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女子高生、誕生
「ほらほら、お目々が3の字になっとるで。しゃきっとせえや」
「う〜……お受験勉強の睡眠不足が、一気に来ておりますわ……」
眠そうな声を発しながら少女が、焼き魚を頭からバリバリとかじっている。
元々、石像であった少女だ。そこに自我と生命が宿り、今では付喪神と呼べる状態にある。
そして、今日からは女子高生である。
「朝ご飯食べて、学校へ行く……普通の女の子になったっちゅう事やね、自分」
「眠ぅ〜い……」
「しゃんとせえっちゅうに。登校初日やで、最初が肝心やで」
「もちろん、びしっとシメて御覧に入れますわ」
「昔なつかしのスケ番にでもなるつもりかいな」
セレシュは苦笑した。
「ええか。カツアゲとかイジメとか、やったらあかんで」
「あの、お姉様……私がイジメられる方の心配は、して下さいませんの?」
「相手の方が心配やな」
一口、セレシュは味噌汁をすすった。
「そんなんする奴がおったら、うちに相談せえよ」
「そんな事で、お姉様の手を煩わせるわけには参りません。私が自力で解決いたしますわ」
付喪神の少女が、魚と米飯を味噌汁で一気に流し込んだ。
「御心配なく、事を荒立てたりはいたしません。対話の努力は怠りませんわ。真摯に話し合って、時には拳で語り合って」
「あんたが拳で語り合うたら、人死にが出るやろが」
「お姉様にお任せしても、あまり穏便に事が済むとは思えませんけど」
「……ま、あの学校でイジメとか自殺とか、それ系の話はあんまり聞かへんしな」
厄介事が、全く起こらない学校ではない。そこだけは、いささか心配ではあった。
セレブでゴージャスな女子高生、と本人は言っていた。
その言葉が当てはまるかどうかはともかく、私立神聖都学園の制服が似合っているのは確かである。
純白のブラウスが、豊麗な胸の形をさらに引き立てているようでもあった。
スカートはやや短めで、格好良く引き締まった左右の太股が、若干際どい高さまで露わになっている。
自分は、学校の制服など着た事はない。そんな事をセレシュは、ふと思った。
(憧れとるんと、ちゃうやろな……年齢考えや、まったく)
「それではお姉様、行って参りますわ」
「気をつけるんやで、いろいろと」
明るく片手を上げながら少女が、もともと石像であったとは思えぬ軽やかさで、制服姿を翻す。
足取り軽く遠ざかって行く後ろ姿を、セレシュはぼんやりと見送った。
鍼灸院の開院準備を、そろそろ始めなければならない。
「1人でやるんか……面倒いなあ……」
昼食は、作らずに朝食の残り物で間に合わせる事が多い。
温め直した味噌汁をすすりながらセレシュは、点けっぱなしのテレビを眺めていた。
昼のニュースである。国会議員が何やら喋っているが、セレシュの耳には入って来ない。
「静かなもんやなあ……」
1人きりの食卓というものが、随分と久しぶりである事に、セレシュは気付いた。
あの少女も今頃、1人きりで弁当を食べているところであろうか。昼食を一緒に食べるような友達が、初日で作れるものであろうか。
「まったく、うちは……何、お母んみたいな心配しとるんや」
セレシュは苦笑した。
自分はあの少女の母親ではないし、あの少女にもセレシュの娘であるなどという認識はないだろう。
母子でも姉妹でもない、独立した人間同士が、一緒に生活をしているだけだ。
「ま、人間ちゃうけどな……」
セレシュは、何となくテレビのリモコンを手に取ってチャンネルを変えた。
ニュース番組が、ドラマの予告に切り替わった。
学園ドラマなのであろう。制服姿の男女が、何やら仲睦まじくしている。
「あの子も……彼氏とか、作ったりするんやろか」
ふと、そんな独り言が漏れてしまう。
恋人が出来るかどうかはともかく。自分の知らない交友関係を、生活空間を、あの少女は持つ事になる。
学校へ行くとは、そういう事なのだ、とセレシュは気付いた。
娘を嫁に出す親、のような気分。それに近いと思われるものが、セレシュの胸中には生じていた。
「だから、娘やないっちゅうに」
呟きつつセレシュは、もう1つ気付いた。
随分と長い間、生きてきた。本当に、様々な事があった。色々な事をした。
だが、母親であった事は1度もない。
「ただいま帰りましたわ、お姉様」
夕刻。いくらか空が赤くなった頃に、付喪神の少女は帰って来た。
その制服姿を、セレシュはまじまじと見つめ、観察した。
「な……何ですの? 何か付いてまして?」
「いや……返り血とか付いてへんやろな、と思うて」
「……お姉様は、私を何だと思ってらっしゃるのかしら」
(さて、何なんやろなあ)
娘か、妹か、弟子か友達か、仲間か。愛玩動物の類か。
判然としない少女の帰宅を、セレシュはにこりと迎えた。
「何も揉め事起こさんと、よう無事に帰って来たなあ……お帰んなさい、や」
「今日は運動をしましたから、ご飯が美味しいですわ」
付喪神の少女が、嬉しそうに美味しそうに、トンカツをかじっている。
無論、ビールはない。晩酌、ではなく夕食の時間であった。
キャベツにソースをかけながらセレシュは、眼鏡越しの視線をちらりと少女に向けた。
「運動……殴る蹴るどつくの大立ち回りとちゃうやろな」
「た、単なる体育の授業ですわ。何も荒っぽい事はしておりません。それはまあ……砲丸が、校舎の壁にめり込んだりはしましたけれども」
「砲丸投げかいな。あんたが1番、気ぃつけなあかん種目やね」
「体育の授業が一番、大変ですわ。手加減って、とっても大変……一番楽しいのは音楽の授業! 先生が、とっても面白い人ですのよ。綺麗で、可愛くて」
「あんまり恐がらせたらあかんで。あの子、ただでさえ妖怪や低俗霊みたいな連中に目ぇ付けられやすい体質なんやから」
この少女が、こうして自分以外の人々と関わってゆく。
自分の助手として人外関係の仕事に明け暮れ、それ以外の一切を知らなかった少女が、自身の世界を広げつつある。
学校へ行くとは、そういう事なのだ、とセレシュは思った。
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