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<東京怪談ノベル(シングル)>


穢れを知らぬ笑み3
 日は落ちていき、夕は焼ける。窓から差し込む夕日に照らされながら廊下を走る女、瑞科の横顔は、美しさの手本とでも言うべき完璧な美麗さを携えている。
 そんな彼女の背後ににじり寄る、黒い影。武器を構えたそれは、姑息にも背後から女の艶やかな肢体に狙いを定めていた。しかし、その武器は振るわれる前に瑞科の剣撃によってはじかれる。慌てて逃げようとする悪魔に向かい、瑞科の彫刻のように整った唇は素早く呪文を詠唱。至近距離で彼女の高位力な魔術を叩きこまれた悪魔の断末魔の悲鳴が、長い廊下に響き渡った。
 外にいた悪魔を退治し尽くした瑞科は、拠点の中へと侵入を果たしていた。廊下には真っ赤な絨毯が敷かれ、高級そうな家具や絵画が行儀よく並んでいる。天井には、綺羅びやかな照明器具が吊るさっていた。基地というよりは、館という言葉のほうが似合う建物だ。
 スリットの入ったシスター服を揺らしながら、踊るような華麗な動きで瑞科は敵の拠点内を疾駆する。ニーソックスが食い込んだしなやかな脚が、目にも止まらぬ速さで振り上げられる。編み上げのロングブーツの爪先が、敵の鳩尾へと叩き込まれた。
 その反動を利用し後ろへと下がった瑞科を、歪な形の影が囲う。けたたましい鳴き声をあげながら自分に群がろうとしてきた悪魔達を、彼女は剣を一振りする事で瞬く間に屠った。聖女が持つに相応しき美しさを持つ磨き上げられた刀身が、夕日の光を反射し輝いている。
 戦場にいる事が嘘のように、瑞科の服には少しの汚れもついていなかった。彼女は返り血すらも、まるで映画のワンシーンのように完成された動作で避けているのだ。
「揃って呆けているだなんて、ずいぶんと余裕ですわね」
 周囲に溢れる化物の血の臭いは、彼女の仄かな香水の香りが和らげている。歌姫の如し凛とした声が、戦場へと染み入るように響き渡った。隠し切れぬ艶やかさを漂わせながら、瑞科はグローブに包まれた拳を振るう。スレンダーな彼女の体の、いったいどこにそんな力が隠されているというのか。抉るような重い一撃が、また一体の悪魔の命を天へと誘った。
 香りも、声も、姿も、全てが彼女の女としての魅力を雄弁に語っていて、魔物達の心をかき乱す。非の打ち所が一つもない、完成された美しさがそこには在った。
 悪魔の放つ魔術を、彼女はナイフで弾き返す。いつだって、悪魔達の手は彼女には届かない。たとえ届いたとしても、この程度の攻撃では「教会」随一の実力を持つ彼女の身を覆う特製のシスター服に傷をつける事は叶わないだろう。
 色香を纏った肢体を躍動させ、傷一つ負う事もないまま瑞科は戦場を舞い、悪を滅して行く。

 屋敷の奥にあった地下室に足を踏み入れた瞬間、周囲を取り巻く空気が変わった事に瑞科はすぐに気付いた。取り乱す事はなく冷静に、彼女は辺りの様子を伺う。キキキ、と甲高い声をあげ、近くにいた悪魔が場違いに笑った。
「……夜ダ。ツイニ夜ニナッタゾ! アノ方ノ目覚メノ時ダ!」
 その瞬間、瑞科の艶めかしい肌を、他の悪魔達とは比べ物にならない程に大きな力、そして殺気がなぞる。自身に向かい伸びてきた黒い影を、彼女はナイフで振り払った。
 靴音を立てながら、一歩、また一歩と何者かが瑞科へと近づいてくる。壁に飾られた蝋燭の灯りが、その者の姿を照らす。
「報告にあった通り、確かに極上の女だ。さぞ、『甘い味』がする事だろう」
 そこにいたのは、黒いマントを羽織った青白い肌の一人の男だった。赤い瞳が、夜目でも分かる程に爛々と光っている。
「……吸血鬼、ですわね」
「如何にも」
 吸血鬼。夜の闇に紛れて、人の生き血を啜る怪物。それがこの拠点の親玉であり、今回の任務で瑞科が討伐すべき存在。
 黒い翼を持った異形達は、悪魔ではなく彼の配下のコウモリの化物だったのだ。
「私の持て成しはお気に召したかな?」
「あの、数だけはご立派な貴方のご友人達の事でして? 残念ながら、わたくしの趣味ではありませんでしたわね」
 瑞科は扇情的な桃色の唇に指を当て、くすりと悪戯げに笑う。見る者を魅了する、妖艶な笑み。思わず飲み込まれてしまいそうになるのを堪え、吸血鬼も負けじと笑みを象った。
「配下達は、ただ闇雲に君を襲っていたわけではないよ。彼らの役目は時間稼ぎさ。夜になるまでのね」
 日は沈み、辺りは暗闇に包まれている。世界はすっかり、異形の時間。――吸血鬼の時間だ。
 吸血鬼の赤い瞳は、瑞科という名の最上級のご馳走を舐めるように見やった。無遠慮な視線に形の良い眉を僅かに寄せながら、瑞科は豊満の体を包み込む衣服を整え直す。
「そんな事、」
 吸血鬼が最も力を発揮出来る、夜。僅かな蝋燭の明かりだけが室内を照らす地下室で、瑞科はたった一人でその異形と対峙している。周囲を囲む配下のコウモリ達の数も、決して少なくはない。
 しかし、彼女の青色の瞳の中にある感情は、驚愕や怯えでは決してなかった。
「そんな事、わたくしにとってはどうでもいい事ですわ」
 聖女の余裕が崩れる事はない。白鳥瑞科は、微笑んでいる。気高く、美しく、どこまでも自信に満ち溢れた笑みをこぼす。
 彼女の目には見えているのだ。自分が勝利する、そんな未来が。
 吸血鬼を射抜くように見やる、迷いのない瞳。この世のものとは思えぬその美しさは、触れてはならぬ禁忌の香りすらする。吸血鬼は、ごくりと一度喉を鳴らした。
 彼の胸の中を、かつてない程に大きな感情が覆い尽くしていく。それは恐らく極上であろう彼女の味への『期待』であり、途方もない年月を生きてきた彼が他者に対して初めて抱いた、『恐怖』でもあった。