」
 珍しく小首をかしげる琴美に上官はそうだろう、と肘をつく。
 「武装して、村一つを占拠。そこを拠点に解放だ、革命だとか言いながら、実体は単なるお子様集団。偽装貿易会社もちょっと探りを入れただけで瓦解するわ、連中が海外から招いたテロリストは騙りの不法滞在者。大規模な割に、まぁ抜けていること抜けていること……笑いを通り越して笑えん」
ある意味の愚痴をこぼしつつ、琴美を武装集団殲滅に向かわせたのは勿体なかったな、と思ってしまう上官。
危険極まりない武装集団と判断したからこそ、自衛隊特務の最精鋭である琴美を派遣して、殲滅命令を下したのに、最終的には村人たちが私刑を下すなどお粗末極まりない。
次回からもっと念入りに調査させるか、と考え込む上官に琴美はふっと口元ゆがめると、すっと背を正した。
「お言葉ですが、上官。この組織の上層部―特にリーダーはだらしのない男でしたが、下部組織はかなりしっかりとした組織で、人材も―小粒ですが、随分と揃っていました。これから考えて、今回捕まえた者たちが本当に上層部だったのか、は謎です」
統率力と判断力に長けた部隊長たちに、あっさりと倒せたが、それなりに連携攻撃が取れる一般兵たち。
総合力から考えて、本来、彼らを指揮する上層部は相当の実力者がいておかしくない。
なのに、捕まったリーダーは身も蓋もない愚か極まりない男。
あまりのアンバランスさに琴美は強烈な違和感を覚え、実際にはもっと実力のある上層部が、リーダーがいたのではないかと推察していた。
「なるほど……ということは、我々の動きに気づいて、トカゲのしっぽ切りとばかりに切り捨てた……訳か。十分に考えられるな」
可能性にすぎないが、上官も琴美と同じことを考えた。
それなりの規模を誇っていたにしては、随分と呆気ない最後だった。
上官はソファーに深く身を沈めると、すぐに姿勢を正して、琴美を見た。
「今回の事件はこれで解決とするが、情報部に命じて、全て洗い直しておこう。どうにも気になることだらけだ」
「それが賢明かと思います、上官」
「うむ……水嶋琴美、今回もご苦労だった。下がって良い」
くるりとソファーごと背を向ける上官に琴美は敬礼すると、部屋を辞した。
今回の懸念材料を考えると、多少気になるが、一つの任務を無事終えたことに琴美は大きく伸びを一つすると、軽い足取りで基地の廊下を歩いていった。
 
 どんな形であれ、任務完了の充実感に変わりはない。
 さっそく休暇申請を出し、久方ぶりに琴美は街へと足を向けた。
 お気に入りの店を回るなどの選択肢もあったが、今日は珍しく目的があり、まっすぐにそこへと向かう。
 セレクトショップや料理店に埋もれるように、その店は古びたビルの一角にあった。
 琴美がそこに着くと、すでに何人かの客が地下へと続く階段の前に並んで、開店を今か今かと待ち焦がれていた。
 「うっわぁぁぁぁ、珍しいわね。水嶋がここの店に来るなんて」
 「やだ、驚いたぁ。あんたみたいな仕事一筋も、ここのファン?いっがい〜」
 「あら、そうですか。私もここの店の常連なんですの。最近はすっかりご無沙汰していたから、楽しみですわ」
最後尾に並んだ琴美に気づいた前の客は一期上の女性事務官たち。顔見知り程度で、任務上、交流はそれほどなかった。
 だが、日ごろから真面目で物腰の良い琴美は先輩たちからのうけもよく、嫌われているという心配はなかった。
 「そうなの?まぁ、常連になるも当然かもね。生音楽の聞けるジャズバーなんて滅多にないもの」
 私も初めて聞いた時は震えが来るくらいすごかったもん、待ちきれない〜と笑いあう先輩に琴美は穏やかに相槌を返していると、開店を告げる店員の声が響いた。

 軽快に流れるピアノとトランペット、重厚感のある音を奏でるサックス。
 それらの音が絡み合い、深みのある音楽を奏でる。
 仲間同士でテーブルを囲んで酒を飲みかわしながら、楽しむ者たちもいれば、静かに食事しながら聞き入る者もいるなど、それぞれで音楽を楽しむ。
 ライブハウスよりも若干狭い程度だが、楽器の純粋な音とジャズのために作られた店は知る人ぞ知る名店だが、常連客が大半を占めるのでなかなか敷居が高い。
 舞台の真正面にあるカウンター席に座り、野菜たっぷりのオリジナルクラブサンドとノンアルコールカクテルで琴美は背から聞こえてくるジャズを楽しんだ。
 ジャズなどにあまり興味はなかったのだが、研究所の主任が常連中の常連で、音楽に楽しみがないのは重大な罪、大罪なのよ〜というわけのわからない理屈を叫び、無理やり休暇を取らせて連れてこられたのが最初だった。
 何が何だか分からないまま、席に着いた琴美に同情した店長はクラッシュアイスをたっぷり使ったアイスティーとミルフィーユをサービスしてくれたのが昨日のことのようだ。
 「お久しぶりですね、水嶋さん。相変わらず忙しいのですか?お仕事」
 「ええ、ちょっとややこしいことがあったのですが、無事に終わったので、今日はそのご褒美ですわ」
「そうですか。ご苦労様です」
にこやかに笑いながら、なじみの女性バーテンダーは定位置の席に座る琴美と軽く会話を楽しみながら、熟練の手さばきでシェイカーを振る。
シェイカーの音を耳にして、あらと小首をかしげる琴美にバーテンダーは微笑んだまま、鮮やかな紅色のグラスを差し出した。
「新作のノンアルコールカクテルです。無色透明なので江戸切子のグラスで、どうぞ」
「よろしいのですか?」
「新作というか、覚えたてなんですよ。感想聞かせてください」
「では、お言葉に甘えて」
子どものようにわくわくした表情で見てくるバーテンダーに琴美は同じくらいの表情で江戸切子に口をつけた。
炭酸のはじける感触の後に、クランベリーの甘さとジンジャーの辛さが通り抜ける。飲みやすく、のど越しも悪くない。
正直にそれを口にすれば、たちまちしてやったりとした表情で小さくガッツポーズを決めるバーテンダーに合わせるように、トランペットとサックスの音が鳴り響く。
それを演出と受けた客たちから喝采が飛ぶ中、琴美は江戸切子を手にして、再び音楽を楽しみながら、今回の任務を思い返す。
荒唐無稽な思想と分不相応の力を振り回し、平穏で静かな村を占拠した暴挙は許しがたいが、あまりにも幼すぎる指揮官には、ただただ呆れた。
これならば、危険を顧みず、山道を駆けて村の危急を告げてきた少年の方がしっかりとしている。
そんなことを思いながら、再びグラスに口をつけ、カクテルを飲み干し―ふと思う。
―今回の任務と同じですわね、このカクテルは。
力に溺れて、それを振りかざす甘さと現実の厳しい辛さが混じりあいながら小さくはじけていく思いは、まさにこのカクテルそのもの。
見事な選択をしてくれるバーテンダーに感心しながら、琴美はグラスを傾けながら、ピアノが奏でる静かな和音とサックスの重低音が混じりあった組曲を楽しむ。
つかの間の休暇を楽しみつつも、心はすでに次に下される任務へと思いを馳せていた。

fin