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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


甘い戦場


 以前は、商品の1つ1つが、自分の息子や娘のようなものだった。
 シリューナ1人が、全てを把握していた。
 埃まみれになるまで倉庫の奥に放置しておく事など、考えられなかった。
 商売が繁盛すれば当然、忙しくもなる。
 喜ぶべき事である反面、こういう事態も起こり得る。
「私とした事が……!」
 ファルス・ティレイラが、なかなか倉庫から戻って来ない。
 様子を見に来たところでシリューナは、何が起こったのかを即座に悟った。
 開きっぱなしで放り出してある、分厚い書物。
 以前、とある戦いを経て入手したものである。
 普通に店頭に並べるには、いささか危険な物品。どう扱うか決めかねているうちに、忙しさに押されて存在を忘れてしまった。
「災厄は……忘れた頃に、やって来るものね」
 その書物の、開きっぱなしの頁に、シリューナは見入った。
 お菓子で出来た街が、描かれている。
 その挿絵の中に、ファルス・ティレイラはいた。
 美しい女貴族を恭しく取り囲む、お菓子の人形たち。
 その中に、ティレの姿がある。パイ生地のメイド服を着せられた、ホワイトチョコレートの少女像。
 いつも様々なものに変えられてしまうティレの、それが今回の姿だった。
「私が、こんなものを放っておいたばかりに……ティレ……」
 書物を睨むシリューナの両眼が、淡く発光した。真紅の瞳が、炎の如き眼光を発する。
 優美な全身が一瞬、燃え上がった。炎にも似た、赤い光。
 それが、シリューナの背中から翼の形に広がり、羽ばたき、書物を包み込む。
 炎のような光が、書物に吸い込まれて消えた。
「時限爆弾……のようなものね」
 炎のような光が、本物の炎となる前に、事を済まさなければならない。
「待っていなさいティレ。今、助けてあげるわ」


 ファルス・ティレイラを自分のコレクションに加えたのは、あの女に復讐をするため……ではない。
 この愛らしい少女を、永遠に傷む事のない菓子人形に変えて愛でたい、という気持ちは純粋なものだ。そこに、復讐心が入り込む余地などない。
 それはそれとして、あの女には借りを返さなければならないのだ。
「来たわね……シリューナ・リュクテイア」
 菓子で出来た執事たちメイドたちに囲まれ、悠然と婉然と佇んだまま、魔族の貴婦人は来客を迎えた。
 チョコレート製の柱の陰から、因縁の相手がユラリと姿を現したところである。
 たおやかな人間の美女……の皮を被った、恐るべき牝竜。
 魔族の貴婦人は、まず微笑みかけた。
「お久しぶりね……会いたかったわ」
「次に会った時が、貴女の最期。そう忠告したはずよ」
 シリューナ・リュクテイアは、しかし微笑んでくれない。
「もう2度と本の中から出て来られないくらいに叩きのめしてあげた、つもりだったけれど……出て来られず引きこもったまま、つまらない悪事に手を染めているのね。相変わらず」
 執事姿・メイド姿の菓子人形たちを、シリューナは興味無さげに見回した。
「くだらないお人形遊びを、したければすればいいわ……ティレだけは、返してもらうわよ」
「そう……大切なのね、この子が」
 人型の菓子となったファルス・ティレイラの頬を、そっと撫でてみる。
 ホワイトチョコレートの滑らかさが、指先に心地良い。
 シリューナの赤い瞳が、燃え上がった。憎悪と激怒の眼光。
「ティレを返しなさい……! そうすれば、今回だけは許してあげるわ」
「貴女……本当に好きなのね、この子が」
 燃え盛る竜の眼光を、魔族の貴婦人は微笑で受け止めた。
「安心なさい、この子と一緒にしてあげる。一緒に並べてあげる。一緒に愛でてあげる……飽きたら、一緒に食べてあげるわ」


 ティレが、菓子の人形と化している。
 彼女を人形に変えて愛でる。その権利を有しているのは、天界・魔界・人間界……あらゆる世界において、このシリューナ・リュクテイアただ1人であると言うのにだ。
 愛らしく美味しそうな人形と化したファルス・ティレイラに、馴れ馴れしく手を触れている魔族の女。
 その姿を見ただけで、シリューナの頭からは『全てを滅ぼす』以外の選択肢が吹っ飛んで消え失せた。
「異空間に封印してあげるわ……何もない虚空の彼方で、朽ち果てなさい!」
 シリューナの瞳が、真紅の輝きを激しくした。
 燃え盛る炎にも似た、紅蓮の眼光。
 それは、しかし輝いただけだった。いかなる現象も、生じない。
「これは……!」
 息を呑むシリューナに、柔らかな気配が絡み付いて来る。
 女魔族の、細腕だった。
「あの時、私が貴女に敗れたのは……この本の外で、戦ったから」
 囁き声が、シリューナの黒髪に忍び込んで来て耳元を冷たくくすぐる。
「……本の中は、私の世界よ。ここでは貴女は全く無力。チョコレートをひとかけら折り取る事だって、出来はしないわ」
「はっ……離れなさい! この……ッ!」
 暴れようとするシリューナの肢体を、得体の知れぬ感覚が襲った。
 舌、ではなく全身の肌で、シリューナは甘味を感じていた。
「な……何……これは……」
「さあ、何かしらね……貴女がどんなお菓子に変わるのか、私にも想像がつかないわ」
 滑らかで柔らかな何かに変わりつつあるシリューナの頬を、女魔族が優しく撫でる。
「お肌はマシュマロ、血はストロベリーソース……骨はチュロス、肝臓はブラックココアデニッシュ……心臓は、ウイスキーボンボン……そんな感じかしら? 意外とお安いお菓子で固められているのねえ。だけど、美味しそうな事に変わりはないわ」
「…………!」
 舌が、ゼリーの塊に変わりながら、シリューナの口内で弱々しくうねる。もはや言葉を発する事も出来ない。
 脳も、たぷたぷ揺れる杏仁豆腐と化しつつある。
 が、思考力はまだ辛うじて生きている。
(……そろそろ……ね……)
 突然、凄まじい熱風が吹き荒れた。
「何……!」
 女魔族が狼狽している、その間にも、熱風を伴う炎が周囲を焼き尽くしてゆく。
 菓子で出来た城館が、焼き払われてゆく。
 チョコレートの柱が融解し、ビスケット生地の壁が焦げ崩れてゆく。
 物言わぬ菓子人形と成り果てていた執事たちメイドたちが、慌てふためいている。
「な……何だ、ここは……」
「何? 一体なに!? 何なのよォッ!
 全員、人間に戻っていた。
 書物の中の、お菓子の世界。その魔力が、焼失しつつあるのだ。
「……やってくれたわね」
 女魔族が、高慢そのものの美貌を怒りに歪めている。
(この本の中では、私は全くの無力……貴女に偉そうに言われるまでもなく、わかりきっていた事よ)
 言葉を発する事が出来ぬまま、シリューナは嘲笑った。
(だから外側から、あらかじめ炎の魔力を仕掛けておいた……そこへ私自身こうして入り込んで来たのは、ティレを助けるため……)
 シリューナは苦笑しようとした。マシュマロで組成された美貌が、少しだけ歪んだ。
(……ついでよ、あなたたちも助けてあげるわ……)
 温存しておいた魔力を、シリューナは一気に解き放った。
 先程まで菓子人形であった少年たち少女たちが、逃げ惑いながら光に包まれた。
 そして全員、消え失せた。
 空間転移。シリューナの魔力で、本の外へと放り出されたのだ。
 そして、シリューナ自身も。
「貴女に……2度も、してやられるとはね」
 光に包まれながらシリューナは、女魔族の声を聞いた。
「いいわ。私たち魔族も、貴女たち竜族も、寿命は有って無いようなもの……何百年、何千年かけても、貴女との決着は必ずつけて見せる……そうよ、焦る事はない。せいぜい愉しみましょうシリューナ・リュクテイア……この、終わりのないゲームをね……」


「いっ……たぁあああい……」
 思いきり尻餅をつきながら、ファルス・ティレイラは涙ぐんだ。
「もうっ、何なのよォ……あれ?」
 尻尾の付け根をさすりつつ、見回してみる。
 シリューナ・リュクテイアの店の、倉庫であった。
「え〜……っと……」
 ティレは、頬に指を当てた。
 おぼろげに、記憶が甦ってくる。
 自分は確か、ここで在庫の整理と清掃作業をしていたはずだ。
 そこで埃まみれの書物を発見し、開いてみた。
 その結果、何かが起こった。
 その何かが、どうも思い出せない。
 何やら甘美な夢を見ていた、ような気がする。
 どんな夢であったのかは気になるが、それどころではなくなった。
 シリューナ・リュクテイア、によく似たものが、そこに立っていたからだ。
「お姉様! ……え? これって……」
 チュロスの骨、ワインキャンディの瞳、マシュマロの肉と肌……様々な菓子が、シリューナの優美な姿を構成している。
 等身大の、菓子の人形であった。
「ち、ちょっと誰よ! 勝手にこんなの作ったのはあああああああああっ!」
 ティレは興奮し、激怒し、狂喜した。
「私に断りもなく! 許せない、絶対許せない! お菓子とお姉様って! お姉様とお菓子って! 禁じ手じゃないのよ、一番やっちゃいけないコラボじゃないのよォオオオオオオオッ!」
 翼をはためかせ、尻尾をのたうち回らせながら、ティレは悶え暴れた。細く柔らかな肢体が切なげに反り返り、可愛らしい鼻が鮮血を噴く。可憐な唇が、天井に向かってゴォッ! と炎の吐息を迸らせる。
「おっお姉様ぁ! おねェーさまぁあああああああああン!」
 菓子で出来たシリューナに、ティレは抱きついて行った。
 マシュマロの柔らかさが、ティレから正気をさらに奪ってゆく。
 もはや表記不能な絶叫を倉庫内に響かせながら、ティレは触り回し、揉みしだき、頬擦りをしてキスをした。思わず歯を立て、食いちぎってしまうところだった。


 魔族の貴婦人によって念入りに魔法を施されたシリューナの身体は、ティレたちと比べて若干、元に戻るための時間を多く要した。
 正気を失い、調子に乗っていたティレは、やがて元に戻ったシリューナによって、いささかきつい「お仕置き」を受ける事になるが、それはまた別の話である。